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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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北総7300形による3社1局直通運転ヘッドマーク付き列車

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続いては、5月28日に、京成線の青砥駅で撮影した、北総鉄道(旧、北総開発鉄道)7300形7318Fによる3社1局直通運転ヘッドマーク付き列車による羽田空港国内線ターミナル(羽田空港)行きです。


北総7300形は、1991(平成3)年3月31日の京成高砂~新鎌ヶ谷間の開業及びそれに伴う京成線、都営浅草線、京急線との直通運転開始の時に7308Fと7318Fの2編成が北総開発鉄道(当時)によって導入された車両であり、同時期にデビューした親会社の京成電鉄の3700形(当時は3708,3718,3728Fの3編成が導入されていた)との姉妹車であることから、新3000形から始まった京成グループ統一規格が生み出されたきっかけとなっていました。


デビュー当時は、方向幕でスカートが取り付けられていなかったけど、現在は3700形と共にフルカラーLED化され、スカートが取り付けられています。


2003(平成15)年には、7050形(京成3150形のリース車)の2本のうちの1本の置き換え用として京成電鉄3700形の3808F(1997(平成9)年に日本車輌で製造された編成)が北総に7808Fとしてリースされ、昨年3月には、京成電鉄から3748Fが7818Fとしてリースされて、7260F(京成3300形のリース車)が置き換えられて現在に至っています。


北総開発鉄道によって導入された7300形のオリジナル編成(7308Fと7318F)と、京成からのリース車の違いは、前者が種別表示が出っ張っていること、車内の車両番号表示が白地にベージュ文字であること、禁煙表示が禁煙 NOSMOKINGの表示だけであること、3700形の初期形と同様に車椅子スペースがないこと、シングルアームパンタに交換されていることなどであります。


京成の3700形までは、禁煙 NOSMOKINGの表示の下ににリブレ京成の広告があるけど、北総にリースされた2編成もこうなっています。


車体の帯のデザインは、2006(平成18)年2月に導入された7500形(京成新3000形の北総バージョン)に準じたスリットデザインが描かれています。


北総線の路線


(京成線、都営浅草線、京急線へ直通運転)←京成高砂~新柴又~矢切~北国分(堀之内貝塚)~秋山~東松戸~松飛台(八柱霊園)~大町(市川市動植物園)~新鎌ヶ谷~西白井~白井~小室~千葉ニュータウン中央~印西牧の原~印旛日本医大(松虫姫)


特急(平日朝の上りと夜の下りのみ運転)の停車駅


京成高砂~東松戸~新鎌ヶ谷~西白井~白井~小室~千葉ニュータウン中央~印西牧の原~印旛日本医大


急行(平日夕方の下りのみ運転)の停車駅


京成高砂→新柴又→矢切→東松戸→新鎌ヶ谷→西白井→白井→小室→千葉ニュータウン中央→印西牧の原→印旛日本医大


北総線でのアクセス特急の停車駅


京成高砂~東松戸~新鎌ヶ谷~千葉ニュータウン~印旛日本医大


乗換駅


京成高砂 京成本線(京成上野、押上、京成船橋、京成成田方面、京成線、都営浅草線、京急線へ直通運転)、京成金町線


東松戸 JR武蔵野線


新鎌ヶ谷 新京成線、東武アーバンパークライン(野田線)


印旛日本医大 北総線の列車⇔アクセス特急(成田湯川、空港第2ビル、成田空港方面)


北総線は、1979(昭和54)年3月9日の北初富~新鎌ヶ谷信号所~小室間から開業。当時はゲンコツ電車として親しまれていた7000形の6両編成が使われ、新京成の松戸駅までの相互乗り入れが行われていました。


1984(昭和59)年3月19日には、住宅・都市整備公団(現、都市再生機構)によって千葉ニュータウン中央まで延長され、住宅・都市整備公団所有の2000形(のちの9000形)が導入されていたし。


1991(平成3)年3月31日には京成高砂~新鎌ヶ谷間(同時に新鎌ヶ谷信号所が駅に昇格)が開業し、7300形と7150形(元京急旧1000形)が導入されたと共に、京成線、都営浅草線、京急線との直通運転が行われるようになったことで話題になっていました。


新京成との直通運転は、翌年の1992(平成4)年7月8日の新京成線の新鎌ヶ谷駅の開業まで継続されていたけど、それまでの間7300形も松戸に乗り入れていたこともありました。


7150形は松戸に乗り入れていなかったし。


元京急1000形は、2010(平成22)年6月に本家京急から引退したけど、そのうちの1351号車と1356号車が保存前提により京急ファインテック久里浜事業所の片隅に置かれています。


本家京急の旧1000形も、現在と同様に8連が北総線に乗り入れていたこともありました。


1991年当時は、京急川崎~千葉ニュータウン中央間での運転が主体で、都営地下鉄の5300形も同時にデビューしていました。


1993(平成5)年4月1日には、北総線の急行の新設と共に京急空港線の穴守稲荷~羽田(現、天空橋)間が開業した当時は、6両編成までしか入れなかった為に北総車が乗り入れることが出来ず、8両編成で冷房車の5300形も乗り入れることが出来なかった為に、非冷房車だった5000形の6両編成が主体となってしまったことにより、夏場は大幅にサービスダウンとなってしまいました。


このことは、1987(昭和62)年8月25日に東武東上線と地下鉄有楽町線との相互乗り入れが開始された当時、非冷房車だった営団地下鉄の7000系が乗り入れていたことと同様に非冷房車の復活騒動でありました。


その翌年の1994(平成6)年12月10日には、京急空港線の8両編成乗り入れ解禁により、都営5300形や北総の車両も羽田まで乗り入れようになり、このような問題が解決されていたし。


1995(平成7)年4月1日には、公団線が印西牧の原まで延長され、それに伴う増備車としてC-Flyerこと9100形が導入されていました。


同年7月2日には、都営5000形が全廃となったけど、末期は8連組み替え車だけが残り、印西牧の原まで乗り入れていなかったです。


都営5000形のうち5069号車は、渋谷区西原にある東京消防庁消防学校での地下鉄火災訓練用として使われています。


1998(平成10)年3月14日にJR武蔵野線の東松戸駅が、翌年の1999(平成11)年11月25日に東武野田線の新鎌ヶ谷駅が開業し、乗換駅へ。


当時は急行や2001(平成13)年9月15日に新設された特急が東松戸駅に止まらなかったけど、待避線が完成した2009(平成21)年2月14日から止まるようになっています。


2000(平成12)年7月22日には、都市基盤整備公団により印旛日本医大まで延長され、北総線の車両基地が西白井から印西牧の原駅の東側(印旛車両基地)に移転されていました。


あれから10年経った2010(平成22)年7月17日には、成田スカイアクセス線(印旛日本医大~成田湯川~空港第2ビル~成田空港間)が開業し、京成高砂~印旛日本医大間で線路が共用されるようになったことで現在に至っています。


北総開発鉄道が北総鉄道になったのは、2004(平成16)年7月1日のことで、小室~印旛日本医大間が都市基盤整備公団から京成グループの千葉ニュータウン鉄道に譲渡され、北総・公団線から北総線に変更されています。


北総鉄道の車両は、都営の5300形と同様に120Km/h運転に対応していないので、アクセス特急に使うことが出来ないので、印旛日本医大より先に進めない車両となっています。


飛行機の翼がイメージされた帯の7300形や7500形は、羽田空港に乗り入れることが出来ても、成田空港に乗り入れることが出来ないのはその為であります。


京成の車両は、アクセス特急非対応の編成も、京成本線経由で成田空港まで乗り入れているし。


北総の車両は、1999(平成11)年7月まで新逗子まで乗り入れていたことがあったけど、現在は京成の車両と同様に京急は羽田空港までの乗り入れに限定されています。


3社1局直通運転開始25周年は、北総も加わったことにより実現していたので、同時期にデビューした7300形への取り付けが相応しいと思っています。


車両メーカーは7308Fが東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)、7318Fと京成からのリース車がある7808,7818Fも日本車輌製で。銘板変更後に落成した7808Fだけ日本車両の白いプレートとなっています。


北総7500形は7501Fが東急車輛、7502,7503Fが日本車輌製となっているし。


このように、25周年記念ヘッドマーク付きの北総7300形を撮影することも出来て良かったです。


今日(6月15日)は、千葉県民の日ということでこのことを話題にしました。






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