8月1日は、富山から高山まで、JR東海のキハ85系気動車(DC)によるワイドビューひだ14号に乗りました。
この時の編成は、富山から高山までキロ85-2+キハ84-302+キハ85-1116号車による3両編成(パノラマグリーン車付き)で、高山から前にモノクラスの3両編成と連結された上で、名古屋へと向かうことになります。
途中停車駅は、速星、越中八尾、猪谷、飛騨古川、高山、下呂、美濃太田、岐阜で、高山駅では増結作業により7分停まることになります。
パノラマグリーン車付きの3両編成は、1992(平成4)年3月に、名古屋と紀伊勝浦を結ぶワイドビュー南紀号でデビューしたもので、現在は専ら富山発着のワイドビューひだ号で使われています。
富山発着のワイドビューひだ号は、3,7,11,13,6,14,18,20号車の4往復であり、他は全て高山または飛騨古川発着となっているし。
ワイドビューひだ号のうち、大阪発着は、25,36号(モノクラスの3両で、岐阜~高山間は、名古屋発着の5,16号と併結)であり、 大阪~岐阜間では、途中、新大阪、京都、草津、米原、大垣に停車する列車で、1999(平成11)年12月までJR西日本所属のキハ58,28系によって運転されていた急行たかやま号から格上げされていました。
383系によるワイドビューしなの号(名古屋~長野間)も、9,16号の1往復のみ大阪に乗り入れているけど、こちらはキハ181系DCの時代である1971(昭和46)年から行われています。
京都、大阪から長野に向かうには、名古屋まで東海道新幹線で行き、名古屋でワイドビューしなの号または直通のワイドビュー9,16号で行くことに限られていたけど、北陸新幹線が出来てからは、大阪、京都から金沢までサンダーバードで行き、金沢から北陸新幹線に乗り換えて行くことも可能となったので、行きはサンダーバード+北陸新幹線、帰りはワイドビューしなの号+東海道新幹線またはその逆のルートを選択することも出来るようになっています。
東京から高山(飛騨高山)へと向かう場合、これまでの名古屋乗り継ぎルートに加え、北陸新幹線で富山まで行き、ワイドビューひだ号で高山まで行くことも可能となったことで、前述の関西から長野へのルートと共に、選択肢が広がったと思っています。
富山駅では、今年4月20日に高架化された高架ホームから発車。この時に当たった車両は、指定席の8号車(キハ85-1116号車)でありました。
この車両は、貫通型の車両で、車椅子対応座席や幅広タイプの洋式トイレの設置(和式トイレから洋式トイレへの変更)によりバリアフリー化されており、100番台から1000番台に改番されています。
ひだ号に使われるキハ85系は、パノラマグリーン車(3列シート車)付きの3両編成(富山発着で使われている)、モノクラスの3両編成(大阪発着にも使われている)、半室グリーン車(4列シート)付きの4両編成、モノクラスの4両編成の4つに分かれており、半室グリーン車付きの4両編成に関しては、ワイドビュー南紀号と共通運用となっています。
座席は高い位置にあり、前面展望を楽しめるのでワイドビューそのものでした。
キハ85系がJR東海の在来線特急用のワイドビューシリーズの先駆けとしてデビューしたは、1989(平成元)年2月18日のことで、当時は名古屋~高山、飛騨古川間に限られていました。
その翌年の1990(平成2)年3月10日には、急行のりくら号の廃止及びキハ80系82形のひだ号運用の全廃により、キハ85系に統一され、一部が富山まで延長されていました。
キハ82形の時代の1968(昭和43)年10月1日の特急化から、1985(昭和60)年3月14日の改正までの間は、金沢まで運転されていたこともあったけど、ワイドビューひだの富山延長によって、富山乗り入れが5年ぶりに復活していたし。
南紀号にもキハ85系が導入されたのは、1992(平成4)年3月14日のことで、キハ82形の定期運用が全廃となっていました。
ひだ号の表示は、合掌造りの家と飛弾山脈がイメージされたもので、1980年代から使われていたけど、キハ85系の前面のひだの表示に、合掌造りの表示が残されています。
名古屋のリニア・鉄道館で静態保存されているキハ82 73号車には、ひだ号のマークが取り付けられているし。
キハ85系のディーゼルエンジンは、カミンズ社(アメリカに本社のあるディーゼルエンジンメーカー)のイギリス(英国)工場製(C-DMF14HZ形)で、インタークーラーターボ付きの350PSのものが2基搭載され、電車並みの高性能となっています。高山本線とは関係ないけど、これによりスイッチバックを越える必要が無くなっているし。
富山駅では、高架の2番線から発車。この後に高架線を進み、神通川を渡ってから西富山へ。この時にワイドビューチャイムが流れていました。
高山本線(岐阜~富山間)のうち、岐阜~猪谷間がJR東海、猪谷~富山間がJR西日本による管轄となっており、前者ではキハ25系(313系の気動車バージョン)やキハ75系、後者では、キハ120形が使われています。
富山を出て最初の停車駅は、速星駅で、周辺に日産化学工業の富山工場がある関係により引き込み線が出ています。
この時に、日産化学工業の濃硝酸用のタンク車を見ることが出来ました。
日産化学工業は、日産・日立(春光)グループの一員でもあり、高崎線の神保原駅付近にも工場があります。
速星駅は、星の付く駅であり、星のマークの日産化学の工場があるということで覚えやすいと思います。
その東側には、富山きときと空港があり、国内線では、東京(羽田)から6往復、札幌(新千歳)から1往復ANA便が出ているけど、北陸新幹線の開業の影響により、小型機(ボーイング737-800)型機による運航となっており、北陸新幹線に対抗する為の割引運賃も導入されています。
このことは、東京(羽田)~小松(金沢、福井)間の航空路線(JALとANA)でも言えることであり、こちらも小型機による運航となっているし。
来年春には北海道新幹線の新青森~新函館北斗間の開業により、羽田~函館間の空路で新幹線に対抗する為の割引運賃が導入されることが予想されます。
次の停車駅である越中八尾駅は、毎年9月1,2,3日におわら風の盆が行われることで有名であり、9月1,2日にはワイドビューひだ15号が高山から越中八尾まで延長され、折り返しのワイドビューひだ90号の高山行きが運転されます。
笹津駅を通過した後、神通川の渓流沿いを通り、猪谷へ。
猪谷駅は、JR東海とJR西日本の境界の駅であり、乗務員交代が行われていました。
猪谷駅からは、2006(平成18)年11月30日まで、神岡鉄道神岡線(旧、国鉄神岡線、猪谷~奥飛騨温泉口間)が出ていたけど、6割がトンネルを占めていたので、奥飛騨の地下鉄とも呼ばれていました。
現役当時は、1984(昭和59)年10月1日の第三セクター化の時に導入されたKM-101号車(おくひだ1号)と、KM-151号車(おくひだ2号)が活躍していたし。
現在は、旧奥飛騨温泉口駅~旧神岡鉱山前間で、レールマウンテンバイク Gattan Go!のイベントが行われており、廃線区間をマウンテンバイクで走るという人気の企画であります。
奥飛騨温泉口までは、代行バスが出ていないので、マイカーがないと不便な状態であります。
猪谷駅を出ると岐阜県に入り、宮川沿いを通り、飛騨古川方面へと向かいました。
この区間は、2004(平成16)年10月に発生した台風23号による水害で打撃を受けていたけど、当時は高山~猪谷間が運行不能となっていました。
同年11月18日に、高山~飛騨古川間が、翌年の2005(平成17)年10月1日に飛騨古川~角川間が復旧し、鉄橋の流失等により被害の大きかった角川~猪谷間は、2007(平成19)年9月8日と、3年ぶりに復旧していました。
飛騨古川駅は、ワイドビューひだ5号と12号の折り返し駅であり、4月19,20日には古川祭が行われることで有名であります。
ワイドビューひだ5号は、岐阜~高山間で大阪発のワイドビューひだ25号と連結されるけど、大阪、京都方面から飛騨古川へと向かう為に乗り移った場合に通しの特急料金となります。
14時32分に高山駅に到着。
ここからは前の6両が増結され、6両編成で名古屋へと向かっていました。
その翌日の8月2日は、高山から名古屋まで続きの区間に乗ったのでレポートは後程書きます。
このように、キハ85系によるワイドビューひだ号に初めて乗ることが出来て良かったです。