
続いては、昨日(8月15日)、地下鉄副都心線の和光市駅で撮影した、横浜高速鉄道のY500系Y511Fによる、各駅停車の元町・中華街行き(東急東横線、みなとみらい線直通)で、2番線側から編成全体を撮影することが出来ました。
この日は平日07K運用に使われていたけど、和光市駅に夕方の16時52分着に到着した後、21時59分発までの間、東京メトロの和光検車区で待機していました。
池袋から和光市まで、8月30日をもって終了する5122Fによる青ガエルラッピング電車で移動した時に、和光市駅でピカチュウ大量発生チュウ!2019のラッピング電車を撮影出来ることが判明したので、撮影しに行ったのであります。
元町・中華街駅からの折り返しは、23時41分発の自由が丘行きと、平日の深夜に1本しか見られない貴重な列車となっていました。
この日は自分(しゃもじ)にとって相変わらず無縁であるお盆休みとなっていたけど、東急東横線を含めた関東の私鉄では、平日ダイヤで運転されていたのであります。
今日(8月16日)のピカチュウ大量発生チュウ!2019のラッピング電車は、平日17K運用(和光市~元町・中華街間中心)に使われ、和光市 22時12分発の武蔵小杉行きで入庫される予定となっています。
2006(平成18)年9月24日に東急東横線の元住吉駅が高架化されるまでの間は、元住吉駅から直接出入庫させることが可能となっていたけど、高架化と共に日吉(横浜)寄りの車両基地の真上にずれたことにより、元住吉駅からの出入庫が出来なくなった為に、武蔵小杉駅または日吉駅での出入庫となったのであります。
元住吉駅では、終電後に上下それぞれ車両の留置が行われる関係で、和光市または元町・中華街発の元住吉行き(どちらも終電)が残されています。
元住吉駅は、東横線、目黒線共に各停(各駅停車)しか停車しない駅となっているけど、東横線の急行の運用が独立していた頃、急行元住吉行きが見られていました。
元住吉車両基地の出入庫線には、踏切が残されているけど、高架化されるまでの間は開かずの踏切となっていました。
和光市駅は、東京メトロ(有楽町線、副都心線)で唯一埼玉県にある2面4線の駅で、東武東上線がメインであることから、東武鉄道による管理となっています。
和光市駅が東武東上線の駅として開業したのは、1934(昭和9)年2月1日のことであり、当時は埼玉県新座郡新倉村にあったことから、平仮名の「にいくら」と呼ばれていたけど、同年7月12日には新倉駅となっていました。
新倉村は、1943(昭和18)年4月1日に白子村との合併により、大和町となり、1951(昭和26)年10月1日に大和町駅に変更されていました。
大和町の市制施行により、和光市となったのは、1970(昭和45)年10月31日のことであり、同年12月20日に現在の和光市駅となったのであります。
和光市の市名は、一般公募によって決められた、これまでの大和町の和に、栄光の光が組み合わされたものであり、平和・栄光・前進を象徴し、明るく住みよい街に躍進するように、という願いが込められています。
大和町の大和は、大いなる和が由来であり、神奈川県の大和市や東京都の東大和市でも言えることであります。
和光市に地下鉄が乗り入れるようになったのは、1987(昭和62)年8月25日の営団地下鉄有楽町線(当時)の和光市~営団成増(現、地下鉄成増)間の開業の時であり、東武東上線と直通運転が行われるようになったことにより、池袋~和光市間のバイパスルートが確保され、池袋駅の混雑が緩和されるようになっていました。
これに合わせて、和光市駅が改良され、和光市~志木間が複々線化されるなどの大掛かりな工事が行われていたのであります。
2008(平成20)年6月14日の地下鉄副都心線の池袋~渋谷間の開業により、和光市~小竹向原間が副都心線との共用区間となり、2013(平成25)年3月16日に副都心線経由での東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線との直通運転が行われるようになってからは、東急電鉄や横浜高速鉄道の車両も加わっています。
和光市駅には、西武鉄道の6000系も乗り入れることもあるけど、こちらは、運用距離の調整の為であります。
鉄道車両の相互乗り入れには、それぞれの会社に支払う使用料が掛かってくるので、東急電鉄の車両の東京メトロ、東武鉄道、西武鉄道への乗り入れにも当然のことながら使用料が掛かってくるのです。
相互乗り入れも、それぞれの使用料を支払ったことの見返りでもあります。
和光検車区は、1987年8月25日の和光市までの延長開業の時から使われている車両基地であり、米軍施設の跡に建設されています。
それが出来るまでの間は、飯田橋~市ヶ谷間にある留置線が暫定的な車両基地として使われていました。
その留置線は、東京メトロ南北線と繋がっているので、南北線の9000系の綾瀬工場への出入場に使われています。
営団地下鉄→東京メトロ東西線では、1967(昭和42)年9月14日に大手町~東陽町間が開業し、深川車両基地が出来るまでの間、飯田橋~九段下間にある留置線が車両基地として使われていたので、飯田橋駅付近に暫定的な車両基地があったという共通点があります。
元住吉検車区には、東急の車両工場があったけど、1972(昭和47)年に長津田車両工場(こどもの国線の恩田駅付近)に移転されてからは、車両基地部分が拡大されていました。
東急東横線で各駅停車しか停車しない駅には、8両編成までしか停車出来ないので、5050系または新5000系(8両編成)、Y500系、東京メトロ7000系の8両編成に限定されています。
東京メトロ副都心線の開業の時に7000系の一部が8両編成に短縮されたのは、この影響であり、来年度こら7000系の置き換え用として導入される予定の17000系にも踏襲されます。
東急東横線では、渋谷折り返しの各停も残されており、4番線での折り返しが行われているので、5番線側からラッピングを撮影することも出来ます。
2013年3月15日まで存在していた東横線渋谷駅の地上駅並びに地上線跡には、昨年9月13日に渋谷ストリームや渋谷ブリッジが出来たことで話題になっているけど、今年11月1日(金)には、それに隣接した場所に渋谷スクランブルスクエア東棟がオープンする予定であり、屋上(46階)にSHIBUYA SKYという有料の展望デッキが開設されることになります。
来年3月31日には、東急百貨店の東横店が、西館、南館共に閉店されるという残念な話題が入ってきました。
それらの跡地には渋谷スクランブルスクエアの2期棟が建設される予定となっています。
旧東急プラザ渋谷の跡地に建設中の渋谷フクラスは、今年12月に開業予定であり、東急プラザ渋谷も復活することになります。
2013年3月31日には、渋谷川の関係により地下フロアのなかった東急百貨店東横店の東棟(1934(昭和9)年11月1日に開店した当時からあった建物)が、東横線の渋谷地上駅の後を追うように閉鎖され、取り壊されていました。
東急百貨店東横店の完全閉鎖により、1934年の東棟開設の時から続いてきた85年の歴史に終止符が打たれることになります。
東横店東棟の1階にあった東横のれん街は、東棟の閉鎖と共に渋谷マークシティの地下に移設されているけど、東急東横店の地下にある東急フードショー(地下食料品店、デパ地下)と同様に、来年4月以降も継続されることになります。
来年1月には、東京メトロ銀座線の渋谷駅が渋谷ヒカリエ側(明治通りの真上)にずれた上で移設されるので、渋谷がどんどん変わっていくんだな!と思いました。
副都心線の渋谷駅は、2008年6月14日に開業した当時は、外側の3番線と4番線(現在の6番線)が使われ、中央の線路部分に渡り板が設けられていました。
その渡り板部分に期間限定の募金箱があったことを覚えています。
2013年3月16日に東急東横線との直通運転が行われるようになってからは、3,4番線が東横線(5番線から発車する場合もあり)、5,6番線が副都心線で使われるようになり、発車メロディーが東横線、副都心線でそれぞれ分けられるようになっています。
東横線専用の発車メロディーは、向谷実氏によってプロデュースされた「Departing fro
m New Shibuya Terminal」であり、イベントの時に期間限定発車メロディーに変わることがあります。
昨日は、池袋のシアターKASSAIで行われた舞台である、真約 魔銃ドナー(シンドナー)を見に行き、あーにゃこと水湊あおひ氏に、6月23日以来再会することが出来ました。
今回は、その余韻により、和光市まで行ってピカチュウ大量発生チュウ!2019のラッピング電車を撮影したのであります。
ピカチュウ大量発生チュウ!2019のラッピング電車は、8月10日に新宿三丁目駅で撮影したけど、今回は、和光市駅で編成全体を撮影することが出来て良かったです。