1月9日は、武蔵小杉から登戸まで、この日に最後を迎えていたJR南武線の205系のナハ46編成(クハ205-1201F)によるありがとう205系臨時電車(快速登戸行き)に乗りました。
こちらは、川崎駅を10時43分に発車し、通常の快速と同様に鹿島田、武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口に停車し、登戸へと向かう列車だったけど、快速登戸行き自体は普段見られないのでレアなファイナルランでもありました。
南武線に205系がデビューしたのは、1989(平成元)年3月のことで、山手線からの転入車や先頭車改造車を含めて、27年間活躍してきたことになりました。
原型顔の編成は、昨年12月のナハ39編成(クハ205-23F)を最後に全廃となり、海外譲渡のヘッドマークが付いていたけど、撮影出来なかったのが残念でありました。
ナハ46編成は、2004(平成16)年に、元山手線のヤテ→トウ31編成(クハ205-31F)の4号車と7号車に連結されていたサハ205-61,62号車から先頭車改造され、2,3,8,9号車のモハユニット(モハ205/204の91,93号車)を組み合わせた編成であり、これらの先頭車化改造の5編成の導入によって、最後まで残っていた103系が置き換えられていました。
翌年の2005(平成17)年には、武蔵野線の103系の置き換え関連により、武蔵野線への先頭車改造編成の導入を避ける為に原型顔のナハ45編成(クハ205-29F)を武蔵野線へと送り、穴埋めとして、先頭車改造編成だったナハ51編成(クハ205-1206F)が入っていたのであります。
南武線の先頭車改造編成のうち、元ナハ48編成(クハ205-1203F)は、2009(平成21)年に103系の置き換え用として、4両化、トイレの取り付け、ドアの半自動化により、仙石線(仙台車両センター宮城野派出所)に、センM19編成(クハ205-3119号車)として転用されていました。
川崎~登戸間の臨時快速は、1969(昭和44)年12月15日から1978(昭和53)年10月1日までの間に101系によって運転されていた初代の快速を彷彿とさせるものであり、その停車駅に鹿島田、武蔵中原、武蔵新城を加えたものとなっていました。
南武線を追われた原型顔の205系は、一部がインドネシアに輸出されたけど、ナハ46編成を含めた先頭車改造車は、残念なことに、長野総合車両センターで解体される運命となっています。
南武線から205系が全廃となったことにより、元山手線の205系に乗れる路線が、武蔵野線(京葉線直通を含む)、八高・川越線、鶴見線、仙石線となり、原型顔は、武蔵野線だけとなっているし。
京葉線で走っていた初期型205系の一部は、3両化の上で6000系として富士急行に譲渡されています。
今回は諸事情により川崎駅から乗ることが出来なかったけど、川崎駅では6番線から発車していました。
川崎駅では、後述の登戸駅と同様にパニック状態となっていたし。
表示は、臨時ではなく快速登戸となっていたことが嬉しかったです。
この列車は当然のことながら、先頭の6号車を中心に混雑していたので、辛うじて最後部の1号車(クハ205-1201号車)に乗ることに成功したのであります。
武蔵中原→武蔵新城間中原電車区では、社員一同でのお見送りのシーンが見られていたので、一昨年(2014(平成26)年)10月4日のE233系のデビューの時を思い出しました。
あれから1年3ヶ月のペースで置き換えられていたことで早いもんだなと思いました。
登戸駅は、2番線に到着。先頭車部分には人が殺到し、撮影しづらい状態でありました。
1番線側でも、編成全体を撮影出来るということで人が集まっていたし。
この時には危険を伴っていたので、事故やトラブルもなくファイナルを迎えられたということは素晴らしいことだと思っています。
2009(平成21)年12月5日に常磐緩行線で207系900番台のさよなら運転が行われた時に線路内への人立ち入りがあったのであの時は酷かったし。
この後、ららぽーと立川立飛(多摩モノレールの立飛駅前)のタワーレコード(タワレコ)で行われていた鉄道アイドルステーション♪のイベントに行っていた絡みにより、登戸駅に到着後、1番線側でちょこっと撮影してから後続の快速で立川へと向かっていたので、お見送りシーンを見ることが出来なかったです。
その代わりにYouTubeにアップされている動画を見ました。
このように、乗れなくなるということが懸念されていた中、南武線の205系に乗ることが出来て良かったです。