昨年1月10日に惜しまれて引退していた銚子電鉄の赤い丸ノ内線方南町支線カラーの1002号車(元営団地下鉄2000形の2040号車から改造された車両)は、1年経った今でも、仲ノ町車庫に置かれたままとなっています。
自分(しゃもじ)は土曜出勤の為に行かれなかったけど、昨年1月10日に行われた、1002号車のさよなら運転では、2月末をもって引退予定の1001号車(銀座線カラー)との協調運転が披露されていました。
当時のありがとうステッカーもそのままとなっているし。
この1002号車に乗ったのは、銚電の標準塗装時代の2007(平成19)年1月20日が最後となってしまったので、鉄子の旅塗装や方南町支線塗装の時代には撮影しただけで乗れずじまいとなっていました。
地下鉄丸ノ内線の方南町支線(中野坂上~方南町間)では、1968(昭和43)年から1993(平成5)年までの間、銀座線から転用された2000形(赤色にサインウェーブなしの白帯)が使われていたけど、2040号車もそれに含まれていたので、2011(平成23)年にこの塗装が復元されていたのであります。
これが好評であったことから、翌年の2012(平成24)年に1001号車が営団2046号車時代と同じ銀座線カラーに変更されていたし。
銀座線塗装の1001号車と、方南町支線塗装の1002号車による協調運転は、営団地下鉄時代に見られなかった組み合わせであり、銚子電鉄のリバイバルカラーだからこそ実現していたのであります。
方南町支線の2000形は、1981(昭和56)年に3両編成化されていたけど、中間に先頭車が押し込められていたという、丸ノ内線の本線の500形などでも見られていたスタイルとなっていました。
1995(平成7)年2月に丸ノ内線の本線(池袋~荻窪間)から撤退し、翌年の1996(平成8)年7月に方南町支線からも引退した500形(銀色のサインウェーブ帯が特徴だった車両)は、一部が日本国内で静態保存されたほか、南米アルゼンチンに輸出されています。
アルゼンチン・ブエノスアイレスの地下鉄(メトロビアス)では、元500形がB線で活躍しているけど、現在は塗装が黄色にグレー帯に変更されているので違和感があります。
向こうの国の事情だから仕方がないけど、500形は赤色のほうが良かったです。
元JR205系などのインドネシアに輸出された国産の通勤形車両も、大胆に変わっているし。
東京メトロからは、廃車となった元05系、5000系、6000系、7000系がインドネシアに渡っています。
地下鉄銀座線から2000形が引退し、さよなら運転が行われたのは、1993(平成5)年7月のことで、同年5月の方南町支線からの撤退の時には、さよなら運転が行われていなかったです。
銚子電鉄に移ってからは、昨年1月の1002号車の引退によりさよなら運転が行われていたし。
方南町支線時代は、中野車両基地(中野富士見町駅付近にある検車区と工場)を除いて全区間地下である為に営業運転で地上を走ることが無かったので、銚子電鉄入りしてからは常に地上区間を走るようになっていました。
地下鉄銀座線と丸ノ内線の車両の搬入と搬出は中野工場で行われているので、中野工場から搬出され、京王重機で改造されていました。
京王から伊予鉄道に譲渡された車両も、3000系を含めて京王重機の手によって改造されたけど、銚子電鉄の2000形もそれに含まれています。
伊予鉄道に譲渡された元京王井の頭線の3000系は、1983(昭和58)年から1988(昭和63)年までに製造された軽量ステンレスの後期型(3720F以降)のうちの先頭車を含めた5両のうちの3両が3両固定編成として使われています。
この時に、京王時代では実現出来なかったVVVF化も行われているし。
京王時代に3722Fに連結されていた2代目のクハ3722号車は、1991(平成3)年に初代クハ3722号車の事故廃車による代替新造車として製造された車両だけど、こちらもクハ3503号車として伊予鉄道に譲渡されているし。
伊予鉄道に譲渡されなかった2両の中間車は、銚子電鉄に譲渡される計画が断念されて全て解体されていたのであります。
そのうちの8両が銚子電鉄に譲渡される計画だったし。
伊予鉄道の610系は、全て2両編成であります。
地下鉄丸ノ内線で活躍していた赤い454号車は、目黒区にある日出幼稚園で保存されていたけど、園舎の改築工事により、千葉県いすみ市にあるポッポの丘に引き取られていました。
ポッポの丘には、銚子電鉄で活躍していた701号車や702号車も展示されています。
後は、かつて房総地区で活躍し、銚子駅にも乗り入れていた113系や183系も静態保存されているので、房総の鉄道コレクションともなっているし。
民宿夢ハウスあずさ号(長野県上田市)にあったクハ183-21号車(房総特急一筋で運転されていた車両)のカットボディも、ポッポの丘に移設され、クハ183-1527号車の横で展示されています。
クハ183-21号車を含めた183系の6連は、2005(平成17)12月まで活躍していた貫通ドア付きの183系0番台のうち、幕表示で原型を保っていたので、1999(平成11)年と2002(平成14)年に銚子電鉄に乗りに行った時を思い出しました。
しおさい号だけでなく、昨年3月に廃止されたあやめ号(東京から成田線経由で鹿島神宮、銚子を結んでいた列車)や2004(平成16)年10月にあやめ号に統合されていたすいごう号にも使われていたし。
2002年は初めて外川まで行った時でもありました。
183系0番台は8両編成がLED表示となっていたけど、こちらの表示は、さいたま市にある鉄道博物館で実演用として展示されています。
昨年3月に廃止された、E257系500番台によるしおさい号の間合いの普通列車運用(成東~銚子間)は、銚子電鉄に乗りにいく時の楽しみだったけど、それが廃止されてからはつまらなくなっています。
その代わりに銚子駅に早く着くルートを選ぶことが出来るようになったし。
特急しおさい号自体は残されているけど、銚子発着の定期運用が255系(房総ビューエクスプレス、グリーン車付きの9両編成)による全区間特急運用に統一されています。
1002号車の復刻丸ノ内線塗装には、ドア上に銚子⇔外川の表示があるので、方南町支線には無かった組み合わせでありました。
方南町支線の車両の側面に、中野坂上⇔方南町の表示が付くようになったのは、1993(平成5)年に02系の導入により本線から転用された500形からであり、当時は本線運用と混在していたことによる誤乗防止の為に取り付けられていたのであります。
丸ノ内線の02系と言えば、一部の編成でリニューアル化によりサインウェーブ帯が復活しているし。
このように、銚子電鉄で、丸ノ内線塗装の1002号車を再び撮影することが出来て良かったです。