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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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豊田車両センターの189系 N102編成あさま塗装

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続いては、11月7日に行われた豊田車両センターまつりで展示されていた、長野総合車両センターで唯一残った189系のあさま塗装であるナノN102編成(クハ189-9F)です。


この編成は、今から40年前の1975(昭和50)年に、181系(ボンネットのこだま型→とき型車両)の置き換え用として、長野運転所(現、長野総合車両センター)に配置され、1997(平成9)年9月30日の横川~軽井沢間の廃止まで、信越線の特急あさま号で活躍していました。


特急あさま号は、1966(昭和41)年10月1日から、1997(平成9)年9月30日まで、上野~長野、妙高高原、直江津間で、181系(1975(昭和50)年からは189系)、489系によって運転され、横川~軽井沢間では、EF63型電気機関車との協調運転(181系は併結運転)が行われていました。


協調運転により、最大で12両組めるようになったことが話題になっていたし。


181系の時代は8両が限界であり、当初から食堂車が付いていなかったです。


189系のデビュー当時は10両が最大で、1978(昭和53)年から12両が最大となっていたし。


横川駅では、名物である峠の釜飯が売られているので、立ち売りが行われていた時に、長い停車時間を使って買い求める風景も見られていました。


あさま号の名称は、1997(平成9)年10月1日に長野まで先行開業していた長野新幹線→北陸新幹線のうちの東京~長野間の列車に受け継がれていたけど、あさま号の愛称の由来となった浅間山がイメージされたトレインマーク付きの189系のほうがあさま号らしさを感じています。


このN102編成は、旧あさま号の廃止後に6両化された上で快速妙高号(長野と直江津を結んでいた列車)に転用され、今年3月14日の長野~妙高高原~直江津間の第三セクター化に伴う快速妙高号の廃止まで活躍していました。


快速妙高号は、特急あさま号の長野~直江津間が踏襲された列車で、特急券なしで特急型車両に乗れるという乗り得列車だったけど、乗降に手間が掛かるという問題もあったし。


快速妙高号の廃止後、このN102編成だけがあさま色のまま団臨用として残され、189系で唯一の生え抜き編成として注目されています。


この時に、旧あさま号の廃止により消されていたASAMAの表示も復活していたし。


あさま色は、緑色とグレーの帯が特徴であり、前面の特急シンボルマークが外されています。


このような塗り分けは、水色ベースのあずさ色にも受け継がれていたし。


横川の碓氷峠鉄道文化むらには、189系のクハ189-506号車、クハ189-5号車、モハ189-5号車が静態保存されているけど、クハ189-506号車が国鉄塗装(特急シンボルマーク、JNRマークも復元されている国鉄リバイバルらしい状態)で、他の2両はあさま色となっています。


これらの車両が、碓氷峠を越えた列車としてEF63型電気機関車と共に保存されたのも、碓氷峠の歴史を後世に残す為であるのでそのはずであるし。


あさま号のグレードアップ化は、1990(平成2)年から1992(平成4)年に掛けて、11両化された7編成に対して行われ、他の9両編成は、塗装変更だけ行われていました。


このこともやはり上信越自動車道の開通を見据えたものであり、グレードアップあずさの成功によって実現していたのであります。


国鉄時代には、EF63型電気機関車の力を借りることもなく自力で碓氷峠を越えられる187系電車の計画もあったけど、国鉄の財政難及び北陸新幹線の開業に伴う横川~軽井沢間の廃止の影響により中止され、幻となっています。


あさま号で活躍していた489系は、上野と金沢を長野経由で結んでいた白山号の間合いのボンネット車(JR西日本の金沢総合車両所所属だった)のほか、長野の200番台(貫通型)もありました。


こちらは細長いトレインマークが特徴だった車両であり、新宿発着の臨時あさま号によく使われていました。


こちらは交直両用設備が撤去されていたので、転用されずに廃車となっていたし。


あさま号が廃止された後、グレードアップ編成が9両化(松本に転属)または11両編成(長野所属)のまま中央線特急あずさ号・かいじ号に転用され、2002(平成14)年にE257系に全面置き換えられるまで活躍していました。


183系が、房総特急のしおさい号とあやめ号を最後に定期の特急運用から撤退してから来月9日で10年経つけど、当時はモノクラスの6連と8連があり、6連は、0番台の幕表示と原型を保っていました。


183系0番台の先頭車のうち、クハ183-21号車のカットボディが、113系のクハ111-1072号車(スカ色)とクハ111-2152号車(湘南色)のカットボディと共に、夢ハウスあずさ号を経て、千葉県いすみ市にあるポッポの丘で静態保存されています。


長野県上田市にある民宿である夢ハウスあずさ号には、あずさ号やかいじ号で活躍していたクハ183-1002号車(あずさ色)が丸ごと1両保存され、バンガロー形式で泊まることも出来ます。


長野新幹線→北陸新幹線が開業してから碓氷峠を高速で越えるようになったけど、昔は碓氷峠を越えるのに苦労していたことが分かります。


北陸新幹線と言えば、金沢まで延長されたことが今年最大の話題となっていたし。


因みに、北陸新幹線のE7系とW7系は、12両編成と、旧あさま号の最長編成と同じであります。


2005(平成17)年6月25日に三鷹電車区(現、三鷹車両センター)で行われていたイベントでは、歴代のあずさ号の車両が展示されていたけど、勝田車両センターにあった485系ボンネット車の訓練車(現在は鉄道博物館で静態保存されている)を、初代の181系風に見立てて展示されていたことを覚えています。こちらは10年前の出来事だったし。


あずさ号のほうは、1966(昭和41)年12月12日に登場した列車であり、あさま号と同様に、とき号と共通の181系(食堂車付き)が使われていました。


当時は2往復で、新宿~松本間で、途中甲府と上諏訪にしか止まらなかったし。


189系の導入により、あさま号だけでなく、あずさ号の181系も置き換えられていたし。


このイベントで189系の復刻あさま号を撮影した時に、あさま号と言えばやはりこれだなと思いました。


このように、豊田車両センターのイベントで、189系による復刻あさま号を撮影することが出来て良かったです。






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