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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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東急池上線の1017F(T.K.K.スタイル)3 車内の様子

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続いては、5月5日に撮影した、東急池上線の1000系のT.K.K.スタイル塗装の1017F(きになる電車)の車内の様子です。


こちらは、新7000系や1000系1500番台と同様の木目調の内装であるけど、都電荒川線の9000形と同様に、レトロ感が濃くなっています。


このことで、電車とバスの博物館のB館にあるデハ510号車の内装を思い出しました。


デハ510形は、1989(平成元)年3月18日の引退当時は、旧3000系列のデハ3450形と呼ばれていたけど、1017Fのような復刻ツートンカラーとなっていたのは、3452,3472,3484Fの3編成でした。


1989年3月11日に池上線が7200系または7600系に統一されていたので、同年3月11日から18日までの間の目蒲線は、旧3000系列オンリーで運転されていました。


そのうちの3472Fは、同年8月まで池上線での予備車として残されていたし。


旧3000系の定期運用が終了した翌日の1989年3月19日は、目蒲線が旧7000系と7700系により4両化され、池上線の荏原中延駅が地下化されていました。


今から40年前の1976(昭和51)年4月25日に発売され、大ヒットしていた西島三重子氏によって歌われていた「池上線」という曲は、♪古い電車のドアのそばという歌詞から始まっているので、当時池上線で活躍していた旧3000系列がイメージされていたことが分かります。


2012(平成24)年10月6日に池上駅付近の池上会館で行われた池上線開業90周年まつりで、西島三重子氏による「池上線」のアンサーソングである「池上線ふたたび」が発表され、同年11月7日に発売されていました。


この曲は、池上線開業90周年記念により作られた曲でもあり、現在の1017Fに例えたくなるような感じがしてきます。


イベント当時は、7700系7910F(一昨年5月に廃車となった、クラシックスタイルだった編成)による池上線開業90周年記念号が運転されていたし。


東急池上線は、1922(大正11)年10月6日に、池上本門寺への参拝客輸送の為に、前身の池上電気鉄道によって、蒲田~池上間が開業したのが始まりであり、1923(大正12)年5月4日には雪が谷(雪が谷大塚駅の前身)まで延長されていました。


1927(昭和2)年8月28日には、桐ヶ谷(現在は廃止、大崎広小路~戸越銀座間にあった駅)まで、同年10月9日には、大崎広小路までそれぞれ延長され、翌年の1928(昭和3)年6月17日に五反田まで延長されたことにより、全通していました。


桐ヶ谷駅は、空襲によって被害を受けた駅であり、復活することもなく廃止されていたけど、都営6号線→三田線の直通計画により復活も検討されていました。


このルートは、目黒経由に変更されていたので、西高島平から先の東武東上線との連絡線と共に幻となっていたし。


池上本門寺では、毎年10月12日前後にお会式が行われ、増発されることになります。


池上線は、お会式に合わせて開業した路線でもあるし。


きになる電車の吊革は、木製であるので、座れなかった時に握る楽しみがあります。


蒲田から乗った時に池上で降りる人が多いので、最初に開業した池上~蒲田間で高い乗車率を誇っていることが分かります。


お会式の時は、池上~蒲田間が特に混雑することになるし。


この1017Fは、東急多摩川線にも入ることがあるので、かつての目蒲線を彷彿とさせる状態となります。


目蒲線物語という曲は、1983(昭和58)年におおくぼ良太氏によって歌われたコミックソングであり、♪僕の名前は目蒲線という歌詞が有名でありました。


目蒲線は、1923(大正12)年11月1日に、前身である目黒蒲田電鉄によって丸子(現、沼部)~蒲田間が開業してから、2000(平成12)年8月5日まで使われていた路線名であり、1923年3月11日に目黒~丸子間が開業した当時は目黒線(初代)と呼ばれていました。


こちらは東急線の発祥路線でもあるし。


当時は東急ではなく目黒蒲田電鉄の路線だったので、東急目黒線の路線名は、2000(平成12)年8月6日の2代目から使われていることが分かります。


御嶽山駅は、蒲田寄りで真下を東海道・山陽新幹線と横須賀線・湘南新宿ラインが通っています。


東急多摩川線の沼部駅でもこれらの路線と交差しているけど、逆となっているし。


東急多摩川線の路線


多摩川~沼部~鵜の木~下丸子~武蔵新田~矢口渡~蒲田


矢口渡の駅名は、1949(昭和24)年に多摩川大橋が出来るまで、周辺にあった多摩川の渡し船の矢口の渡しが由来となっているけど、現在でも運航されている矢切の渡し(葛飾柴又と松戸市を結ぶ貴重な渡し船)と名前が似ていて紛らわしいという問題もあります。


武蔵新田駅は、むさししんでんではなく、むさしにったと読むことになるし。


武蔵小杉駅と羽田空港を結ぶ空港リムジンバス(東急バス新羽営業所と京浜急行バス京浜島営業所による共同運行)は、途中田園調布本町、久が原駅入口、武蔵新田駅を経由するけど、武蔵新田駅と羽田空港を乗換なしでぶ唯一の交通機関となっています。


東急多摩川線の矢口渡~蒲田間を地下化し、蒲田駅と南蒲田駅(京急蒲田駅の南側)を経由してから大鳥居駅で京急空港線と接続させる蒲蒲線構想があり、それが実現すれば東急東横線の渋谷(地下鉄副都心線、東武東上線、西武池袋線)との直通運転が行われることが予想されるけど、軌間が異なること(フリーゲージトレインなら解決可能)、多摩川~矢口渡間のホームの問題など、課題となる点が多いです。


蒲田駅と羽田空港の間は、京浜急行バスで結ばれているほか、京急蒲田駅まで歩いて行くことも可能であるし。


このように、1017Fに乗り、その車内の様子を撮影することが出来て良かったです。






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