
東急多摩川線、池上線の7700系の歌舞伎顔編成で最後の1本となっていた7912Fが、一昨日(9月20日)の朝をもって運用離脱され、その日のうちに長津田工場まで回送されていました。
置き換え用となる新7000系の7114Fが営業運転入りしていたので、今回7912Fが運用離脱されていたのであります。
これにより、7700系が7901,7905,7906F(全て前面赤帯)の3編成となり、6編成のうちの半分が置き換えられたことになりました。
東急の歌舞伎顔塗装は、7700系の7912,7913,7914Fのほか、東横線に在籍していた8000系の一部(車体更新車)や、7600系(7200系から改造された車両)にもあったけど、8000系は2008(平成20)年、7600系は2015(平成27)年をもって全廃されたので、今回をもって本家の東急電鉄から歌舞伎顔塗装が姿を消したことになったのであります。
歌舞伎顔塗装は、養老鉄道養老線(三重県・岐阜県)に譲渡される元東急7700系のうちの1編成に受け継がれるけど、東京の歌舞伎顔の電車は、今年6月30日にデビューした都営地下鉄浅草線の新車である5500形(五反田や戸越にも乗り入れている)に受け継がれています。
7903Fが近鉄の塩浜検修車庫(三重県四日市市)まで陸送され、前面の行先表示が塩浜の表示となっていたので、今年度の改造車であることが分かります。
7700系の7913Fと7914Fが7200系とのトレードにより目蒲線(現在の目黒線の一部と東急多摩川線)から池上線に転用された上で導入されたのは、1995(平成7)年3月のことであり、7912Fも同じ1995年に池上線入りしていた為に歌舞伎顔に変更されていました。
7700系の一部が7200系とのトレードにより目蒲線から池上線に転用された理由は、翌年の1996(平成8)年3月16日に池上線がホームセンサーによるワンマン化されたからであります。
これらの編成の3両化により捻出された中間車(T車)は、先頭車改造された7915Fとなり、1000系顔の7700系として異彩を放っていました。
7915Fは、2010(平成22)年7月に新7000系の7106Fの導入により、廃車解体されていたので、あの頃が懐かしいなと思っています。
翌年の2011(平成23)年には、7107Fの導入により、歌舞伎顔編成だった7913Fが廃車解体されていたので、比較的早い段階に廃車となった編成となってしまいました。
7600系の全廃後、今年7月まで、東急多摩川線と池上線の歌舞伎顔編成が2編成という体制が守られていたのであります。
2000(平成12)年8月6日に目蒲線の分離(目黒~田園調布~武蔵小杉間(当時)が目黒線、多摩川(旧、多摩川園)~蒲田間が東急多摩川線となった)により、7700系が7902,7904,7911F(十和田観光電鉄(青森県、2012(平成24)年3月末に廃止されていた)に譲渡されていた)を除いて3両編成のワンマン化が行われていたけど、余剰となった中間車は廃車解体され、歌舞伎顔に変更されなかったです。
これにより、ワンマン運転に対応していない7200系が全廃となっていたけど、こちらは世田谷線を除いた東急の鉄道線(東急電鉄所有車)で最後の従来型マスコンとなっていました。
現在東急線を走る車両の運転台は、世田谷線や、東急線に乗り入れている車両(東京メトロ、東武鉄道、西武鉄道の車両)を含めてT字型(東急型)ワンハンドルマスコンに統一されているけど、現在でも鷺沼工場への出入場の時に東急線を走ることもある東京メトロ日比谷線の03系は従来型のマスコンとなっています。
03系がワンハンドルマスコンではなく、従来型のマスコンで導入されていたのは、当時ワンハンドルマスコンに反対していた東武との絡みがあったからであり、同時期に導入された日比谷線乗り入れ用の20000系列(現在は東武宇都宮線等のローカル運用への転用が進められている)もこうなっていたのであります。
養老鉄道に譲渡される7700系も、当然のことながらT字型ワンハンドルマスコンとなるけど、営業運転開始までの間に乗務員訓練が行われることになります。
7700系の行先表示は、東急の車両で最後の明朝体表示であり、7700系の全廃により見納めとなってしまいます。
東急の多摩川駅は、東横線と目黒線が高架ホーム、東急多摩川線が地下ホームとなっており、東急多摩川線の地下ホームは、目蒲線の多摩川園駅時代の1994(平成6)年11月27日に田園調布駅と共に地下化されたものであり、当時は田園調布~多摩川間の連絡線が使われていました。
田園調布駅と多摩川園→多摩川駅の改良工事は、閑静な住宅街に位置している為に夜間工事が出来なかったので、長期に渡る難工事となっていたので、それを乗り越えて完成した喜びもありました。
田園調布駅の西口駅舎が復元されたのは、田園調布駅のシンボルだけでなく、長期に渡る難工事が完成したことの見返りでもあります。
1923(大正12)年3月11日に目黒~丸子(現、沼部)間が前身の目黒蒲田電鉄の路線として開業した当時、多摩川駅となっていたので、2000年8月6日には、開業当時の多摩川駅に戻されていたことになりました。
多摩川を名乗る駅は、小田急線の和泉多摩川駅と、京王相模原線の京王多摩川駅も挙げられているけど、どちらも多摩川駅と同様に多摩川を渡る手前にあります。
二子玉川駅のほうも、1929(昭和4)年11月1日に目黒蒲田電鉄の二子玉川線(現在の大井町線の一部)の自由ヶ丘(現、自由が丘)~二子玉川間と共に開業した時に二子玉川駅を名乗っていたので、こちらも開業当時の駅名に戻されていました。
東急田園都市線で活躍していた2000系の2003Fは、5両編成化された上で大井町線のグラデーションが施されているので、外観が9000系と同様となっています。
2003Fは、1993(平成5)年に8両編成として導入され、当時東横線で8000系の更新が行われていた絡みにより車両が不足していたことにより、東横線(当時は渋谷~桜木町間で、渋谷駅が地上にあった)で暫定的に使われていました。
同年11月頃に10両化されて本来の田園都市線に回されていたけど、今回の大井町線への転用により、2003Fが25年ぶりに自由が丘に帰ってくることになります。
現在2002Fが改造工場中で、2001Fも近いうちに入場予定となっているので、田園都市線での活躍もあと僅かとなっています。
こちらも、7700系と共に注目されているのも言うまでもないです。
土休日ダイヤで唯一サークルK車が使われている32K運用では、2020系が使われることが多いので、サークルK車の追っ掛けは平日がおすすめとなります。
因みに今日(9月22日)の32K運用には、8642F(VVVF車の入った編成)が使われています。
2020系は、現在東武線での訓練運転が盛んに行われているので、東武線乗り入れが解禁されたら、サークルKマーク付きの姿が見納めとなってしまいます。
この日(9月2日)は、蒲田から多摩川まで7700系の7905F(こちらも養老鉄道に譲渡される予定)で移動した時に、7912Fとすれ違ったので、多摩川駅で待機してから撮影したのであります。
このように、多摩川駅で、運用離脱直前だった、最後の歌舞伎顔編成の7912Fを撮影することが出来て良かったです。