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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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東急池上線の7700系 7914F

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5月5日は、多摩川から蒲田まで、東急多摩川線の7700系(旧7000系から改造された車両)の7914Fに乗車しました。


東急多摩川線で、多摩川線ではなく、東急多摩川線が正式な名称である理由は、西武多摩川線(武蔵境~是政間、西武鉄道の孤立路線)と混同しやすいことや、かつて存在していた東急玉川線(渋谷~二子玉川園(現、二子玉川)間と三軒茶屋~下高井戸間の支線、現在は世田谷線となっている)や玉川線の跡に出来た東急新玉川線(現在の田園都市線の一部)と区別する為であります。


自分(しゃもじ)も、西武多摩川線のことを多摩川線ではなく、西武多摩川線と書くようにしているし。


東急7700系は、1987(昭和62)年から1991(平成3)年に掛けて、旧7000系の4連14編成56両が、冷房化及びVVVF化により車体更新されたもので、1987年8月1日に営業運転が開始された当時は、4+2の6連で大井町線で活躍していました。


1989(平成元)年3月には、正規の4両編成での目蒲線での運用となり、2000(平成12)年8月まで目蒲線で使われていたし。


1995(平成7)年3月には、7913Fと7914Fが7200系とのトレードにより3両化の上で池上線に移り、当時存在していた東横線の8000系や、池上線の7600系と同様の歌舞伎顔に変更されていました。


後に7912Fも池上線に移っていたけど、サハ7962号車は電装化されていたし。


7913Fと7914Fから抜かれた中間車(サハ7963号車と7964号車)は、先頭車改造され、電装化された元7912Fのサハ(デハ7965号車)とドッキングさせた7915F(1000系もどきの7700系)となり、1996(平成8)年8月26日から2010(平成22)年に新7000系の7106Fに置き換えられるまで異端車として活躍していました。


池上線がワンマン運転となったのは、1996年3月16日のことであり、7200系が7700系とトレードされていたのはその為であるし。


2000(平成12)年8月6日には、目蒲線が、目黒線と東急多摩川線に分割されてからは、7200系が全廃となり、7700系は、7904,7909,7911Fを除いて3両化の上で東急多摩川線、池上線に転用されたけど、前面表示のLED化、ワンマン改造程度で、前面赤帯のままとなっています。


7912~7914Fであったような側面の行先表示の新設は見送られていたし。


7904,7909,7911Fは、先頭車のみが、7200系の2両(7211号車と7259号車)と共に十和田観光電鉄線(青森県、東北本線→青い森鉄道線の三沢駅と十和田市駅を結んでいた路線)に譲渡されたけど、当時はVVVF車が初めて地方私鉄に譲渡されたことで話題になっていました。


2012(平成24)年3月に十和田観光電鉄線が廃止された後、7700系は廃車となり、両運転台車に改造された7200系は、大井川鐵道(静岡県)に再譲渡され、昨年2月23日に営業運転入りしていました。


大井川鐵道は、昨年8月31日に名鉄グループから離脱され、エクリプス日高(北海道新ひだか町にあるホテル再生業者)によって再建されています。


これにより、名鉄グループの鉄道会社は、名古屋鉄道(名鉄、愛知県、岐阜県)、豊橋鉄道(愛知県、元東急7200系もあり)、北陸鉄道(石川県、元東急旧7000系もあり)の3社となっているし。


十和田観光電鉄線が廃止された理由は、2010(平成22)年12月4日の東北新幹線の新青森への延長と共に七戸十和田駅が出来たことにより利用客が更に減少したという影響もあります。


七戸十和田駅は、1997(平成9)年5月に休止、2002(平成14)年8月に正式に廃止された南部縦貫鉄道(現、南部縦貫)南部縦貫鉄道線(野辺地~七戸間)が通っていた七戸町にある駅であり、南部縦貫鉄道線の営農大学校駅は、七戸十和田駅から最も近い場所にありました。


七戸十和田駅への接続構想もあったけど、廃止と共に幻となっていたし。


七戸駅跡には、1962(昭和37)年の開業の時から使われていた元祖レールバスのキハ101号車と102号車が動態保存されています。


こちらは富士重工業製で、日野のエンジンが搭載された車両で、通常のバスと同様にギアチェンジが行われていました。


富士重工業は、レガシィやインプレッサなどのスバル(SUBARU)ブランドの乗用車が主力となってきたことによりスバル化してきた為に、創業100周年を迎える来年4月1日に、株式会社SUBARUに社名変更されることになっています。


東急7700系は、7901,7902,7903,7905,7906,7907,7908,7910,7912,7913,7914Fが東急多摩川線、池上線に継承され、7915Fを含めた12編成が在籍していました。


2010(平成22)年には、前述の通り、7915Fが7106Fの導入によって廃車となり、翌年の2011(平成23)年には、歌舞伎顔だった7913Fも廃車となっていました。


2014(平成26)年から2015(平成27)年に掛けて、1000系1500番台の導入により、7908,7910,7907,7902Fの順に廃車となり、現在は、7901,7903,7905,7906,7912,7914F(うち、7912Fと7914Fは歌舞伎顔)の6編成が残されています。


そのうちの7910Fは、種車が7001Fだったことによる7000系クラシックスタイルとなっていたことで有名でありました。


7600系の7601Fと7602Fも、1000系1500番台によって置き換えられていたけど、最後まで残っていた7601Fは、昨年2月の運用離脱まで7200系クラシックスタイルとなっていたし。


7914Fは、1991(平成3)年に一番最後に7700系化改造された編成であり、種車は、クハ7914号車がデハ7027号車、デハ7814号車がデハ7120号車(どちらも1964(昭和39)年製)、デハ7714号車がデハ7062号車(1966(昭和41)年製)となっています。


旧7000系自体は、1962(昭和37)年から1966(昭和41)年まで134両製造されたもので、2011(平成23)年11月まで京王井の頭線で活躍していた3000系と同期でありました。


東急から旧7000系が全廃となったのは、2000(平成12)年3月のことで、7052+7057号車が通勤線化される前のこどもの国線専用車として、前年の1999(平成11)年まで使われていました。


こちらは、世田谷線を除いた東急の路線で最後の非冷房車だったし。


その後、製造元である東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)に移り、入替用車として使われていたけど、現在はそのうちの7052号車(1965(昭和40)年製)が、5200系(1958(昭和33)年に日本初のステンレス車として試作された旧5000系のステンレスバージョン)の5201号車と共に東急車輛産業遺産として静態保存されています。


佐久間レールパークで保存されていた0系新幹線の21-2023号車(1985(昭和60)年製)の前頭部(東急車輛製)も、東急車輛製造→総合車両製作所横浜事業所で、東急車輛産業遺産として静態保存されているし。


7700系が14編成フルで活躍していた頃の目蒲線は、目黒、武蔵小山、西小山、大岡山、田園調布、多摩川園(現、多摩川)の各駅が地上駅であり、大岡山、田園調布、多摩川園駅が路線別に別れていました。

田園調布~多摩川間の複々線区間は、目黒線となった後も継承されているし。


東急電鉄では、今年度の事業計画が発表され、来年度を目処に田園都市線に新車が導入される予定となっているけど、どうなるのか気になります。


現在は新5000系の6ドア車の4ドア車への差し替えが行われているし。


6編成残る7700系はどうやって置き換えられるのかは分からないけど、乗車・撮影はお早めにということになります。


このように、東急多摩川線で、7700系の7914Fに乗車することが出来て良かったです。






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