続いては、5月21日に、東府中駅で撮影した、京王競馬場線の7000系7422F(2両編成のワンマン列車)による、競馬場線開業60周年記念ヘッドマーク付き電車です。
東府中駅の1番線は、2両編成までしか入れない競馬場線専用ホームであるので、土休日の日中の8両編成は、2番線(京王線の下り待避線と兼用)からの発車となります。
こちらは、高幡不動駅での京王線(本線)と動物園線の関係に準じており、どちらもワンマン列車専用ホームには、東急多摩川線、池上線の駅などにあるような、センサー方式の柵があります。
京王競馬場線は、競馬開催日以外、乗客が少ない為に、府中競馬正門前発の終車が平日は22時02分、土休日は21時58分と、京王電鉄で最も早い状態であり、それ以外の時間は、周辺にある府中駅を使うことになります。
駅周辺には住宅があるだけで他は何もないのでそのはずだし。
東府中駅は、1916(大正5)年10月31日に、前身の京王電気軌道によって、飛田給~府中間が開業した時からある駅で、当初は現在よりも約500m府中寄りにあり、八幡前駅と呼ばれていました。
1935(昭和10)年11月12日には、現在の位置に臨時競馬場前駅が開業した時点で、東京競馬場への最寄り駅となり、1937(昭和12)年9月1日には、八幡前駅が東府中駅に改称され、1940(昭和15)年10月26日には、臨時競馬場前駅との統合により、臨時競馬場前駅が2代目東府中駅となって現在に至っています。
八幡前駅が、東府中駅に改称されたのは、同日に、松沢駅から八幡山駅に改称されたことにより、混同を防ぐからであります。
因みに八幡山駅は、京王線系統(井の頭線を除いた本線部分)で唯一杉並区にある駅であり、杉並区上高井戸に位置しています。八幡山は、駅周辺にある世田谷区の地名であるし。
井の頭線では、永福町~久我山間の各駅が杉並区にあります。
逆に、京王線と東急世田谷線の下高井戸駅は、駅周辺の杉並区の地名を冠した、世田谷区にある駅となっているけど、東急世田谷線が、全て世田谷区に位置し、世田谷区の南北を結ぶ路線となっているのはその為であります。
2011(平成23)年4月10日に、東府中駅が橋上駅舎化されるまでの間は、北口と南口に分かれ、地下通路で結ばれていたけど、南口の営業時間は、7時~21時30分までとなっていました。
6000系が現役だった頃は、東府中駅が橋上駅舎化される前だったし。
京王線のうち、府中~東八王子(現、京王八王子)間は、1925(大正14)年3月24日に、玉南電気鉄道によって開通した路線であり、当時はレール幅が帝都電鉄(現在の京王井の頭線)と同じ1067mmとなっていました。
その翌年の1926(大正15)年12月に、京王電気軌道に吸収合併され、府中~東八王子間で1372mmへの改軌が行われていた後、1928(昭和3)年5月22日に、新宿~東八王子間での直通運転が行われるようになったのであります。
7000系の2両付属編成は、1994(平成6)年に7421~7425Fの5編成が製造されたもので、7421Fと7422Fが6000系に代わってワンマン改造されています。
7000系は現在10両固定編成が、7021~7029Fの9編成、6+4編成が、7001+7206F、7002+7207F、7003+7203F、7004+7204F、7005+7205Fの5編成、8両固定編成が、7006~7009Fの4編成、4両固定編成(動物園線のワンマン車両)が、7801Fと7802Fの2編成、2両付属編成が、7421~7425Fの5編成となっているけど、6000系の置き換えに伴う編成組み替え前は、8両固定編成が、10編成ありました。
9000系の8連は、6000系または7000系の2両編成との組み合わせによる10両編成での運用が可能であるけど、7000系がVVVF化される前は、足回り品が6000系と同じだったのにも関わらず、回路関係との相性が良くなかった為に7000系との併結運転が行われずに、専ら6000系の2両編成とペアが組まれていました。
現在は、6000系が淘汰されたことや、7000系がVVVF化されたことにより解消されていたので、犬猿の仲からの復縁の関係に例えたくなります。
京王競馬場線の2両編成は、東武鉄道の都内のワンマン路線である東武大師線と亀戸線の8000系と同様に、都内に残る貴重な2両編成であり、編成全体を良い感じで撮影することが出来ます。
以前京王線で競馬場に行こうキャンペーンヘッドマーク付き電車を撮影したことがあるけど、このように、60周年記念ヘッドマーク付き電車の編成全体を撮影することが出来て良かったと思っています。