
続いては、一昨日(7月2日)、JR中央線の新宿駅で撮影した、E353系モトS101編成(量産先行車)による、特急かいじ113号(東京発甲府行き)です。
かいじ113号は、7月1日からE353系の9両編成に置き換えられた列車の1つで、東京駅を15時15分、新宿駅を15時30分に発車し、途中、三鷹、立川、八王子、大月、塩山、山梨市、石和温泉に停車してから甲府へと向かう列車であり、甲府 12時29分発→新宿 14時04分(土休日は14時05分)着のかいじ110号(途中、石和温泉、山梨市、塩山、大月、八王子、立川、三鷹に停車)が新宿に到着した後に、回送列車で東京駅に送り込まれることになっています。
三鷹駅に停車する特急は、あずさ7,34号と、定期のかいじ号(121,123,102号は通過)であり、下りは4番線から発車することになります。
三鷹駅は、1930(昭和5)年6月25日に、三鷹信号場からの格上げにより開業した駅であり、1969(昭和44)年4月6日には、複々線区間が荻窪駅から延長され、営団地下鉄(現、東京メトロ)東西線の乗り入れも行われるようになっています。
1951(昭和26)年4月14日から武蔵野市にあった武蔵野グリーンパーク野球場へのアクセス路線として、三鷹駅から武蔵野競技場前まで、武蔵野競技場線という支線(途中駅なし、玉川上水に跨がる橋梁があてった)が出ていたことがありました。
実際にアクセスに使われたのは1年目の1951年だけであり、1956(昭和31)年に武蔵野グリーンパークが閉鎖されたことを受けて、1959(昭和34)年に正式に廃止されていました。
武蔵野グリーンパーク野球場は、神宮球場(明治神宮野球場)と同様に国鉄スワローズ(現、東京ヤクルトスワローズ)と東京六大学野球に使われていたけど、翌年の1952(昭和27)年から殆ど使われなくなり、1956年には、僅か5年で閉鎖、解体されたという憂き目に遭っていました。
武蔵野競技場線の廃線跡は、グリーンパーク遊歩道となっています。
1973(昭和48)年3月31日まで、国分寺駅から下河原線(国分寺~北府中~東京競馬場前間)という支線が出ていたことは有名であるけど、三鷹駅から武蔵野競技場線が出ていたことを知っている人が少ないと思います。
1973年4月1日に武蔵野線の府中本町~新松戸間が開業した時には、武蔵野線の府中本町駅が、東京競馬場前駅廃止後の受け皿となっています。
三鷹駅の発車メロディーは、童謡の「めだかの学校」であり、三鷹駅開業80周年を迎えた2010(平成22)年6月26日から使われています。
2010年の夏は、記録的な猛暑(猛暑猛牛超快速特急)に見舞われ、熱中症が大流行していた時であったけど、今年の夏はそれに匹敵するほどの猛暑猛牛超快速特急となってしまうことが懸念されています。
2010年は、中央快速線の主力だった201系が最後を迎えていた年でもあり、10月14日に定期運用が終了し、10月17日に豊田→松本間で廃車回送を兼ねた団臨でのよなら運転が行われていました。
その翌年の2011(平成23)年6月20日には、京葉線からも201系が全廃され、現在は、JR西日本の大阪環状線、JRゆめ咲線(桜島線)、大和路線(関西本線)、万葉まほろば線(桜井線)、和歌山線、おおさか東線で活躍しています。
阪和線(天王寺~和歌山間)と羽衣支線(鳳~東羽衣間)では、今年3月16日まで103系が活躍していたけど、同時期には、205系も阪和線から撤退していました。
阪和線で活躍していた103系や205系は、225系(3ドアのトイレ付きクロスシート車)に置き換えられ、羽衣支線も225系化されていたのであります。
中央快速線でのご当地の発車メロディーは、高円寺駅の「阿波おどり」、阿佐ヶ谷駅の「たなばたさま」、三鷹駅の「めだかの学校」、武蔵小金井駅の「さくらさくら」、国分寺駅の「電車ごっこ」、西国分寺駅の「一番星見つけた」、豊田駅の「たきび」、八王子駅の「夕焼け小焼け」であり、さくらさくらに関しては、山手線の駒込駅とは異なるバージョンであります。
高円寺駅の阿波おどりの発車メロディーは、1,2番線(緩行線)のみで、2004(平成16)年8月から東京高円寺阿波おどりの時期(8月)限定で使われていたけど、一昨年8月からは、アレンジが変更された上で通年での使用となっています。
めだかの学校は、神奈川県小田原市荻窪の荻窪用水がモデルとなっており、そこに歌碑や、本物のめだかの学校があります。
石和温泉駅の発車メロディーは、一昨年2月10日からご当地メロディーの「武田節」となっており、かつて183系や189系によるあずさ号とかいじ号の甲府駅発着の時の車内放送チャイムとして使われていました。
このように、車内チャイム曲が発車メロディーに転用されたことで、東海道・山陽新幹線ののぞみ号の始発・終着の時に使われていたのぞみチャイムが、東海道・山陽新幹線の東京駅の発車メロディーに転用されたことを思い出します。
2015(平成27)年7月25日に、E353系の量産先行車であるS101+201編成が落成、逗子から松本まで回送され、試運転が行われていました。
昨年12月23日の量産車の登場後に、長野総合車両センターで、量産化改造が行われていたけど、改造内容は、車間のダンパーの撤去、荷物室の取り付け、グリーン車(サロE353-1号車)への空気圧縮器(CP)の取り付けであり、先行的に出場していた付属編成であるS201編成が、S106編成とペアが組まれた上でスーパーあずさ号に使われるようになっています。
このS101編成は、遅れて出場していたので、今のところ9両単独編成として使われています。
その後の新宿 16時ちょうど発にスーパーあずさ23号に、S106+201編成が使われていたので、量産先行車を続けて見ることが出来ました。
量産先行車の荷物室取り付けに伴う黒い窓の塗り潰し部分は、海側(中央本線では南側)の行先表示に表れており、量産車との違いを見分けることが出来ます。
こちらは、トイレの新設車両のようにも見えてしまうけど、E353系のトイレは1,2,4,6,8,9,11号車の別の場所にあります。
先代のいすゞ(ISUZU)のエルガハイブリッド(路線バス車両)の後部のバッテリー部分も、トイレの窓のように見えてしまう状態であり、この部分の座席が無くなっています。
今年4月にエルガハイブリッドがモデルチェンジされ、日野自動車(HINO)のブルーリボンハイブリッドのOEM車となってからは、それが解消されています。
運用離脱されたE257系のうち、M103編成は、昨日(7月3日)、尾久車両センターまで回送され、上野口に入る貴重なシーンが披露されていました。
尾久車両センターでは、E353系のS110編成の時と同様に疎開留置されています。
今回は、量産車との比較の為に、S106編成のスーパーあずさ23号の画像も載せました。
このように、新宿駅で、E353系の量産先行車であるS101編成によるかいじ113号を撮影することが出来て良かったです。