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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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E233系T24編成(中央線開業130周年記念ヘッドマーク付き)による快速高尾行きin東京駅

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7月26日は、御茶ノ水から東京までJR中央快速線のE233系のT24編成(中央線開業130周年記念ラッピング電車)に乗りました。

この時には、130周年記念ヘッドマークが、八王子駅開業130周年バージョンに変わっていたので、東京駅の2番線(中央快速線の高いホーム)で折り返しの快速高尾行きを撮影することが出来ました。

このラッピング電車は、今年4月11日に新宿~立川間が開業130周年を迎えたことの記念により、4月8日から運転されているものであり、今日(8月11日)、立川~八王子間も開業130周年を迎えたことによって、7月22日からヘッドマークが八王子駅開業130周年バージョンに変わったのであります。

今から130年前(甲武鉄道の時代)の1889(明治22)年8月11日の開業当時は、立川~八王子間に駅がない状態でありました。

日野駅は、翌年の1890(明治23)年1月6日に、豊田駅は、1901(明治34)年2月22日にそれぞれ開業していたのであります。

新宿~立川間は、1889年4月11日に中野、境(現、武蔵境)、国分寺の各駅と共に開業した区間であり、あれから4ヶ月後の8月11日に八王子まで延長されていました。

1908(明治41)年9月23日には横浜鉄道線(現在のJR横浜線)が、1931(昭和6)年12月10日に八高南線(現在のJR八高線)が八王子駅に乗り入れるようになり、乗換駅としての役割を果たすようになっています。

中央線のうち、甲武鉄道によって開拓された区間は、御茶ノ水~新宿~八王子間であり、1904(明治37)年12月31日に御茶ノ水まで延長されていました。

甲武鉄道は、1906(明治39)年10月1日に国有化され、1987(昭和62)年4月1日には中央本線の東京~新宿~塩尻間(中央東線)がJR東日本に、塩尻~名古屋間(中央西線)がJR東海に継承されています。

御茶ノ水駅は構造の問題により、バリアフリー化が遅れているけど、今年1月29日にはエレベーターやエスカレーターが取り付けられていました。

駅周辺にある御茶ノ水の三大大学病院(東京医科歯科大学、順天堂大学、日本大学の各医学部附属病院)への最寄り駅でもあるので、バリアフリー化が求められているのもそのはずであります。

これらの大学病院のうち、最初に出来たのは、今から146年前の1873(明治6)年2月に下谷練塀町(現在の神田練塀町)に開院した大学病院の老舗である順天堂大学医学部附属順天堂医院であり、開院当時から順天堂病院ではなく、順天堂医院(醫院)が正式名称となっています。

順天堂が創立されたのは、今から181年前の1838(天保9)年のことであり、当時は蘭方医学塾と呼ばれていました。

現在の場所に移転されたのは、1875(明治8)年4月であり、現在は、東側の1号館と、道路を挟んで西側のB棟(順天堂大学の本郷キャンパス寄り)が中心(病床数1026床)となっています。

順天堂医院は、日本で最初に西洋医学が取り入れられた病院(特定機能病院)でもあり、医学塾で培われた信頼と実績のある医療が受け継がれています。

順天堂大学医学部附属の病院は、順天堂医院(東京都文京区)、静岡病院(静岡県伊豆の国市)、浦安病院(千葉県浦安市)、越谷病院(埼玉県越谷市)、練馬病院(東京都練馬区)、順天堂東京江東高齢者医療センター(東京都江東区)から成っており、そのうちの静岡病院は、1967(昭和42)年4月1日に伊豆長岡町立伊豆長岡病院が譲り受けられて開設されたものであります。

地下鉄丸ノ内線の御茶ノ水駅は、東京医科歯科大学(医学部と歯学部)の目の前の地下にあり、エレベーターが東京医科歯科大学にも直結しています。

その周辺には、2002年のFIFAワールドカップ記念で開設された日本サッカーミュージアム(日本サッカー協会ビル(JFAハウス)の中)があり、順天堂医院の手前のサッカー通りを通って行くことになります。

総武本線の御茶ノ水~両国間の電車線が開業したのは、1932(昭和7)年7月1日のことであり、これを期に、中央線との直通運転が行われるようになっていました。

翌年の1933(昭和8)年には、御茶ノ水~中野間の複々線化工事が完成し、中央線の複々線区間が、1966(昭和41)年4月28日には荻窪駅まで、1969(昭和44)年4月8日には三鷹駅まで延長されていました。

中央快速線が東京駅に乗り入れるようになったのは、1919(大正8)年3月1日のことであり、今年で100周年を迎えていたのであります。

中央快速線の御茶ノ水~神田間には、万世橋駅の跡(mAAch ecute(マーチエキュート)神田万世橋)があることで有名であるけど、それ以前は、昌平橋という仮駅がありました。

万世橋は、1936(昭和11)年4月25日から2006(平成18)年5月14日までさいたま市にある鉄道博物館の前身である交通博物館があったことで有名であり、1943(昭和18)年11月1日に万世橋駅が休止→廃止されるまでの間、博物館口もありました。

交通博物館は、その名の通り、鉄道を中心とした交通関係を扱う博物館で、レトロな雰囲気があったけど、老朽化や手狭となったことだけでなく、エレベーターやエスカレーターがないことでバリアフリー化されていないことから、2006年5月14日に、さいたま市にある鉄道博物館(翌年の2007(平成19)年10月14日に開館していた)に譲る形で閉館(事実上の移転)されていました。

交通博物館の建物のほうは、閉館後も残されていたけど、2009(平成21)年頃に取り壊され、跡地にmAAch ecute神田万世橋が建設されていました。

ここには交通博物館時代の末期に特別公開されていた万世橋駅の遺構(階段跡)が常時公開されるようになっています。

交通博物館が閉館された後、万世橋駅の歴史を後世に残すことの出来る施設が出来ればいいなと思っていたけど、それが2013(平成25)年9月14日のmAAch ecute神田万世橋の開設により実現していました。

交通博物館があった頃の中央快速線は、T24編成のラッピングのモチーフとなったオレンジ色の201系(2010(平成22)年10月まで活躍していた)が当たり前となっていたので、あの頃が懐かしいです。

今年6月7日には、大阪環状線・JRゆめ咲線(桜島線)からオレンジ色の201系が引退していたので、201系は、大和路線(関西本線)・万葉まほろば線(桜井線)・和歌山線・おおさか東線のウグイス色の編成だけとなってしまいました。

後から複々線化された中野~三鷹間のうち、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪の各駅は、土休日に全ての快速列車が通過することになっているけど、この日(7月26日)は平日(金曜日)だったので、中野駅から各駅に停車していました。

八王子駅の中央快速線の乗り場は、4番線が下り(高尾、大月、甲府、松本方面)、3番線が上り(新宿、東京、千葉方面)となっていたけど、1999(平成11)年11月21日に中央快速線上りのメインホームが3番線から2番線(八高線ホームである1番線の向かい側)に変更され、3番線が八王子発着の上り列車(特急はちおうじ号、武蔵野線直通のむさしの号)、貨物列車の留置で使われるようになっています。

このように、八王子駅の中央快速線の上り列車のホームが3番線から2番線に変更された理由は、混雑緩和だけでなく、八高線から中央快速線の上り列車への乗り換えの利便性を向上させるからでもあります。

八王子駅の北東部には、日本オイルターミナルの八王子営業所(油層場)があるので、根岸駅(神奈川県横浜市磯子区)や竜王駅(山梨県甲斐市)などと同様にタンク車の出入りが多くなっています。

今日(8月11日)の八王子駅開業130周年当日は、記念イベントや記念グッズの販売が行われ、T24編成も土休日39T運用で運転されていました。

中央快速線のE233系のうち、4号車にトイレ(現在は使用不可となっている)が取り付けられた編成は、T37,39,41編成であり、4号車と6号車の入れ替えも行われていました。

新宿さざなみ1,4号(土休日運転)では、8月10~12日にE257系0番台で運転されているけど、中央線特急あずさ、かいじ号の時代とは異なり、貫通扉付きの車両が新宿寄りと逆になっているので、違和感があります。

E233系のT24編成によるラッピング電車は8月31日(土)まで運転される予定となっています。

このように、東京駅の中央快速線の高いホームで、ヘッドマークが交換されたばかりのオレンジ色のラッピング電車であるE233系のT24編成を撮影することが出来て良かったです。


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