
プラチナエクスプレスのラッピング電車は、2016(平成28)年)12月1日に、秩父夜祭(秩父祭の屋台行事と神楽)と、川越まつり(川越氷川祭の山車(だし)行事)が、ユネスコ無形文化遺産に登録されたことを記念して運転されていたものであり、2016年12月25日に10103Fによる秩父Ver.が、翌年の2017(平成29)年1月25日に10104Fによる川越Ver.がそれぞれ営業運転入りしていました。
10103Fは、昨年7月23日にプラチナエクスプレス秩父Ver.のラッピングのままで横瀬まで廃車回送されていたので、10000系ニューレッドアロー(2代目レッドアロー)の廃車第一号となっていました。
同年9月25日には、プラチナエクスプレス川越Ver.だった10104Fが、池袋線で活躍していた10111Fの新宿線への出戻りによる玉突きで置き換えられ、横瀬まで廃車回送されたことによって2本目の廃車となっていたので、プラチナエクスプレスから先に廃車となっていたことが分かります。
プラチナエクスプレスは、当分の間運転予定と書かれていたけど、結局廃車となるまで運転されていたのであります。
前面のPlatinum Expressのロゴが目を引いていました。
プラチナ・エクスプレスのプラチナの由来は、川越から秩父・長瀞へと至る埼玉プラチナルートでありました。
10103,10104Fは、レッドアロークラシックとして新宿線で活躍中の10105Fと同様に、1994(平成6)年に日立製作所笠戸事業所(HITACHI)で製造された編成であり、池袋線の5000系レッドアロー(初代レッドアロー)の第一次置き換え用として導入されていました。
10103Fは、グリーンアローでも話題になった10107Fと共に、池袋線系統一筋で活躍していた編成でもありました。
昨年3月16日に001系ラビュー(Laview)🚃💺がデビューした時点では、10000系の廃車が出ていなかったので、廃車はラビューC編成が出てからになると予想していたので、予想通りとなったのであります。
1969(昭和44)年10月14日に西武秩父線の吾野~西武秩父間が開業した当時、正丸~芦ヶ久保間の正丸トンネル🚇が4811mと、日本の私鉄で最も長い山岳トンネルでありました。
1975(昭和50)年11月23日に、近畿日本鉄道(近鉄)大阪線の西青山~東青山間(三重県の青山峠)にある新青山トンネル(5652m)が完成してからは、日本の大手私鉄で最も長い山岳トンネルとなっています。
その前身は青山トンネルとなっていたので、東京都渋谷区の六本木通りと首都高速3号渋谷線の青山トンネル
(青山学院初等部の真下を通るトンネル)を思い出してしまいます。
正丸トンネルのほうは、関東の私鉄で最も長いトンネルであり、その途中にある正丸トンネル信号場で停車することもあります。
因みに日本の私鉄で最も長いトンネルは、えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン(旧、JR北陸本線、新潟県)の頸城トンネル(11353m、能生~名立間)であり、その中にトンネル駅として有名な筒石駅🚇(新潟県糸魚川(いといがわ)市に位置している)があります。
JR時代は電車となっていたけど、2015(平成27)年3月14日の北陸新幹線🚅の開業により、北陸本線の市振~直江津間(新潟県の区間)がえちごトキめき鉄道(ETR)日本海ひすいライン🚃🌊に移管されてからは、ET122形(JR西日本のキハ122形ベース)という気動車🚃🌊による運転となっています。
ET122形の筒石駅発着シーン🚇は、会津鉄道の気動車(AT-600
形またはAT-700形)によるAIZUマウントエクスプレス🚃⛰️が野岩鉄道会津鬼怒川線の葛老山トンネル内にある湯西川温泉駅🚇(栃木県日光市)での発着シーンに似ているところがあります。
第三セクターに転換された時に気動車の運転に切り替えられたことは、肥薩おれんじ鉄道(旧、鹿児島本線の八代~川内(せんだい)間、熊本県、鹿児島県)で交流電車の代わりにHSOR-100形気動車を走らせていることも挙げられているけど、こちらもえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインと同様に、コスト削減によるものと言われています。
筒石駅が現在のようなトンネル内の駅となったのは、国鉄時代の1969年9月29日の糸魚川~直江津間の複線電化に伴う頸城トンネルを含めた新線への移設の時であり、それ以前は、集落から西に離れた海岸沿いにありました。
新潟県糸魚川市は、2005(平成17)年3月19日に旧糸魚川市と、能生町、青海(おうみ)町の合併により出来た市であり、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの、能生、筒石の両駅は旧、能生町、市振、親不知(おやしらず)、青海(おうみ)の各駅は、旧、青海町に位置しています。
日本の山岳トンネル内の駅は、1967(昭和42)年9月28日に開通した上越線の新清水トンネル(水上→土樽間の下り線専用トンネル)の中にある湯檜曽駅と土合駅の下りホームが最初であるけど、下り、上り共に設けられたのは筒石駅が最初であります。
2004(平成16)年5月にNHK BShiで放送されていた、関口知宏氏による列島縦断 鉄道12000キロの旅~最長片道切符でゆく42日~🚃🗾📺で、関口知宏氏が、雰囲気が吉岡海底駅みたいだと語っていたけど、確かにそう思います。
列島縦断 鉄道12000キロの旅~最長片道切符でゆく42日~🚃🗾📺は、2004年5月6日から6月23日までの間に、関口知宏氏が、北海道の最北端である稚内駅から九州(佐賀県)の肥前山口駅まで、同じ駅を二度通らずに一筆書きルートで大旅行していた企画であり、このことで話題になっていました。
当時の筒石駅は、JR西日本による有人駅の時代であったので、最長片道切符で巡ることが出来たのであります。
東の鉄道動画王(大物の鉄道系YouTuber)であるスーツ氏👔のほうも、日本縦断旅行🗾をしていたことで話題になっています。
1997(平成9)年3月22日に開業した、北越急行ほくほく線で一番長いトンネルである赤倉トンネル(魚沼丘陵~しんざ間、10472m)の中にある美佐島駅🚇(新潟県十日町市)は、同じ新潟県にある筒石駅とは異なり、1面1線となっています。
美佐島の読みは、みさしまと濁らない島であります。
1997年3月22日のほくほく線の開業から2015年3月13日の北陸新幹線開業前日までJR西日本または北越急行の681系(一部北越急行の683系)で運転されていた特急はくたか号(越後湯沢~金沢、福井、和倉温泉間)は、美佐島駅と筒石駅の両方を高速で通過していたので、風圧が凄かったです。
特急はくたか号は、ほくほく線で160Km/h運転が行われていたけど、自分(しゃもじ)は、2007(平成19)年7月に実際に乗ったことがありました。
現在160Km/h運転が行われている路線は、ご存知の通り京成電鉄の新AE形によるスカイライナー🚃💺✈️の印旛日本医大~空港第2ビル間(こちらも自分(しゃもじ)の乗車経験あり)だけとなっています。
国道299号線側にも正丸トンネルが出来たのは、1982(昭和57)年3月のことであり、それまでの間は正丸峠越えの難所となっていました。
正丸峠越えの旧道は現在でも通ることが出来ます。
国道299号線は、長野県茅野市から群馬県多野郡上野村、埼玉県秩父市を経由して、埼玉県入間市に至る国道であり、川越と秩父を結ぶプラチナルートの一部でもあります。
西武秩父線のトンネルは、正丸トンネルを含めて16ヶ所あり、池袋線の東吾野~吾野間にある鎌倉坂トンネルを含めれば17ヶ所となります。
西武池袋線の飯能~吾野間は、武蔵野鉄道の時代の1929(昭和4)年9月10日に開業したものであり、1969年10月14日に西武秩父線が開業してからは、一体で扱われるようになっています。
池袋線の運転系統は、池袋~飯能間と西武秩父線を含む飯能~西武秩父間に分けられているので、飯能~西武秩父間が西武秩父線というイメージが強いです。
昨年11月9日は、西武秩父から池袋まで、001系ラビュー(Laview)のB編成による特急ちちぶ44号🚃💺で帰った時に正丸トンネルを通ったけど、音が静かで耳がツンとくることを感じなかったです。
このことは、001系ラビュー(Laview)の音が静かなことだけでなく、軽量なアルミ車体のお陰でもあります。
野岩鉄道会津鬼怒川線では、東武鉄道の500系リバティによるリバティ会津号(浅草~会津田島間)🚃💺⛰️が通っているので、西武秩父線での001系ラビューと比較したくなります。
1986(昭和61)年10月9日に野岩鉄道会津鬼怒川線が開業した当時は、6050系のほか、ロングシートの8000系や3070系(吊り掛けモーターの3ドア車だった車両)も使われていました。
このことは、西武秩父線の開業当時に3ドアロングシートだった101系が当たり前だったことと共通しています。
今日は昨日に続いて西武線の有料特急が全面運休となっていたので、10000系ニューレッドアローに加え、001系ラビュー(Laview)も運転されない日となってしまいました。
これは、自分(しゃもじ)🐰のしゃもじスタイルが披露出来ないことと同じであります。
今日の東京都での新型コロナウィルスの新規感染者数は、5人と、3人だった3月22日以来の5人以下となりました。
本当に第二波にならないことを願っています。
39県の緊急事態宣言が解除されてから最初の週末を迎えていたけど、本当に油断は禁物であります。
今日は暑かったけど、明日から曇りで暑さが和らぐことになります。
このことは、今日のあーにゃこと水湊あおひ氏😸のSHOWROOM配信で話題になっていました。
もちろん旭莉子氏🐻のSHOWROOM配信にも参加出来て良かったけど、諸事情によりWithLIVEに参加出来なかったのが残念でありました。