8月2日は、高山からの帰りに、名古屋まで、JR東海のキハ85系気動車(DC)によるワイドビューひだ14号に乗りました。
この時には、両親が富山から来た8号車(キハ85-1110号車)に当たっていたけど、自分は指定券の都合により、高山から増結された3号車(キハ85-1112号車)に当たっていました。
自由席は、2号車と9号車にあるけど、列が出来ていたので、指定席で良かったです。
高山駅は、2016年度の完成を目処に、橋上駅舎への改築工事により、昨年12月1日から仮駅舎となっています。
これまでは、1934(昭和9)年10月25日の開業の時から80年間、特徴のある木造駅舎が使われていました。
高山駅が開業した1934(昭和9)年10月25日は、飛弾小坂~坂上間が開業し、高山本線が全通した時でもありました。
これまでの間は、岐阜~飛弾小坂間が高山線、坂上~富山間が飛越線と呼ばれていたし。
高山本線では、国鉄時代に電化される計画があり、1980(昭和55)年5月27日に高山駅で起工式が行われ、1985(昭和60)年度の完成を見込んでいたけど、国鉄の財政難等の理由により工事が中止され、幻の電化区間となっています。
電化後には、381系元祖振り子式特急電車(かつて特急しなの号で使われていた車両)が導入されるはずだったけど、こちらも幻となっているし。
電化計画は、JRとなってからも再開予定はない状態であります。
その代わりに電車並みの高性能を誇るキハ85系が導入されたけど、斬新なスタイルや眺めの良さとあって、大好評でありました。
このスタイルは、グッドデザイン賞受賞のきっかけとなっているし。
高山は、飛弾の小京都と呼ばれており、東側には伝統的建造物保存地区である蔵が軒を連ねています。
高山ではラーメンが名物なので、蔵の街である福島県の喜多方市(会津喜多方)に似ているところがあります。
高山の名物は、飛騨牛や朴葉味噌などが有名であり、今回宿泊した民宿でも食べることが出来ました。
朴葉味噌とは、味噌やネギなどの薬味、茸類、飛騨牛肉などを、朴木(ホウノキ)の葉に載せて焼いて食べる飛弾高山の郷土料理であります。
朴の葉は、火に強く、食材を載せて使うのにちょうど良いし、飛弾高山の山林で多く出回っていることから、飛弾地方で朴葉味噌として食べられるようになったのであります。こちらは飛弾地方の民宿での朝食でのお・も・て・な・しでもあるし。
高山駅に隣接している高山濃飛バスターミナルからは、白川郷や新穂高温泉、平湯温泉方面へのバスが出ており、奥飛騨温泉郷等へのアクセスとしても使われています。
濃飛バス(濃飛乗合自動車)は、名鉄グループの飛弾高山のバス会社であり、東京(新宿)、京都・大阪、名古屋、岐阜、白川郷、松本、大町温泉郷・扇沢へも高速・特急バスが出ています。
新宿駅西口バスターミナル~飛弾高山間のバスは、京王電鉄バスとの共同運行の7往復で、松本インターから安房トンネルを通り、平湯温泉、丹生川に停車してから飛弾高山へと向かうことになります。
安房トンネルは、1997(平成9)年12月6日に開通した、松本と飛弾高山を結ぶルートであり、安房峠経由よりも所要時間が大幅に短縮されています。
2008(平成20)年7月5日に、東海北陸自動車道の飛弾清見インター~白川郷インター(飛弾トンネル)の開通に伴う全通により、ひだ号は高速バスやマイカーとの競合が激しくなっています。飛弾清見インターからは中部縦貫自動車道を通って高山まで抜けられるのでそのはずだし。
高山祭は、春(4月14,15日)と秋(10月9,10日)に行われ、京都の祇園祭、埼玉(秩父)の秩父夜祭りと並んで日本三大曳山祭となっています。
今回乗った車両は、高山から増結されたモノクラスの3両(キハ85-1112F)で、乗る前に連結シーンを見ることが出来ました。
今回は高山から増結された、両親とは別の車両で気楽だったけど、富山から来た編成に当たっていたらつまらなくなっていたところでした。
行きと同様に、外人観光客との相席だったので、国際観光地であることが分かります。
高山駅の留置線で、キハ25系(313系の気動車バージョン)を見た時には、違和感がありました。
飛弾一ノ宮までは宮川(神通川)沿いを通っていたけど、久々野からは、飛騨川(木曽川の支流)沿いを通っていました。
車窓から眺めた川沿いの景色は良かったです。
美濃太田~久々野間の木曽川沿いには、撮影ポイントがあることで有名であります。
高山駅を出てから最初の停車駅である下呂駅は、有名な温泉地である下呂温泉があることで有名であり、有馬温泉(兵庫県)、草津温泉(群馬県)と並ぶ日本三名泉となっています。
下呂駅を出た後、渓谷沿いを走り、美濃太田へ。
ワイドビューひだ号の車両は、1989(平成元)年、1990(平成2)年、1992(平成4)年に製造された車両だけど、1996(平成8)年6月26日に焼石~下呂間で発生した落石による脱線事故でキハ85-107号車が廃車となり、翌年の1997(平成9)年にキハ85-119(現、1119)号車が代替新製されていたのであります。
土砂崩れにより落ちてきた石は、約60tであり、トンネルを出た直後に発生した為に避けられなかったという問題がありました。
事故当時は減速していたので難を逃れていたけど、通常通りの速度で走っていたら大惨事になっていたところでした。
段差を上がったところにある高い座席は、かつて中央線特急あずさ・かいじ号や信越線特急旧あさま号で活躍していた183,189系のグレードアップ車両と同様に、川沿いの景色を楽しむのに適しているけど、バリアフリーには適していないという問題もあります。
バリアフリー化によって車椅子対応座席が設けられた時には、この部分だけ段差が廃止されているし。
気動車に乗ったのは、昨年12月21日にひたちなか海浜鉄道湊線(茨城県)に乗った時以来でした。
ひたちなか海浜鉄道と言えば、JR東海から、初期型のキハ11系が譲り受けられたことで話題になっています。
キハ40系列のほうもキハ25系への置き換えが進められているので、JR東海で、脱国鉄型車両計画がハイペースで進められていることが分かります。
JR東日本やJR北海道でも、脱国鉄型車両計画がハイペースとなっているし。
飛騨川の川沿いを走った後、太多線や長良川鉄道越美南線への乗換駅である美濃太田駅に到着。
ここでは、交換列車が遅れていた為に発車が遅れていました。
美濃太田を出た後に最初に通過した坂祝(さかほぎ)駅は、難読駅名であり、日本ラインの川下りで有名であります。
周辺に三菱自動車工業の関連会社パジェロ製造の工場があり、パリダカでお馴染みのクロスカントリー4WD車(ジープタイプ)であるパジェロと、オフロード走行性能を有するミニバンであるデリカD:5(どちらもRV車)が製造されています。車窓から三菱パジェロの表示の工場が見えたので一目瞭然だったし。
鵜沼駅は、名鉄線の新鵜沼駅に隣接しており、2001(平成13)年9月30日までの間、連絡線を介して、名鉄のキハ8500系による北アルプス号が新名古屋(現、名鉄名古屋)から高山まで乗り入れていたこともありました。美濃太田~高山間のではワイドビューひだ号との併結運転が行われていたし。
キハ8000系が使われていた頃には、富山へも乗り入れていました。
鵜沼~岐阜間は、名鉄各務原線(新鵜沼~名鉄岐阜間)と併走する区間であります。
岐阜駅に到着した後、進行方向が逆となり、名古屋までのラストスパートであるノンストップ区間に入りました。
キハ85系の最高速度は、中京エリアの新快速と同様の120Km/hであり、名古屋~岐阜間と、岐阜~大阪間で120Km/hで快走することになります。
尾張一宮(名鉄一宮)駅付近でも名鉄電車との併走が見られています。
尾張一宮駅に停車するひだ号は、5,9,19,2,4,8号の3往復で、他は全て通過となるし。
名古屋駅に到着した後、両親と合流し、記念撮影を行った後、品川までN700系によるひかり476号で帰りました。
このように、ワイドビューひだ号で高山本線を制覇することが出来て良かったです。