続いては、7月30日に、流鉄流山線の流山駅で撮影した、5000形5001F(元西武鉄道新101系273F)による流馬編成のさよなら列車の反対側(流山寄りの5001号車)の様子です。
こちらは、車体と同じ色のヘッドマークが取り付けられているけど、種車の西武クモハ273号車の時と同様の前パンタ車なので、撮影する楽しみがありました。
流鉄の5000系は、元西武新101系の2両付属編成だった271,273,275,277,287Fから改造された車両であり、5004F(3代目若葉編成)の種車である287Fだけが1979(昭和54)年の東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)製で、他は全て1982(昭和57)年の西武所沢工場製であります。
西武所沢工場は、1946(昭和21)年から2000(平成12)年まで所沢駅付近にあった車両工場(武蔵丘車両検修場の前身)であり、前年の1999(平成11)年までは車両の製造も行われていました。
こちらでは、通勤型車両だけでなく、西武5000系初代レッドアロー号の5507F以降及び、5501,5503,5505Fの増結用中間車や電気機関車なども製造されていたし。
東急車輛製造での西武の車両の導入は、1979年の新101系から行われ、1992(平成4)年から1995(平成7)年に掛けて導入された西武6000系のステンレス車の導入にも結び付いていました。
6000系が1996(平成8)年にアルミ車体の50番台に切り替えられてからは、特急用車両(レッドアロー号)での取引の実績のある日立製作所に製造が移行され、後継ぎとなる20000系や30000系(スマイルトレイン)にも受け継がれていたし。
1979年に西武鉄道の子会社である伊豆箱根鉄道(いずっぱこ)駿豆線(静岡県)に導入された3000系以降のオリジナル車両も東急車輛製造で製造され、ステンレス車両も導入されていたので、西武の車両と同じ流れが組まれています。
大雄山線(神奈川県)用の5000系も東急車輛製造製であるし。
西武鉄道から流鉄への譲渡車両の整備は、西武所沢工場→武蔵丘車両検修場で行われていたけど、2011(平成23)年6月5日に行われた西武・電車フェスタ2011では、譲渡に向けて整備されていた5003F(元西武277F)が流鉄のあかぎ塗装で展示されていたことを覚えています。
流鉄の初代なの花編成の5005Fは、西武時代は271Fで、末期にはツートンカラーが復元されていました。
新101系の2両付属編成は、パンタグラフ付き先頭車が飯能(西武新宿)寄りに来ていたので、パンタグラフが前に出た姿で活躍していたことが多かったです。
本家西武鉄道に残る新101系は、多摩湖線や西武多摩川線用のワンマン車両でリニューアルされているけど、そのうちの263Fは黄色塗装のままの4両オールM編成(255Fの中間車と279Fを組み合わせた編成)であり、E31型電気機関車に替わって車両の牽引に使われています。
車両の牽引に使われる時以外には、多摩湖線で営業運転が行われることもあるし。
261Fは、271Fと同様のツートンカラーにリバイバルされて多摩湖線で活躍していたけど、現在は他の編成と同様の白一色となっています。
今から8年前の2009(平成21)年5月26日に西武多摩湖線でツートンカラーだった261Fの撮影に行った時に、都電荒川線の8800形(8801号車と8802)がデビューしたばかりで都電に夢中になっていたので、都電以外の鉄道(しゃもじ用語で他電(たでん))を疎かにしませんと誓っていました。
現在は都電以外の列車の追っ掛けも多くなってきているので、当時の文章の通りでありました。
都電熱狂期のほうは、今年6月の7000形の全廃によりピークを過ぎていたし。
車内のほうは、西武多摩湖線と多摩川線でリニューアル化されているのに対し、種車のままとなっているので、西武線で乗っていた時のことを思い出しました。
西武新101系(その8両固定編成バージョンであった301系を含む)の非ワンマン改造車が最後を迎えたのは、2012(平成24)年12月9日のことであり、池袋線や多摩湖線や多摩川線を除いた新宿線系統から撤退していました。
101系の非ワンマン改造車は、種別表示や行先表示が前面にしかなく、手動式となっていたので、乗務員さんが手で回す風景が見られていたし。
流鉄に譲渡されてからは、行先表示がLED化されています。
と言っても、通常は馬橋行きと流山行きしかないので、2文字分しか表示されないことになっているし。
流鉄流山線は、馬橋~小金城趾間が松戸市、鰭ヶ崎~流山間が流山市であり、流山市は、都心から一番近い森のまちと呼ばれています。
流山市役所は、流山駅付近(東側)にあり、つくばエクスプレス線の流山セントラルパーク駅からも行くことが出来ます。
流山市は、1967(昭和42)年1月1日に出来た市であり、これまでは江戸川町→流山町となっていました。
流山町→流山市の前身江戸川町は、流山町、八木村、新川村の合併により出来た町であり、1916(大正5)年3月14日に開業した当時の流山駅は、流山町となっていました。
一方の松戸市のほうは、1943(昭和18)年4月1日に、松戸町、高木村、馬橋村の新設合併により出来た市であり、1954(昭和29)年10月15日に旧小金町の一部の地域が東葛市(現、柏市)から、1956(昭和31)年4月1日に沼南村(後の沼南町、現在の柏市)の一部の地域がそれぞれ松戸市に編入されていました。
柏市は、1954年9月1日に柏町、土村、田中村の新設合併により出来た東葛市が前身であり、その直後の11月15日に柏市となったのであります。
小金城趾駅は、その名の通り、小金城の跡の近くにある駅であり、すぐ近くを坂川の支流である新坂川が流れています。
小金城趾駅付近(小金城趾~鰭ヶ崎間)の有名撮影ポイントでは、新坂川をバックに撮影出来る人気の撮影ポイントであり、自分(しゃもじ)も以前このポイントで撮影したことがあります。
周辺には坂川橋梁があり、そこを渡る流鉄の電車も撮影することも出来るし。
小金城趾駅の駅舎は、東側にあった大金平県営住宅との一体となっていたけど、一昨年6月には、耐震性の問題により取り壊され、駅舎に至る階段だけが残されています。
自分(しゃもじ)が流鉄線に乗ったのは、2013(平成25)年4月28日の2005F(2代目なの花編成)のさよなら運転以来であり、流鉄から離れていた為に、小金城趾の住宅が撤去されていたことは知らなかったです。
2代目なの花号のうちのクモハ2006号車(旧西武758号車)は、松戸市の東松戸駅付近にある昭和の杜博物館で展示されているけど、方向幕に戻されています。
ここには、銚子電鉄で活躍していたデハ1001号車(元地下鉄銀座線の2046号車)も銀座線塗装のままで展示されているし。
さいたま市緑区(埼玉高速鉄道線の浦和美園駅付近)にあるほしあい眼科では、2代目の流馬編成と明星編成の前頭部があるので、流馬号の歴史を語り継ぐことも出来ます。
流山駅付近には、近藤勇(いさみ)陣屋跡などがあるので、2004(平成16)年に放送されたNHKの大河ドラマ「新選組!」の縁の地でもあります。
主人公であった近藤勇役は、当時SMAPで活躍していた香取慎吾氏によって演ぜられていたし。
2004年は、現在のステーション♪のメンバーである桜田初姫、足立未羽、北川愛莉各氏が生まれた年でもあります。
流山駅付近にある流山キッコーマン(キッコーマンの子会社)の流山工場は、マンジョウ本みりんなどが製造されているので、みりんの街としても知られています。
以前は、流山のみりん工場へも線路が繋がっていて、みりんを運ぶ貨物列車も運転されていたし。
流鉄線は昨年3月14日に開業100周年を迎えていたけど、同年3月12日に流山駅付近で100周年記念祭が盛大に行われていました。
乗客がつくばエクスプレスに押されて減少傾向にあるけど、101年間も走り続け、沿線住民に愛されていることは素晴らしいことだと思います。
流鉄流山線では、一日フリー乗車券(大人500円、小児250円)があり、馬橋~流山間1往復(400円)に途中下車を加えればお得となります。
平和台駅で途中下車した時に一日フリー乗車券が本領発揮したし。
このように、流山駅で流馬編成の反対側も撮影することが出来て良かったです。