こちらは、8月3日に、東武大師線の大師前駅で撮影した、8000系の8575F(黄色に赤帯の試験塗装)です。
この日は8575Fが朝の亀戸線のC運用に入り、その後大師前のD運用の後半(午後の運用)に入っていたので、夜の帳の下りた大師前駅で撮影出来たのであります。
東武大師線は、西新井~大師前間1区間だけのローカル線であり、大師前駅が無人で西新井駅の乗換口で改札業務が行われているので、名鉄築港線(大江~東名古屋港間)とJR西日本の和田岬線(山陽本線の支線、兵庫~和田岬間)に似た点があります。
名鉄築港線とJR和田岬線は、東武大師線とは違って通勤客向けの路線となっているので、朝と夕方にしか旅客列車が運転されない状態であり、JR和田岬線に関しては、平日が17往復(朝7往復、夕方以降10往復)に対して、土曜日が12往復(朝、夕方以降各6往復)で、日曜・祝日が、朝と夕方の1往復ずつ(計、2往復)と土曜日よりも少なくなっています。
阪神武庫川線(武庫川~武庫川団地前間)の中間駅である東鳴尾駅と洲先駅では、無人駅となっているので、武庫川駅及び武庫川団地前駅の改札または簡易IC改札口を使うことになります。
阪神の武庫川駅で、阪神本線と武庫川線の間に中間改札があるのはその為であるし。
1984(昭和59)年4月3日に阪神武庫川線が武庫川団地前まで延長される前は、洲先駅が終着駅となっていました。
JR鶴見線で、鶴見駅の改札が京浜東北線と、浜川崎駅の改札が南武支線(浜川崎支線)と別になっているのは無人駅があるからであります。
海に面している海芝浦駅は、東芝(TOSHIBA)の京浜事業所の構内にある為に、関係者以外は駅構内から出ることが出来ないので、鶴見駅の改札口が独立しているのはそのはずであるし。
東武大師線が1931(昭和6)年12月20日に西板線として開業した当時は、浅草雷門(現、2代目浅草駅)~大師前間で2両編成の電車による直通運転が行われていたので、現在と比べて想像出来ない状態でありました。
1991(平成3)年7月に大師前駅が高架化された時には現在の姿となったけど、自分(しゃもじ)が東武大師線に初めて乗った時は高架化された後だったので、地平駅時代に乗れずじまいとなってしまったのであります。
約20年前に初めて乗った時には西新井駅での乗換通路に改札があり、西新井駅で切符が回収され、大師前駅で改札がないということでカルチャーショックを感じていました。
このように、PASMOやSuicaなどのICカードが普及した今でも、東武大師線に初めて乗る時に戸惑う人が多いことが分かります。
大師前の駅前には、東武バスセントラルの西新井営業所があり、ここから北千住駅までバスが出ているので、初詣の時の助っ人としても使われています。
川崎から川崎大師駅までは、京急大師線のほか、川崎駅と大師(川崎大師駅前)を結ぶ川崎鶴見臨港バスの川23系統も出ているし、正月三が日には川崎駅から大師までの直通の臨時バスも出ているので、同じ大師線を名乗る東武大師線と西新井大師への参拝客輸送の面で似ている点があります。
北千住~西新井大師間のバスも正月三が日には増発されるし。
高架化された後の大師前駅は、1面1線の無人駅であり、ドーム状の屋根となっていることにより良い感じで撮影することが出来ます。
この日は、池袋駅東口から西新井駅西口まで、都営バスの王40系統で移動した後、友人に教えてもらった西新井駅近くにある日帰り温泉施設であるTHE SPA西新井に入ってから東武大師線の8575Fに乗って大師前まで移動したので、夜の帳の下りた状態で撮影出来たのであります。
やはり黄色に赤帯塗装が夜空にマッチしていることはもちろんのこと、ドーム状の屋根にもマッチしていたし。
このように、東武8000系の黄色に赤帯塗装の8575Fを亀戸線に続いて、東武大師線の大師前駅でも撮影することが出来て良かったです。
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東武大師線の8575F(黄色に赤帯の試験塗装) 夜の大師前駅
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