こちらは9月20日に、箱根登山鉄道の箱根湯本駅で撮影した、1000形1003F(ベルニナ復刻塗装)による強羅行きです。
この日は、1003Fが入生田の車庫(入生田検車区)で昼寝していた為に撮影出来ないことが懸念されていました。そんな中、入生田車庫から出庫し、箱根湯本駅の4番線(臨時ホーム)で待機してから塔ノ沢(強羅)寄りの留置線に入り、ここから3番線に入った上で営業運転が行われていたので、撮影出来たのであります。
箱根湯本駅の4番線は、2006(平成18)年3月17日まで、5番線として強羅からの小田原行き(登山線の直通列車)に使われていたけど、現在は4番線として、臨時ホームに転用されています。
この臨時ホームは、普段一般乗客の立入が出来ない状態であり、構内踏切の部分に柵が掛かっています。
2006年3月17日までは、小田原または入生田車庫から強羅方面のホームである4番線(現、3番線)に入ることが可能だったけど、小田原~強羅間の直通運転廃止(箱根湯本駅で系統分割)によって、入生田への出入庫が4番線(旧5番線)側でしか出来なくなっています。
2番線は、かつて新宿~箱根湯本間の直通急行があった絡みで6両編成まで入ることが出来ていたけど、2008(平成20)年3月15日に新宿~箱根湯本間の直通急行の廃止及び4両編成への短縮により、小田原(一部、新松田)~箱根湯本間の4両編成に統一され、車止めが移設されて現在に至っています。
小田急ロマンスカーの箱根湯本発着は、1番線に限定されているので、ダイヤが乱れた時には運用のやりくりがしにくくなってしまいます。
小田急線のダイヤが大きく乱れた時にロマンスカーが運休となるのもそのはずであるし。
箱根湯本駅の2番線は、改良後の風祭駅と同様に4両編成までしか入れないので、6両編成以上しかない小田急新3000形の箱根湯本乗り入れは、新宿~箱根湯本間の急行の廃止と共に過去のものとなっています。
10両固定編成しかない小田急新4000形は、箱根湯本に入ることはなかったということになるし。
小田急8000形の4連は、車体更新により、8000形同士の6+4編成で使われるのが基本となったので、小田原~箱根湯本間の各停は、小田急1000形の4連(原則的に箱根登山塗装)に統一されていたのであります。
箱根板橋駅は、1面2線の島式ホームであり、下り線側に登山電車専用ホームがあったけど、撤去されずに残されているので、登山電車の車両が小田原まで乗り入れていた頃の名残があります。
このことで、2005(平成17)年3月に名鉄美濃町線が廃止されるまでに存在していた田神駅(名鉄各務原線)の美濃町線(岐阜市内線系統)直通列車(名鉄田神線、田神~競輪場前間)の低床の専用ホーム(現在は撤去されている)が、各務原線ホームの横にあったことを思い出しました。
新岐阜(岐阜市内線系統廃止直前に名鉄岐阜駅に改称された)には、美濃町線専用の低床ホームがあったので、小田原駅に登山電車専用のホームがあったことに似ています。
こちらはかつての京阪三条駅(京阪本線と京津線が一緒になっていた時代)にも似ていたし。
名鉄の岐阜市内線系統の路線は、2005年3月末をもって全廃となってしまったけど、同年3月19日に乗りに行ったのが最初で最後となってしまいました。
2005年3月19日と言えば、後述の小田急50000形ロマンスカーのVSE車がデビューした日でもあるし。
登山電車の車両が小田原まで乗り入れていた頃は、小田原~箱根湯本間が三線軌条(標準軌(1435mm)の登山電車と、狭軌(1067mm)の小田急線からの直通列車兼用)となっていたけど、箱根登山鉄道の箱根湯本での系統分割により、小田原~入生田間が狭軌だけとなり、登山電車の出入庫列車が通過する入生田駅の上り線(入生田車庫)側と入生田~箱根湯本間が三線軌条で残されているのであります。
三線軌条と言えば、今年3月26日に開業した北海道新幹線の青函トンネル(津軽海峡線)区間にも生かされており、こちらは貨物列車との兼用の絡みによりこうなっているし。
登山電車の車両が小田原から撤退し、箱根登山~強羅間での登山区間に統一された理由は、運用の効率化、小田原~箱根湯本間の車両の大型車への統一だけでなく、ダイヤ乱れ(特に小田急線)の影響を食い止めるからでもあります。
こちらは、JR川越線で、大宮~川越間(埼京線、りんかい線直通)と、川越~高麗川間(八高線)と、川越駅で系統分割されたことに似ています。
南古谷~川越間で、川越~高麗川間の4両編成(205系または209系)による出入庫列車が通るので、箱根登山線の入生田~箱根湯本間に似ているし。
一昨年導入された3000形のアレグラ号は、兵庫の川崎重工業からJR御殿場線の松田駅まで甲種輸送され、普段あさぎり号に使われている連絡線を通り、新松田から入生田まで、仮台車を履いたまま小田急1000形の牽引によって送り込まれていたので、営業運転では有り得ない小田原を通るシーンも見られていました。
以前は、小田急の電車と同様に小田原まで甲種輸送され、小田原駅で搬入または搬出作業が行われていたけど、小田原駅の改良工事により、JR線と小田急線の線路が切り離されたことにより、松田からの搬入または搬出となっているし。
箱根登山鉄道の1000形(ベルニナ号)も、2000形(サン・モリッツ号)や3000形(アレグラ号)と同様に川崎重工業製であり、当時は兵庫から小田原まで甲種輸送されていたし。
川崎重工業製の鉄道車両(車両カンパニー)のプレートでは、川崎重工から、カワサキブランドのオートバイ(自動二輪車)やジェットスキー(水上オートバイ)、モーターサイクル&エンジンカンパニーと同様のKawasakiのロゴマークに変わっており、アレグラ号もこうなっています。
小田原~箱根湯本間は、原則的に箱根登山鉄道の1001Fに準じた箱根登山カラー(赤いレーティッシュ鉄道塗装)の小田急1000形が使われるけど、希に従来塗装の小田急1000形(4両編成)が使われることもあります。
ベルニナ塗装は、1981(昭和56)年の1001Fのデビューの時から平成初期まで使われていたもので、当時は2両編成の非冷房車でした。
1003Fは、1984(昭和59)年にベルニナⅡとして導入された編成であり、モハ3形の113号車と115号車が置き換えられていました。
4番線に停車中の時は、良い感じで撮影することが出来ました。
ベルニナ復刻塗装は、2008年3月からこの1003Fで行われ、一時期1001Fと同じ従来塗装に戻されたけど、今年2月27日には再びベルニナ復刻塗装となっていました。
3両編成の1000形(中間は2202号車)とベルニナ復刻塗装の組み合わせは、リバイバルならではであります。
今回の箱根旅行では、箱根湯本 15時49分発の特急ロマンスカーはこね32号(50000形VSEによる運用、海老名駅にも停車)に乗って帰ったので、箱根を離れる前に1003Fによる強羅行きを初めて撮影することが出来たことで後味の悪い状態が解消されていました。
もしも先発のVSEであるはこね30号(箱根湯本 15時27分発)に乗って帰っていたら、1003Fによる強羅行きを撮影出来なかったところだったし、本厚木駅停車海老名駅通過列車だったことにより海老名駅に停車するロマンスカーの初乗車がお預けとなっていたところでした。
列車を1本遅らせても台風による影響がなかったことが救いであったし。
やはり箱根登山鉄道の1000形ベルニナ号には、ベルニナ復刻塗装が似合っていると思います。
このように、箱根を離れる前に、箱根登山鉄道の復刻ベルニナ塗装である1003Fを撮影することが出来て良かったです。