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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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京急大師線の1000形の1489F 小島新田駅

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こちらは、一昨日(7月28日)、京浜急行電鉄(京急)大師線の産業道路駅と小島新田駅で撮影した、新1000形の1489Fです。

1489Fは、2011(平成23)年3月に川崎重工業(Kawasaki)で製造された編成で、新1000形の初期型ステンレス車(銀千)で最後に導入された編成でもあります。

前面の489の表示を見て、上野と金沢(石川県金沢市)を結んでいた特急白山号や夜行急行能登号で活躍していた489系(碓氷峠対応の国鉄型交直両用特急型車両)を思い出しました。

その前に485の表示の入った1485Fが通っていたので、485系を思い出したと言っていたけど、485系もかつて北陸エリアで活躍していた車両であります。

友人は、2015(平成27)年3月14日に北陸新幹線が金沢まで延長される前の北陸のほうが面白みがあったと言っていました。

この日に東京ビッグサイト青海展示棟で行われた鉄道模型コンテスト2019で、れんてつの松風氏がぶりとくん(富山県の北陸新幹線開業記念マスコットキャラクター)の、はと氏がみちまるくん(NEXCO中日本(中日本高速道路)のマスコットキャラクター)のぬいぐるみをそれぞれ手に入れていたけど、自分(しゃもじ)もこれらのぬいぐるみを手に入れたことの縁により、かつて北陸エリアで活躍していた485系や489系を思い出すような番号の編成に当たったのであります。

NEXCO中日本のほうも、北陸エリアの高速道路も受け持っているので、みちまるくんも北陸に関係あるキャラクターであるのです。

小島新田駅は、大東急の時代の1944(昭和19)年10月1日に産業道路駅からの延長により開業した駅であり、当時はそれより先の塩浜、入江崎まで出ていました。

1964(昭和39)年3月25日には、小島新田~塩浜間の休止(1970(昭和45)年11月20日に正式に廃止)により小島新田駅が終着駅となり、2面2線の相対式ホームの駅から、産業道路駅寄りに300m移設された1面1線の駅となっていました。

2010(平成22)年3月14日には、2番線部分の新設により、1面2線の島式ホームとなったことで現在の形となっています。

同年6月28日には、旧1000形が全廃されていたので、小島新田駅の島式ホームとの組み合わせが短かったです。

増設部分は、1997(平成9)年3月31日に廃止された味の素(AJINOMOTO)の工場側線(味の素の川崎工場と周辺にある川崎貨物駅を結んでいた線路)の跡地が使われています。

小島新田駅の手前から鈴木町駅まで、三線軌条となっていたので、現在逗子線の金沢八景~神武寺間(東急車輛製造→総合車両製作所横浜事業所(J-TREC横浜)の出入場関連)だけとなっている京急の三線軌条がもう一つ存在していました。

調味料中心の大手食品メーカーである味の素(AJINOMOTO)の川崎工場の横にある鈴木町駅は、将来地下化された時に工場から離れた南側の地下駅に移転されるはずだったけど、もしもそれが実現していたら、味の素の工場に通勤する人たちが困っていたところでした。

このことは、港町駅周辺でも言えることであります。

鈴木町駅は、1929(昭和4)年12月10日に開業した当時は、味の素前駅と呼ばれていました。

現在の鈴木町駅となったのは、1944年10月20日のことであります。

鈴木町並びに鈴木町駅は、味の素(旧、鈴木商店)の創業者である、鈴木三郎助氏が由来となっているけど、佐藤姓と並んで日本人に最も多いと言われている鈴木姓もアピールされているような駅名でもあります。

鈴木町駅も撮影ポイントとなっているので、1521Fに歴代塗装のラッピングが施されていた時に撮影していました。

港町駅は、1932(昭和7)年3月21日に開業した時は、2007(平成19)年に閉鎖された日本コロムビアの川崎工場があったことにより、コロムビア前駅と呼ばれていました。

1944年2月1日には、港町駅となり、1957(昭和32)年5は、それが舞台による「港町十三番地」という曲が、故・美空ひばり氏によって歌われていました。

「川の流れのように」などのヒット曲で有名であった故・美空ひばり氏は、日本コロムビア所属であった歌手であり、港町十三番地などの曲のレコードが川崎工場で製造されていたことの縁により、港町駅の接近メロディーに使われ、南口には歌碑が設けられています。

小島新田駅では、1番線側で撮影したけど、こちらは従来からあるホームであります。

2005(平成17)年まで活躍していた700形の時代は、小島新田駅が専ら1面1線でありました。

今月は涼しい日々が続いていたけど、最近になってから暑さの逆襲により、猛暑猛暑と叫ばれています。

本当に昨年と同様に、猛暑猛烈超快速特急の大暴走状態であり、もうしょうがない状態であります。

今年はやり残した出来事が発生することが懸念されているので、それがないようにしたいです。

あーにゃこと水湊あおひ氏が出てくる舞台を見てみたいけど、それを見られなかったら敗北となってしまいます。

最近はれんてつが強いので、都電よりも東急世田谷線によく行っていることに例えたくなります。

産業道路駅が地下化された3月3日は、切り替え工事が行われていた午前中にバス代行となっていたけど、雨の中で切り替え工事が行われていました。

産業道路駅の地上駅最終日だった3月2日は、水湊あおひ、長谷川葉音、足立未羽各氏がステーション♪を卒業していた時でありました。

当時は卒業公演の後にオフ会に行っていたのであの頃が懐かしいです。

前述の489系は、れんてつの推しである軌条あさま氏の由来である、あさま号にも使われていたのであります。

この1489Fを含めた川崎重工業(Kawasaki)製の京急の電車は、兵庫駅から逗子駅まで甲種輸送され、総合車両製作所横浜事業所で整備された後に入線するので、逗子線の三線軌条と縁があります。

このことは、新AE形(スカイライナーの車両)を除いた日本車輌製造製の京成電鉄の車両で、豊川から逗子まで甲種輸送され、総合車両製作所横浜事業所で整備された後に京急線、都営浅草線経由で京成線に送り込まれることでも言えます。

京成電鉄のアクセス特急用の新車である新3100形の3152Fは、7月24~26日の3日間に、製造元である総合車両製作所横浜事業所から宗吾車両基地まで、3600形の3668Fによる牽引で送り込まれていました。

新3100形は、今年秋にアクセス特急でデビュー予定であり、平日には三崎口へも顔を出すことになります。

3151Fは、姉妹車である新京成電鉄の80000形と同様に、日本車輌製造で製造されることが予想されています。

京急は、川崎大師への参拝客輸送に始まり、現在羽田空港アクセスにも盛んに使われているので、参拝客輸送から成田空港アクセス路線に成長した京成との共通点があります。

このように、昨日に続いて京急大師線を話題にすることが出来て良かったです。

おまけの画像は、京急川崎駅で撮影した1485Fです。

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