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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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見納めとなった流鉄の流馬編成 流山駅

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7月30日は、平和台から流山までと、流山から馬橋まで、流鉄流山線の5000形5001F(元西武鉄道新101系273F)による流馬編成のさよなら列車に乗りました。

流馬編成の5001F(水色に白帯の電車)は、全般検査入場に伴い、塗装及び愛称名が変わることになるので、今回7月1日から30日までの間に前後異なるヘッドマークが取り付けられた上でさよなら運転が行われたのであります。

この時に惜別流馬、流馬最終という表示もあったので、西武時代の種別表示がイメージされていました。

これにより、1979(昭和54)年から1997(平成9)年まで活躍していた1200形の1203F(元西武501系509F)の初代流馬編成から受け継がれた流馬の愛称名及び塗装が見納めとなってしまいました。

流馬編成のさよなら運転(ラストラン)のことを聞いてえ、もう廃車なの!と思っていたけど、来年春に塗装及び愛称名が変わることを聞いて安心していました。

今回の3代目流馬編成のラストランに行ったことにより、2007(平成19)年11月18日の2代目流馬号の2004F(旧西武鉄道809F)の時から流鉄のラストランシリーズを制覇したことになりました。

1.2007(平成19)年11月18日、2004F(旧西武809F)の3両編成、2代目流馬編成

2.2009(平成21)年4月29日、2003F(旧西武745F)の3両編成、明星編成(柿色と白)

3.2010(平成22)年8月29日、3001F(旧西武135F)の3両編成、先代の流星編成(オレンジ色と白)

4.2011(平成23)年5月15日、3002F(旧西武131F)の3両編成、先代の若葉編成(黄緑色と白)、これをもって3000形(元西武101系)並びに3両編成、方向幕車が全廃されていました。

5.2012(平成24)年7月15日、2001F(旧西武803F)の2両編成、青空編成(紺色と白)

6.2013(平成25)年4月28日、2005F(旧西武757F)の2両編成、なの花編成(黄色と黄緑色)、これにて2000形(元西武701,801系)が全廃されていました。

7.2017(平成29)年7月30日、5001F(元西武273F)の3代目流馬編成

3代目流馬編成は、2010(平成22)年1月20日に、2両編成のワンマン運転への統一の時に導入された車両であり、同時期に3両編成だった3000形(元西武鉄道101系)の3001F(2代目流星編成)と3002F(2代目若葉編成)が定期運用から離脱されていました。

現在は5000形の2両編成5本10両体制となっているけど、以前は3両編成4本、2両編成2本在籍していたし。

3両編成はラッシュ時中心であり、流山花火大会の時の助っ人としても活躍していました。

3両編成をやめて2両編成のワンマン運転に統一された理由は、2005(平成17)年8月24日につくばエクスプレスが開業し、流山駅の東側に流山セントラルパーク駅が出来たことにより利用客が減っている影響もあります。

本数も6本から5本に減らされていたし。

流鉄流山線の路線

馬橋~幸谷~小金城趾~鰭ヶ崎(ひれがさき)~平和台~流山

馬橋駅は、JR常磐緩行線(上野方面へは全て松戸または北千住駅で乗り換え、地下鉄千代田線、小田急線に直通)

幸谷駅は、JR武蔵野線と常磐緩行線の新松戸駅への乗換駅であり、柏、我孫子方面へは幸谷駅での乗り換えが便利であります。

鰭ヶ崎~平和台間では、つくばエクスプレスと地下トンネルで交差しているし。

流鉄流山線が開業したのは、1916(大正5)年3月14日のことであり、当初は流山軽便鉄道で、非電化(蒸気運転)のナローゲージ路線(762mm)となっていました。

当時の路線は、馬橋~大谷口~鰭ヶ崎~流山であり、大谷口駅は、小金城趾駅の馬橋寄りにありました。

電化されたのは、1949(昭和24)年12月26日のことであり、その半年前の6月1日に常磐線の松戸~取手間が直流電化された国鉄(現、JR東日本)からの電力購入で賄われていたし。

平和台駅は、1933(昭和8)年4月1日に開業した駅であり、開業当時は、赤城神社に因んで赤城駅となっていました。

1965(昭和40)年6月26日に赤城台駅となり、1974(昭和49)年10月1日には、平和不動産によって開発、分譲された平和台住宅地に因んで平和台駅に改称されていました。

小金城趾駅は、1953(昭和28)年12月24日に、大谷口駅に替わる駅として開業した駅であり、1967(昭和42)年7月1日に現在の1面2線の交換可能駅となっています。

幸谷駅は、1961(昭和36)年2月3日に出来た駅であり、1982(昭和57)年にはマンションの1階にある駅に移設され、新松戸駅から(へ)の乗り換えに便利な駅となっています。

新松戸駅は、1973(昭和48)年4月1日に国鉄武蔵野線の府中本町~新松戸間の開業と共に出来た駅であり、常磐線の駅も新設されていました。

流山駅は、馬橋駅と同様の1面2線の終着駅であり、車両基地や車両工場も併設されています。

列車の発着は東側の1番線で行われており、ラッシュ時は1番線と2番線で交互発着となっています。

日中は、2番線に車両が留置されている状態であり、この日は5005F(元西武271F)の3代目なの花編成が留置されていました。

かつて馬橋駅にも車両が留置されていたこともあったけど、運用本数の減少により見られなくなっているし。

流山駅に行けばカラフルな列車を一同に見ることが出来るのであります。

総武流山電鉄から流鉄となったのは、2008(平成20)年8月1日のことであり、2代目流馬編成は、総武流山電鉄の時代に最後を迎えていたのであります。

5001Fによる流馬編成が運用離脱された後、5002F(元西武275F)の3代目流星編成、5003F(元277F)の2代目あかぎ編成(赤色に白帯)、5004F(元287F)の3代目若葉編成、5005Fの3代目なの花編成が残されているけど、5001Fに続いて塗装や愛称名が変わる可能性があるので、撮影しておく必要があります。

1979年から1999年まで活躍していた1200形(元西武501系)では、流星、流馬、銀河(銀色にオレンジ帯)、若葉から成っていたけど、1995(平成7)年に銀河編成だった1206F(元西武523F)が廃車となり、入れ替わりに2003Fの明星編成が入ってきたことにより銀河の愛称が先に消えていました。

流鉄の車両のうち、銀河のほか、明星、青空も過去の愛称となっているけど、それに流馬も加わることになるし。

あかぎの愛称名は、群馬県(上州)の赤城山のイメージが強いけど、前述の赤城神社(赤城山にある赤城神社の末社)に因んで命名されています。


流山の由来は、昔大洪水で赤城山から赤城神社のある場所まで崩れた土塊が流れ付き、小山となり、そこに赤城山のお札が流れ着いたからという説があることであり、赤城山との繋がりがあることが分かります。


流鉄のあかぎ編成は、1987(昭和62)年から2001(平成13)年5月まで活躍していた初代あかぎ編成の1301F(元西武551系558F、最後の吊り掛け非冷房車だった2両編成)から受け継がれたものであります。


2001年5月にそのさよなら運転に行ったので、流鉄のラストランシリーズの追っ掛けは2001年から続いていることになったし。


1984(昭和59)年から1997年まで活躍していた1210Fの2両編成(元西武551系561F)による初代なの花編成は、1301Fのあかぎ編成の流山寄りに対して、馬橋寄りがMc車となっていました。

銀河と言えば、2008年3月14日まで東京~大阪間で運転されていた寝台急行銀河号を思い出します。

明星のほうも、国鉄最後のダイヤ改正である1986(昭和61)年11月1日に廃止されたブルートレインの列車にも使われていたし。

明星号は、新大阪と西鹿児島(現、鹿児島中央)を結んでいた列車であり、銀河号と同じ2008年3月14日に廃止されたなは号に吸収されていました。

現在651系によって上野~高崎、前橋間、前橋→新宿間で運転されているあかぎ号(平日はスワローあかぎ号)は、群馬県の赤城山が由来となっているし。

こちらは常磐線特急で活躍していた頃、馬橋駅を通過していました。

この日の日中は、主役となった5001Fの流馬編成と、5002Fの流星編成が使われていたので、平和台で友人たちと合流する前に、馬橋から平和台まで流星編成に乗ったのであります。

このように、この日に最後を迎えていた流鉄の3代目流馬編成に乗ることや、それを撮影することが出来て良かったです。


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