
9月23日は、新宿から本厚木まで、小田急電鉄30000形ロマンスカーEXEαの30052F(4両編成、EXE4)による、さがみ71号🚃に乗りました。
土休日のさがみ71号は、モーニングウェイ74号🚃🌅→スーパーはこね9号→はこね52号の後に運転される海老名検車区(海老名車両基地)への入庫運用(土休日N75運用の一つ)であり、30000形EXE(EXEα)または60000形MSEの6両編成が使われることになっているけど、10月14日(月・祝)までの土休日には、30000形EXEαの30052F(4両編成)による代走が行われています。
それは、8月14日に栢山~富水間の踏切で発生した乗用車🚗との接触事故により被害に遭った6両基本編成側の修理に伴う措置であり、10月16日(水)には、その修理が完了し、所定の編成に戻されるので、10月15日(火)が代走最終日となります。
土休日のさがみ71号は、新宿駅を16時ちょうどに発車し、途中、町田駅のみに停車してから本厚木へと向かう列車であり、本厚木駅に到着した後に、伊勢原駅まで回送され、折り返しで海老名検車区に入庫することになっています。
30000形EXEは、1996(平成8)年3月23日にデビューした当時は、他のロマンスカーと同様に喜多見検車区所属となっていたけど、2008(平成20)年3月15日の60000形MSEの導入により、海老名検車区に転属していました。
2016(平成28)年3月26日には、60000形MSEも海老名検車区所属となったので、展望席付きのロマンスカーは喜多見所属、展望席なしのロマンスカーは海老名所属と分けられるようになっています。
かつて経堂駅構内にあった経堂検車区(喜多見検車区の前身)は、ロマンスカーの車庫として賑わっていたので、車窓から非番のロマンスカーを眺める楽しみがありました。
1994(平成6)年3月に開設された喜多見検車区は、人工地盤に覆われた半地下式の車両基地であるので、ここで保存されていた車両が露天留置により野ざらしにされずに済んだのであります。
昨年10月13日の7000形LSEの引退により、経堂検車区の面影が残るロマンスカーが絶滅していました。
経堂検車区が廃止された理由は、高架複々線化工事の支障となったことだけでなく、10両編成のまま入庫させることが出来ないからでもありました。
1992(平成4)年3月まで活躍していた初代3000形SE→SSE車は、喜多見に移転される前に引退していたので、経堂検車区(経堂車両基地)一筋となっていました。
今回乗った30000形EXEαの4両編成は、定員が226席と少なく、トイレ🚻が8号車にしかないので、国鉄→JR東海御殿場線直通のあさぎり号(現在のふじさん号🗻と同じ新宿~御殿場間で運転されていた)を中心に活躍していた初代3000形SSE車(トイレ🚻は2号車にしかなかった)を思い出してしまうような編成であります。
この時に、初代3000形SSE車が活躍していた頃にタイムスリップしたような気分となっていました。
さがみ71号には、車内販売の営業が無かったけど、4両編成のEXEαがスーパーはこね号やはこね号に使われる時に車内販売が行われるので、旧3000形SSE車での走る喫茶室☕(森永エンゼル(MORINAGA)または日東紅茶(三井農林)によって行われた)を思い出します。
現在全てのロマンスカーの車内販売の担当会社である小田急レストランシステム(小田急電鉄の子会社)は、1991(平成3)年3月16日のあさぎり号(現、ふじさん号)の特急化(当時は沼津まで運転されていた)並びに20000形RSEへの置き換えの時にロマンスカーの車内販売部門に進出していたので、初代3000形SSE車が、小田急レストランシステムによる車内販売(ワゴンサービス)とは無縁である車両となってしまいました。
初代3000形SSE車が活躍していた頃は、東北沢~向ヶ丘遊園間が複線であり、東北沢、下北沢、世田谷代田、成城学園前の各駅が地上駅となっていました。
初代3000形SSE車は、連接5両編成で、定員が222席と、30000形EXE(EXEα)や60000形MSEの4両編成(226席)よりも4席少なかったです。
それ以前に活躍していた特急専用車だった1700形は、ボギー車の3両編成の186席であった為にもっと定員が少なかったのであります。
30000形EXEが7+3ではなく6+4となったのは、江ノ島線の4両編成で大幅な定員減少を防ぐ為でありました。
箱根湯本駅では、ボギー車の7両分までしか入れない為に、30000形EXE(EXEα)や60000形MSEによる10両編成の場合は、相模大野駅または小田原駅での分割・併合が必要になってきます。
もしも連接ではない(ボギー車である)10両固定編成のロマンスカーが導入されていたら、看板列車である箱根特急に使えないどころか、列車によって輸送力が過剰となっていたところでした。
ボギー車である70000形GSEが、10両固定編成ではなく、かつて存在していた20000形RSE車と同じ7両固定編成となったのは、看板列車である箱根特急に対応させる為であります。
50000形VSEは10両固定編成であるけど、連接車で車両が短いので、連接10両編成と呼んでいます。
今回乗ったさがみ71号は、新宿駅発車時に満席🈵💺となっていたので、早めに特急券🎫を手に入れたけど、座席💺は、8号車の14A(進行方向左側)に当たりました。
梅ヶ丘~向ヶ丘遊園間の高架の複々線区間では、緩行線の線路を見渡すことが出来るけど、経堂→千歳船橋間では、4両編成のEXEαが、10両固定編成の東京メトロ16000系の16112Fによる北綾瀬発向ヶ丘遊園行きの準急を追い抜くシーンを見ることが出来ました。
9月15日の方南会館でのNゼロの公演(橋田ローズ美祐氏🌹の再試練)を見に行く時に新宿三丁目から方南町まで02系の6両編成による方南町行きに乗ったけど、北綾瀬支線で10両の直通列車が出来てからは未だ乗ったことがないです。
町田駅で下車した人が多かったので、空席あり🈳💺の状態で発車していました。
30000形EXEは、普通鋼製の車両であるけど、屋根板や床板にステンレス鋼が使われています。
50000形VSEは、小田急ロマンスカー初のアルミ合金製車体であり、60000形MSEや70000形GSEにも受け継がれています。
自分(しゃもじ)は、小田急70000形GSEと、西武鉄道の001系新型特急Laview(ラビュー)をよく比較しているけど、Laviewも、軽量のアルミ合金製であり、GSEの日本車両製造製であることに対して、Laviewは日立製作所製のA-train規格となっています。
どちらも軽量化だけでなく、万が一の衝突事故に備えて、強度が向上されています。
大野総合車両所を車窓から眺めた時には、帯が剥がされた50002Fの姿があったので、レアな姿だな❗と思いました。
再来年春に海老名に出来る予定のロマンスカーミュージアムで展示される車両は、展示に向けた整備及び再塗装の為に喜多見検車区を離れ、海老名の専用保存庫にあった初代3000形SE車を含めて全て大野総合車両所に集結しています。
喜多見検車区にあった2200形の2201号車、2600形の2670号車、9000形の9001号車の3両は、海老名のSE保存庫に移設されていたけど、連接車だったSE車よりも長い全長のボギー車3両がすっぽり収まっています。
本厚木駅では、1番線に停車していたので、回送の発車まで記念撮影することが出来ました。
本厚木駅は、1927(昭和2)年4月1日の小田急線(新宿~小田原間)の開業の時からある駅で、開業当時は相模厚木駅と呼ばれていました。
1944(昭和19)年6月1日に本厚木駅となり、1976(昭和51)年6月に高架駅となっていました。
相模川を渡った向かい側の厚木駅は、厚木を名乗っているのに海老名市にある駅で、開業当時の小田急の駅は、河原口駅と呼ばれていたのであります。
本厚木駅周辺は、厚木市の中心にある駅らしく、とても賑やかとなっています。
30000形EXE(EXEα)の座席💺は、リクライニング角度が浅いけど、柔らかけて座り心地が良かったです。
EXEの座席💺の座り心地の良さと落ち着いた内装が、メインターゲットとなっている通勤客たちに愛されている証であり、EXEα化された後も受け継がれています。
30000形EXEαの4両編成は、撮影だけを行う予定であったけど、今回乗ることに変更しました。
今回乗った30052Fには、コンセント🔌が付いていたのが嬉しかったです。
自分(しゃもじ)がEXEαに乗ったのは、昨年2月12日の新宿→町田間以来であり、30252F側に当たっていました。
このように、新宿から本厚木まで、30000形EXEαの4両編成によるさがみ71号に乗ることが出来て良かったです。