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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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西武2000系2007Fによる台湾鉄路ラッピング電車2 本川越駅

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続いては、8月13日に、西武新宿線の本川越駅の4番線で撮影した、西武鉄道の2000系の初期型編成である2007F(8両固定編成、西武鉄道×台湾鉄路管理局のラッピング電車)による急行西武新宿行きです。

西武新宿から本川越まで特急小江戸35号に乗ってきた時に、東村山駅で2007Fを追い抜いていたので、本川越駅で2007Fの到着を待ちました。

これにより、本川越駅でも2007Fを撮影することが出来たのであります。

本川越駅への乗り入れは、準急や急行が当たり前となっていたけど、現在は西武新宿~本川越間の各停も盛んに運転されるようになったので時代は変わったなと思いました。

こちらは西武新宿~拝島間の各停の一部の急行へのシフトによってこうなっていたし。

西武池袋線も同様に、池袋~飯能間の各停も運転されるようになっています。

西武国分寺線の列車(2000系による6両編成)は、新所沢または本川越まで乗り入れる運用もあるので、東急大井町線の車両が田園都市線(鷺沼、長津田、中央林間方面)に乗り入れていることに似ている点があります。

国分寺~本川越間の直通列車は、川越鉄道の時代を彷彿とさせるし。

本川越駅が開業したのは、川越鉄道川越線(現在のJR川越線とは別)の時代の1895(明治28)年3月21日の久米川(仮)~川越(現、本川越)間のことで、当時は本川越駅が初代川越駅となっていました。

東武東上線の川越駅は、東上鉄道の時代の1915(大正4)年4月1日に新河岸~川越町(現、川越市)間に新設された駅で、開業当初は川越西町と呼ばれていたし。

1940(昭和15)年7月22日に省線→国鉄(現、JR東日本)川越線の大宮~川越~高麗川間の開業により、東上線の川越西町駅が川越駅に改称され、西武線の川越駅が現在の本川越駅に改称されていました。

1927(昭和2)年4月16日には村山線(高田馬場~東村山間)が開業し、国分寺~東村山間が村山線と入れ替わる形で支線となっていたし。

1952(昭和27)年3月25日に西武新宿まで延長されたことにより現在の西武新宿線となっています。

川越線が出来る前は、西武大宮線という路面電車(旧西武鉄道による路線)が川越久保町~大宮間で運転されていたけど、川越線が出来た後も運転が継続され、1940年12月に休止され、翌年の1941(昭和16)年2月に正式に廃止されていました。


川越久保町電停は、ループ線となっていたし。

川越市は、1922(大正11)年12月1日に、川越町と仙波村との合併により出来た市であり、東上線の駅も川越町から川越市に変わっていました。

本川越駅は、改良前は3面5線の駅であり、1面2線を経て、2面3線となっています。

改札口は、正面改札口のほか、駅ビルに繋がる2階改札口もあります。

本川越の駅ビルであるPePe(ぺぺ)が出来たのは、1991(平成3)年9月のことであり、西武新宿線がPePeやプリンスホテルのある駅同士を結ぶ路線となっています。

蔵のまちや時の鐘へは本川越駅が最も近いので、西武新宿線が新宿から川越へのアクセスとして活用されているし。

本川越駅の西口が出来たのは、昨年2月20日のことであり、東武東上線の川越市駅への乗換時間が短縮されていました。

こちらは壁を取り払ったものであり、都営新宿線と東京メトロ半蔵門線の九段下駅で、バカの壁が撤去されて対面での乗換が可能となったことと同様なので、西口を塞いでいた壁のことを、バカの壁にあやかって、本川越の壁と呼んでいます。

本川越の壁があった頃は、川越市駅まで行く迂回しなければならなかったし。

それだけでなく、本川越西口付近に住む人たちが、本川越駅を通り抜けて賑やかな場所に出られるようになっています。

初期型の2000系は、今後40000系の増備により置き換えられていくことになるので、乗車、撮影はお早めにということになります。

このように、本川越駅でも2007Fによる台湾鉄路のラッピング電車を良い感じで撮影することが出来て良かったです。


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