
続いては、西武鉄道多摩湖線の国分寺駅(7番線)で撮影した、新101系の251F(近江鉄道の湖風号塗装)による、折り返しの西武遊園地行きです。
西武国分寺線の国分寺駅は、北側にあり、1990(平成2)年6月に現在の場所に移設される前は、その東側にありました。
移設前の旧ホームは、0番線であり、17m車の3両編成までしか入れなかったので、西武最後の赤電だった351系が、平成初期まで残されていたのであります。
国分寺線のホームは、以前国鉄→JR中央線と改札が共通で、多摩湖線のみ連絡改札があったけど、国分寺駅の改良や多摩湖線のホーム移設により、JRと西武の改札が分離され、国分寺線と多摩湖線の間が改札を出ずに行き来出来るようになっています。
一橋学園駅は、1面2線の島式ホームの駅であり、西武山口線(レオライナー)を除いた西武線の駅で唯一発車ベルが残された駅として有名であります。
一橋学園駅が出来たのは、1966(昭和41)年7月1日のことであり、南側にあった一橋大学駅と、北側にあった小平学園駅が統合されて1つの駅となっていました。
小平学園駅は、1928(昭和3)年4月6日の開業からあった駅であり、1933(昭和8)年9月11日には、その南側に商大予科前駅が開業し、1949(昭和24)年5月には、一橋大学駅となっていました。
1966年7月に小平学園駅と一橋大学駅が統合されて一橋学園駅となったことは、前年の1965(昭和40)年7月11日に京王井の頭線の駒場駅と東大前駅(文京区にある東京メトロ南北線の駅とは別)との統合により、駒場東大前駅となったことと同様であります。
南北の駅の統合は、1976(昭和51)年10月15日に、京浜急行電鉄(京急)の北馬場駅と南馬場駅が統合されて新馬場駅となったことが挙げられているけど、1975(昭和50)年8月27日に下り線(浦賀、三崎口方面)が先行的に高架化された当時、下り線部分が北馬場・南馬場駅と呼ばれていました。
一橋学園駅は、新馬場駅と同様に、北側と南側に改札があるので、双方の旧駅の名残があります。
2013(平成25)年3月16日に、多摩湖線の運用が国分寺~萩山~西武遊園地間に一体化されるまでの間、新101系のワンマン車が、国分寺~萩山間の運用で、平日の朝ラッシュ時には、国分寺~一橋学園間のピストン運用もありました。
国分寺~一橋学園間には、開業当時に前東国分寺駅と桜堤駅があったけど、どちらも戦争末期に休止され、そのまま廃止されていました。
小平学園~青梅街道間にあった厚生村駅も、戦争末期に休止され、後に廃止された駅でもあります。
スマホアプリである、駅メモことステーションメモリーズでは、多摩湖線のところに廃止された東国分寺駅が含まれているので、注意が必要であります。
251Fは、1980(昭和55)年に東急車輛製造で製造され、2010(平成22)年の西武多摩川線への転用に合わせて更新されていました。
1980年は、小田急電鉄のLSEこと7000形がデビューした年であり、ダイハツ工業(DAIHATSU)のミライースやミラトコットの前身である軽自動車である、ミラが発売された年でもありました。
このことで、251Fの多摩湖線での乗車と同様に、小田急7000形LSEの乗車に成功した喜びを思い出しました。
このように、国分寺駅でも近江鉄道の湖風号塗装の251Fを撮影することが出来て良かったです。