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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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381系によるくろしお7号 2

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続いては、9月6日に、京都駅で、381系のヒネHD601編成(クロ380-1F)によるくろしお7号の白浜行きの編成全体を5番線側から撮影したものです。

くろしお号の381系は6両編成で、1号車はパノラマグリーン車、2号車と3号車は普通車自由席、4~6号車は普通車指定席となっており、5号車の一部に女性専用席があります。

4号車にパンダシートがあるけど、見納めとなってしまうのが残念です。

特急くろしお号は、今から50年前の1965(昭和40)年3月1日に登場した列車であり、当時はキハ80系によって、天王寺~名古屋間(阪和線、紀勢本線、関西本線経由)で1往復運転されていました。

1972(昭和47)年の増発の時には、日本海縦貫線の電化により捻出されたキハ81形(ボンネットタイプのはつかり型車両)も追加され、天王寺~名古屋間の1往復で余生を過ごしていました。

ボンネットタイプのキハ81形(はつかり型車両)は、1960(昭和35)年に6両製造され、上野と青森の間を常磐線経由で結んでいたはつかり号でデビューし、つばさ号、いなほ号、ひたち号を経てくろしお号で活躍していたけど、1978(昭和53)年10月2日の紀勢本線の和歌山市~和歌山~新宮間(現在のJR西日本管轄区間、きのくに線)の電化により、381系に置き換えられ、お役御免となっていました。

そのうちのキハ81 3号車は、弁天町にあった交通科学博物館で保存されていたけど、来年春に開館される予定の京都鉄道博物館で展示されることになります。

くろしお号の名古屋~新宮間は、キハ80系82形による特急南紀号(名古屋~紀伊勝浦間)として分離され、1992(平成4)年3月にJR東海のキハ85系(ワイドビュー車両)に置き換えられていました。

こちらは、キハ80系82形最後の定期運用となっていたので、キハ81形のくろしお号と同様に紀伊半島で最後を飾っていたし。

スーパーくろしお号が登場した1989(平成元)年7月22日は、くろしお、スーパーくろしお号の新大阪、京都駅への乗り入れが開始された時でもありました。

以前はくろしお号とスーパーくろしお号に、各停車駅のイメージにあった車内チャイムが流れていたけど、テープの老朽化により電子オルゴールによる鉄道唱歌に統一されています。

今から30年前の1985(昭和60)年4月から、翌年の1986(昭和61)年10月までの間は、増発用として、485系によるくろしお号が運転されていたこともありました。こちらは、当時新設されていた特急北近畿(現、こうのとり)号に転用されていたし。

北近畿→こうのとり号の前身は、新大阪、大阪~米子間を走っていた特急まつかぜ号(キハ80系82形によって運転されていた)であり、1985(昭和60)年3月の改正まで、関門トンネルを越えて博多まで乗り入れていました。


御坊駅からは、紀州鉄道線(和歌山県、御坊~西御坊間)が出ており、北条鉄道北条線(兵庫県)で活躍していたキテツ1形の2両(元フラワ1985形)のレールバス(貴重となった富士重工業製のLE-Car2シリーズ)が使われています。


この路線は、1989(平成元)年3月末に西御坊~日高川間の廃止により2.7Kmの短い路線となり、2002(平成14)年10月27日に芝山鉄道線(千葉県、東成田~芝山千代田間、2.2Km)が開業するまでの間は、日本一のミニ鉄道と呼ばれていました。


紀州鉄道は、東京都千代田区三崎町(水道橋駅付近)に本社があり、鉄道事業のほか、ホテル・リゾート事業でも有名であり、紀鉄ホテルグループがその系列となっています。


藤並駅からは、2002(平成14)年12月末まで、有田鉄道有田線(藤並~金屋口間)が出ていたこともあり、晩年は、樽見鉄道(岐阜県)から譲り受けられていたハイモ180-101号車が使われていました。

この路線は、有田みかんの産地らしく、蜜柑畑の中を通っていたことで有名だったし。


有田鉄道には、元富士急のキハ58 001,002,003号車もあったけど、そのうちのキハ58 003号車は、両運転台車であった為に予備車として残されていました。


これらの車両は、1962(昭和37)年に、中央本線の新宿への乗り入れ用(急行かわぐち号)として導入されたものであり、当時甲府~松本間が非電化区間であったことにより、新宿~大月間で併結されていた急行アルプス号にキハ58系気動車が使われていたことから、富士急行にも気動車が導入されていたのであります。


キハ58 003号車は、両運転台の予備車として、1963(昭和38)年に導入されたものであり、かつて北海道の深名線や札沼線の末端区間などで活躍していたキハ53形(キハ58系列の両運転台改造車)を思い出しました。


1975(昭和50)年3月10日に急行アルプス号の全列車の電車化により、有田鉄道に移っていました。


有田鉄道で活躍していたハイモ180-101号車とキハ58 003号車は、有田川町鉄道交流館で動態保存されています。


1985(昭和60)年3月までは、急行きのくに号が天王寺~和歌山~新宮間及び南海難波~和歌山市~和歌山~新宮間で運転され、国鉄はキハ58系列、南海はキハ5501,5551形が使われ、後者は、国鉄キハ55形の南海版となっていました。


今回京都駅で381系を撮影出来たことで幸せを感じました。






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