6月18日は、日暮里から青砥まで、京成電鉄の3400形(サンヨン、旧AE形初代スカイライナーの足回り品流用車)の3408Fによる、京成本線経由の特急成田空港行きに乗りました。
京成3400形(サンヨン)は、1993(平成5)年から1995(平成7)年に掛けて、旧AE形(3代目開運号→初代スカイライナー)の足回り品再利用の上で、3700形(サンナナ)に準じた普通鋼製の車体に載せ替えられた車両で、種車と同じ8連5編成40両が、大榮車両で更新されていました。
更新当時は、先行落成していた6両での普通列車で使われていたこともあったし。
1999(平成11)年5月から9月までの間は、3414,3415号車の制御機器不具合により、3418Fが6連に戻されていたこともありました。
ベースとなった3700形(サンナナ)との違いは、普通鋼製であること、クーラーの形状が異なること、行先、種別表示が未だ幕式であることなどであり、この塗装は、昨年2月末まで活躍していた3300形以前の赤電系統の車両を彷彿とさせます。
京成の通勤型車両で初めて車椅子スペースが導入されたのはこの3400形であり、1994(平成6)年以降に導入された3700形の3738F以降にも踏襲されているし。
3408Fは、1993(平成5)年に、旧AE形のトップナンバー編成だったAE10Fの足回り品流用の上で更新された車両で、3400形のトップナンバーでもあり、2002(平成14)年に北総鉄道に貸し出されていたこともありました。
旧AE形は、1972(昭和47)年にAE10F~50Fまでの5編成(6連5本30両)から導入されていたけど、翌年の1973(昭和48)年に予定されていた新東京国際空港(現、成田国際空港)の開港が延期されていた為に出鼻をくじかれ、同年12月30日に京成上野~京成成田間の有料特急で暫定的にデビューしていました。
先頭が非貫通のTc車だったので、都営浅草線はおろか、京急線に乗り入れることが出来なかったです。
1977(昭和52)年にAE60Fが、1978(昭和53)年にAE70Fが導入され、同年5月21日の成田空港の開港により、スカイライナーとして本格的にデビューしていたのであります。
1990(平成2)年には、AE100形の導入に伴う8連化により、6連7本42両から8連5本40両(AE10,20,50,60,70F)に組み替えられ、編成解体されたAE30FとAE40Fのうち、AE40Fの先頭車(AE31号車と40号車)が中間車化、電装化されてAE64,65号車としてAE70Fに組み込まれ、余剰となったAE30Fの先頭車(AE21号車と30号車)が解体されていました。
1991(平成3)年から1993(平成5)年に掛けて、AE100形(2代目スカイライナー)に順次置き換えられ、最後まで残ったAE70Fが、1992(平成4)年7月に予備車に回され、翌年の1993(平成5)年6月27日にはさよなら運転を迎えていました。
AE70Fは、3400形の3448Fに更新されたけど、そのうちのモハ3444号車と3445号車は、前述のAE64号車とAE65号車から更新されていたので、純平成生まれの車両となっています。
AE70Fの成田空港寄りに連結されていたAE61号車(先頭車)は、宗吾車両基地でメモリアル車として静態保存されているけど、台車が3400形に流用された為に、旧3050形の3051号車に使われていたKS-116形台車に履き替えられているので、ミスマッチな感じがします。
こちらは、東武鉄道の1720系(DRC、デラ)のトップナンバーである1721Fが保存される時に、200系りょうもう号に取られた台車が、2000系(初代日比谷線直通用車)に転用されていたアルストム台車(2000系の廃車後に奪い返されていた)に履き替えられたことと同様であります。
1720系の初期型のアルストム台車は、途中からS型ミンデン台車(200系りょうもうにも受け継がれている)に履き替えられ、2000系に転用されていたし。
旧AE形の時代には、先頭が付随車(Tc車)だったので、京急線への乗り入れの条件を満たすために、先頭車が電動車(Mc車)となり、中間車の3号車と6号車が付随車(T車)となっています。
1991(平成3)年3月19日から1995(平成7)年3月31日までの間は、京成の車両が三崎口まで乗り入れていたこともあり、3400形も使われていました。
こちらは京成成田~三崎口間の運用で、都営の5300形に受け継がれているし。
京成車の京急乗り入れは、北総車と同様に、専ら羽田空港国内線ターミナル(羽田空港)発着となっているけど、京急乗り入れ条件である先頭M台車の3700形、3400形、新3000形(50番台を含む)に限定されています。
先頭Tc車の3600形の都営線乗り入れが西馬込発着に限定されているのは、その為であるし。
3500形の更新車は、先頭M台車化されているので、4+4の8連だった頃に、京急に乗り入れていたこともありました。
旧AE形から3400形に更新されてからは、都営浅草線にも乗り入れるようになったことで、地下鉄乗り入れ非対応だった旧AE形に出来なかったことが出来るようになったんだなと思いました。
3400形の足回り品は、旧AE形譲りの界磁チョッパ制御で、独特な音がするけど、これに乗った時に、旧AE形の走りっぷりを想像してしまいます。
この音は、同期の1972(昭和47)年にデビューし、2011(平成23)年3月に全廃となった京王6000系に準じていたし。
京王6000系は、30番台の編成(京王れーるランドにある6438号車を含む)が、都営新宿線の本八幡まで乗り入れていたことがあったので、本八幡、京成八幡との繋がりもありました。
VVVF化される前の京王7000系も同じような音となっていたし。
京成3600形も、VVVF化された6両組み替え車を除いて界磁チョッパ制御となっています。
京成旧AE形から3400形に更新された理由は、足回り品が未だ使えることだけでなく、3700形を導入するよりもコストが安かったことなども挙げられています。
全てLED化された3700形とは異なり、未だ方向幕であるであることにより、LED車よりも撮影しやすい点もあるところも見逃せないです。
3400形は北総線の印旛日本医大まで乗り入れることもあるけど、成田スカイアクセス線乗り入れは非対応となっています。
今年度中に新3000形の8連2本と6連1本が導入される予定であり、3500形未更新車の残りの3588Fと共に、3400形が置き換えられる確率が高くなっています。
1993(平成5)年から1999(平成11)に掛けて旧101系の足回り品流用により車体載せ替え更新された西武鉄道の9000系も、4ドア化の推進や、コスト削減に伴う更新となっているけど、現在は全てVVVF化されています。
京成電鉄は、南海電気鉄道や阪急電鉄と共に、三和グループの一員であり、みどり会の会員企業でもあり、南海電気鉄道(南海)に関しては、JR西日本と共に、関西国際空港へのアクセスにも使われています。
バス会社の国際興業や車両メーカーの日立製作所も三和グループ(みどり会会員)となっているし。
因みに、京浜急行電鉄(京急)や東武鉄道(旧、根津財閥)は、芙蓉グループ(みずほフィナンシャルグループ、旧、富士銀行)の系列であります。
京成の日暮里駅は、以前JR常磐線のホームと隣り合った1面2線の島式ホームだったけど、2009(平成21)年10月3日に下りホームが上の部分に移設され、これまでのホームが上り列車(京成上野行き)専用の0番線に転用されていました。
日暮里駅の下りホームは、1番線がライナー系(スカイライナー、イブニングライナー、シティライナー(現在は不定期化されている))専用ホームで、それ以外の一般列車は、2番線からの発車となります。
京成の下りホームの空いたスペースにより、JR常磐線のホーム(3,4番線)が拡幅されていたので、JR横浜駅の横須賀・総武快速線と湘南新宿ラインのホーム(9,10番線)が、東急東横線の横浜駅の地下化により、空いたスペースで拡幅されていたことと同様であります。
日暮里駅で撮影した時に明るいなと思ったのはその為であるし。
京成3400形は、5編成と少ないので、早めの乗車、撮影をお薦め致します。