
8月23日は、京成上野から青砥まで、京成電鉄3400形の3448Fによる、特急成田空港✈️行き🚃に乗りました。
今回乗った列車は、土休日ダイヤの京成上野 15時14分発の特急成田空港✈️行き(京成本線経由)であり、途中、日暮里、青砥、京成高砂、京成八幡、京成船橋、京成津田沼、八千代台、勝田台、京成佐倉、大佐倉、京成酒々井、宗吾参道、公津の杜、京成成田、空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️の各駅に停車してから成田空港(成田第1ターミナル)駅✈️へと向かうことになります。
京成3400形は、1993(平成5)年から1995(平成7)年に掛けて、大榮車輌で、旧AE形初代スカイライナーの足回り品が流用された上で車体載せ替え更新された通勤型車両であり、車体は、3700形に準じた普通鋼製となっています。
旧AE形初代スカイライナーは、8連5本40両存在していたけど、その全てが3400形に更新されていました。
3400形は、最初に6連として出場させ、後から更新された中間車2両を入れて8両にする方式となっていたので、3400形の6連の暫定編成が見られていました。
こちらは、西武鉄道の9000系(そのうちの9103Fが京急風の塗装(レッドラッキートレイン)となっている)が、初期型101系の足回り品流用により製造された時に、4両の暫定編成として出場させ、のちに10両編成となったことに似ている状態であります。
旧AE形初代スカイライナーの時代には、先頭がTc車となっていたけど、3400形化されてからは、T車を中間にしたことにより、先頭M台車(Mc車)となったので、京急線への乗り入れの条件を果たすようになっています。
大榮車輌は、旧AE形から3400形への更新のほか、3500形以前の車両の車体更新も行われていたけど、3500形の車体更新が打ち切られていた2001(平成13)年に鉄道車両事業から撤退し、不動産業の会社となっています。
3500形の更新工事が途中で打ち切られていた理由は、改造費(コスト)の関係等であったけど、大榮車輌の鉄道車両事業からの撤退にも関連していました。
この3418Fは、旧AE形のラストナンバーだったAE70F(成田空港✈️が開港した1978(昭和53)年製で、1993年6月まで活躍していた最後の1編成だった)から更新された編成であります。
AE70Fのうち、成田空港寄りの先頭車だったAE61号車は、宗吾車両基地の保存スペースで静態保存されているけど、足回り品がこの3400形の3448Fに流用された為に、旧3050形の3051号車の台車が流用されています。
3400形の行先及び種別表示は、幕式のままであるので、3700形が幕式だった頃を思い出しました。
3700形の行先、種別表示は、幕式→3色LED→フルカラーLEDへと変化しているので、同じメーカー(日本車輌製造豊川製作所と東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身))で製造されていた、京王電鉄の8000系と同様の流れとなっています。
旧AE形の時代は、京成上野~成田空港✈️(新旧の両方)間でしか使われなかったけど、3400形となってからは、都営浅草線や京急線(現在は泉岳寺~羽田空港第1・第2ターミナル(羽田空港)✈️間)にも乗り入れるようになっています。
3400形は、京成ターボ君こと3600形(4両化された3668Fを除く)と同様の界磁チョッパ制御車であり、2011(平成23)年3月まで活躍していた京王電鉄の6000系やVVVF化前の7000系に準じた音となっています。
3500形は、京成最後の抵抗制御車であるので、更新工事が途中で打ち切られた原因でもあります。
8月中には、3400形のトップナンバーであった3408F(AE10Fから更新された編成)が運用離脱されていたので、7月30日に撮影することが出来て良かったと思っています。
8月23日には、泉岳寺駅で、3438Fによる快速京成佐倉(佐倉)行きを撮影することが出来ました。
今日は、あーにゃこと水湊あおひ氏😸のSHOWROOM配信に参加することが出来て良かったと思っています。
要町から和光市まで、東急電鉄新5000系の5121FによるSDGsトレインに乗ったので、後日書く予定でいます。
京成上野駅では、成田スカイアクセス線開業10周年記念ヘッドマーク付きの新AE形スカイライナーのAE3Fとの並びを撮影したので、新旧AE車関連の並びとなりました。
京成3400形のほうは、廃車候補と言われているので、乗車、撮影はお早めにということになります。
このように、京成上野から青砥まで、3400形の3448Fに乗ることが出来て良かったです。