Quantcast
Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 5472

小田急70000形GSEによるホームウェイ7号2 海老名駅

$
0
0






続いては、小田急線の海老名駅で撮影した、70000形GSEの70052Fによる、特急ロマンスカーホームウェイ7号(箱根湯本行き)で、50000形VSEの50002Fによるはこね62号との並びで撮影することも出来ました。

はこね62号(土休日のN34運用)は、箱根湯本駅を19時10分に発車し、途中、小田原、秦野、伊勢原、海老名、町田に停車してから新宿へと向かう列車であり、7月8日まで7000形LSE(7004F)が主に使われていました。

どちらも海老名駅 20時02分発で、遅れがなければ、ホームウェイ7号との並びを見ることが出来るけど、7月8日までは、70000形GSEと7000形LSEの並びが見られていたのであります。

土休日の本厚木駅では、はこね23号(V)とはこね20号(G)、はこね31号(G)とはこね84号(V)で50000形VSEと70000形GSEの並びを見れるけど、こちらもGSEとLSEの並びを撮影出来るスポットとなっていました。

小田急線の海老名駅は、海老名車両基地と隣接している2面4線の駅であり、4番線では、1000形のリニューアル車による快速急行新宿行きがはこね62号の待避の為に停車していたので、GSEとVSEの並びに1000形リニューアル車の組み合わせも見られていたのであります。

1927(昭和2)年4月1日に小田急線の新宿~小田原間が、前身である小田原急行鉄道の路線として開業した当時は、海老名国分駅と呼ばれていて、現在の海老名駅から1.1Km新宿(座間)寄りにあった2面2線(相対式ホーム)の駅となっていました。

1941(昭和16)年11月25日には、神中鉄道神中線(現在の相鉄本線)の海老名駅が開業し、1943(昭和18)年4月1日には、海老名国分駅が廃止されて、海老名総合駅となり、1973(昭和48)年12月21日には、小田急と相鉄の駅が現在地(旧駅よりも小田原寄り)に移転されていました。

国鉄(日本国有鉄道、JNR)→JR相模線(かつての相模鉄道の路線)の海老名駅が西側に開業したのは、国鉄分割民営化の直前の1987(昭和62)年3月21日のことで、財政難だった国鉄に替わり、全て海老名市の負担により建設されていました。

小田急電鉄直営の施設であるビナウォークが海老名駅の東側の海老名中央公園の中に出来たのは、2002(平成14)年4月19日のことであり、相模国分寺にあった七重の塔の復元模型も整備されています。

2015(平成27)年10月29日には、西口(JR相模線)側の再開発の一環によりららぽーと海老名が出来たことで賑やかになっているけど、その周辺の小田急所有地では、ビナガーデンズとして整備され、2021年春には、ロマンスカーミュージアムが出来る予定となっています。

毎年10月中旬頃の土日に行われる小田急ファミリー鉄道展の第一会場として使われている海老名車両基地は、1972(昭和47)年12月18日に輸送力増強用として開設されたものであり、30000形EXE(EXEα)や60000形MSE(どちらも6+4の展望席なしの通勤向けロマンスカー)も所属していることから、昼寝をするEXE(EXEα)やMSEの付属の4連を見ることが出来ます。

隣の厚木駅は、1927年4月1日の開業当時は、小田急の駅が河原口駅と呼ばれていたけど、1944(昭和19)年6月1日の相模鉄道相模線の国有化と共に、小田急の駅も厚木駅となっていました。

相模線の厚木駅(厚木操車場)と相模国分信号所(さがみ野~海老名間)に相鉄厚木線という単線の連絡線があるけど、海老名駅が出来る前は本線で、厚木駅から旅客列車が出ていたのであります。

本厚木駅は、1927年4月1日の開業当時(厚木町の時代だった)は、相模厚木駅と呼ばれていたけど、1944年6月1日の河原口→厚木駅の改称と共に厚木町(現、厚木市)にある本来の厚木駅ということから、本厚木駅に改称されていました。

厚木市は、1955(昭和30)年2月1日に愛甲郡厚木町、睦合村、小鮎村、玉川村、南毛利村の合併により出来た市であり、同年7月8日に依知村、中郡相川村が、1956(昭和31)年9月30日に荻野村がそれぞれ厚木市に編入合併されていました。

海老名市は、1889(明治22)年4月1日に、高座郡の上郷村、河原口村、中新田村、上今泉村、下今泉村、国分村、望地村、柏ヶ谷村、大谷村の合併により出来た海老名村が前身であり、同時期には、現在の海老名市南部に相当する有馬村が、杉久保村、上河内村、中河内村、本郷村、社家村、中野村、門沢橋村、今里村の合併により出来ていました。

1927年4月1日に小田急海老名駅の前身である海老名国分駅と、河原口→厚木駅が開業したのは、海老名村の時代であったことが分かります。

1940(昭和15)年12月20日には、海老名村から海老名町となり、1955(昭和30)年7月20日には、海老名町と有馬村が合併され、1971(昭和46)年11月1日の市制施行により海老名市となって現在に至っています。

昨年1月5日をもって活動が休止(放牧)されていた海老名市と厚木市出身のグループである「いきものがかり」が、今年11月3日(結成記念日)に再始動(集牧)されたことが発表されたという朗報がありました。

小田急海老名駅の「SAKURA」と本厚木駅の「YELL」の接近メロディー(どちらもいきものがかりの曲)は、2010(平成22)年11月3日から使用開始と、結成記念日へのこだわりがあることが分かります。

いきものがかりの由来は、1999(平成11)年2月にアマチュアバンドとして結成された当時、海老名市出身のバンドメンバーである水野良樹、山下穂尊両氏(同級生)が小学校1年生の時に互いに生き物係をやっていたことであり、同年11月3日に厚木市出身の吉岡聖恵氏(ボーカリスト)も加わった男女3人組として本格的に結成された後も、いきものがかりの名が継続されています。

海老名からは、8000形による快速急行で相模大野まで戻り、相模大野から新宿まで、片瀬江ノ島から来た60000形MSEの60252Fによるえのしま10号で帰りました。

自分(しゃもじ)は、70000形GSEと7000形LSEの並びの撮影は、残念なことに果たせなかったけど、その代わりに70000形GSEと50000形VSEの並びを撮影出来たことで満足しています。

当初の予定は、ホームウェイ7号で町田まで行き、相模大野まで移動してからえのしま10号に乗ることにしていたけど、海老名まで行っても間に合うことが判明したので、海老名まで行くことにしました。

このように、海老名駅でも70000形GSEや50000形VSEを良い感じで撮影することが出来て良かったです。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 5472

Trending Articles