続いては、一昨日(6月4日に)、都電荒川線(東京さくらトラム)の早稲田電停で撮影した7000形の7022号車で、早稲田電停では、珍しく手前の降車専用ホームに到着していました。
都電の電車が早稲田に到着する時には、メインのホーム(乗車と降車で同じ線路で2両分停車出来る)が使われることが基本となっているけど、メインのホームが満車の時に手前の降車専用ホームで降車扱いが行われ、メインのホームが空いてから三ノ輪橋方式で回送されてから乗車扱いが行われることになります。
こちらは、阪堺電車の浜寺駅前電停(浜寺公園)で、メインのホームが満車の時に出前側(船尾電停側)にある降車専用ホームで降車扱いされることと同様であるし。
周辺にある南海電気鉄道(南海本線)の浜寺公園駅は、高架化される予定であり、昨年1月28日には、1907(明治40)年に建築されたユニークな駅舎が仮駅舎への移設により廃止されていました。
旧浜寺公園駅舎は、私鉄で最も古い駅舎で、諏訪ノ森駅の西口駅舎と同様に登録有形文化財に登録されていたし。
どちらも新駅正面に移築されることが決まっています。
阪堺電車は、1980(昭和55)年12月1日に2代目の阪堺電気軌道(阪堺電車)として独立される前は、南海電気鉄道の軌道線(路面電車)部門であったし。
その直前の1980年11月には、南海平野線(今池~平野間)や大浜支線(宿院~大浜海岸間)が阪堺電車に継承されることもなく廃止されていました。後者の大浜支線は、1949(昭和24)年に休止されたまま廃止されていたし。
南海平野線が阪堺電車に継承されずに廃止された理由は、1980年11月27日に大阪市営地下鉄谷町線の天王寺~八尾南間が開業した影響であり、阿倍野~平野間で重複しているので、入れ替わりになったことも言うまでもないです。
大阪市交通局(大市交)は、来年4月に地下鉄、新交通システム事業が民営化により大阪市高速電気軌道(東京メトロと同様の民営の地下鉄)に、バス事業は大阪シティバスにそれぞれ移行される予定となっているし。
今から7年前の2010(平成22)年6月6日には、都電荒川線と阪堺電車の提携により、都電の7511号車が阪堺塗装に、阪堺電車のモ502号車が7001号車と同様の都電塗装となっていたけど、前者は翌年の2011(平成23)年3月に阪堺塗装のまま廃車となり、後者は契約終了後に塗装変更され、現在は野村證券のラッピング電車となっています。
2010年6月6日には、荒川車庫で阪堺線の表示の7511号車と6086号車が並べられて展示されていたけど、同日に阪堺電車の大和川検車区(我孫子道)で行われたイベントでモ502号車がモ163号車(現在は休車中)と並べられていたことを聞きました。
自分(しゃもじ)は、同年7月24日に我孫子道から恵美須町まで都電塗装だったモ502号車に乗ったことを覚えています。
都電7000形は、1954(昭和29)年から1956(昭和31)年に掛けて、初代7001号車から7093号車までの93両製造された車両であり、そのうちの31両がワンマン車体に更新され、2代目の7001~7031号車に改番されていました。
7000形は、63年間の幕を閉じることになるけど、車体の一部が7700形として残ることになります。
都電のローレル賞の受賞は、1978(昭和53)年度の7000形更新車以来ない状態であり、7500形更新車、8500形、9000形、8800形が落選し、8900形や7700形は残念なことにノミネートされたかったです。
都電からは吊り掛けモーター車と共にローレル賞受賞車が姿を消していくことになるし。
都電7022号車は、6月11日のイベントで最後となる予定だけど、もう一度乗れる機会があることを信じています。
このように、三ノ輪橋から早稲田まで都電7022号車に乗り、手前の降車ホーム側で撮影することが出来て良かったです。
↧
カウントダウンを迎えた都電7000形7022号車 2 早稲田での出来事
↧