続いては、5月19日に都電荒川線の三ノ輪橋電停で撮影した8500形8503号車による荒川区のPRラッピング電車を反対側から撮影したものです。右側にパンタグラフが来ているほうは、俳句のまちあらかわがテーマとなっており、松尾芭蕉や千住大橋などの奥の細道に関するイラストが描かれています。
奥の細道は、今から327年前の元禄2年3月27日(江戸時代、新暦は1689年5月16日)に松尾芭蕉が江戸(深川の芭蕉庵)を出発し、東北、日本海、北陸を回って大垣を目指していた旅であり、あちらこちらで俳句が生まれていました。
千住大橋には、芭蕉旅立ちの碑があり、行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪という歌碑があり、俳句のまち荒川のシンボルとなっています。
現在の千住大橋は、国道4号線(日光街道)が通っており、その北側に京成線の千住大橋駅があります。
千住大橋には、1968(昭和43)年2月までの間、都電の21系統(千住四丁目~三ノ輪橋~水天宮前間)が通っていたことで有名でありました。
1969(昭和44)年10月には、21系統の残りである三ノ輪橋~水天宮前間が31系統(三ノ輪橋~浅草橋駅前~東京駅経由~都庁前(丸の内)間と共に廃止され、三ノ輪橋は27系統(のちの荒川線)だけとなっていました。
これらの路線の三ノ輪橋電停は、日光街道上にあり、周辺に三ノ輪電車営業所がありました。
京成線と都電の乗換は、町屋駅前で行われているけど、千住大橋駅から日光街道を南下し、三ノ輪橋電停まで歩いて行くことが出来ます。
三ノ輪橋の由来は、音無川(石神井川の支流)に掛けられていた橋であり、暗渠化された後も都電の電停名にその名残があります。
三ノ輪橋で何処に橋があるんですか?と言われているけど、このように歴史に詳しい人でないと分からない状態であります。
日光街道の常磐線のガードの南側には、三ノ輪橋跡の碑があるので、その謎を解くことが出来るし。
バラのシーズンには、三ノ輪橋ならぬ三ノ輪バラ(三ノ輪薔薇)と呼びたくなるほど絵になる風景となるので、この時にバラをバックに8503号車を撮影することが出来たのであります。