
10月6日は、練馬から石神井公園まで、東急電鉄5050系4000番台の4110F(渋谷ヒカリエ号)による、清瀬行き🚃💛に乗りました。
この時に乗った渋谷ヒカリエ号🚃💛は、平日60K運用のうちの元町・中華街 18時36分発の清瀬行きで、渋谷まで(東横線・みなとみらい線)は急行運転(途中、日本大通り、馬車道、みなとみらい、横浜、菊名、綱島、日吉、武蔵小杉、多摩川、田園調布、自由が丘、学芸大学、中目黒の各駅に停車)、東京メトロ副都心線、西武線は各駅停車で、清瀬駅(東京都清瀬市)へと向かう列車であります。
東急5050系4000番台は、2011(平成23)年から2013(平成25)年までに10編成100両が東急車輛製造→総合車両製作所横浜事業所で製造されたけど、7月には、5173Fに中間車2両を組み合わせた4111Fも加わっています。
渋谷ヒカリエ号の4110Fは、2013(平成25)年4月26日に、渋谷ヒカリエの開業1周年記念として導入された、渋谷ヒカリエのラッピング電車であり、それには副都心線、東武東上線、西武池袋線との直通運転開始記念の目的もあります。
渋谷ヒカリエ号は、黄色に近い金色のラッピングに東急伝統の赤帯が入った特別塗装であり、渋谷ヒカリエがイメージされた3種類の内装も特徴であります。
内装は、1,3,8,10号車がオフィスゾーンがイメージされた「クリア」
2,4,6,9号車が、ショッピングエリア(ShinQs、シンクス)がイメージされた「アクティブ」
5,7号車が、東急シアターオーブがイメージされた「シック」となっており、これらの10両のうちの1両にハートマークの手すりがあります。
東急東横線、みなとみらい線の路線
(地下鉄副都心線経由、東武東上線、西武池袋線へ直通運転)←渋谷~代官山~中目黒~祐天寺~学芸大学~都立大学~自由が丘~田園調布~多摩川~新丸子~武蔵小杉~元住吉~日吉~綱島~大倉山~菊名~妙蓮寺~白楽~東白楽~反町~横浜~新高島~みなとみらい~馬車道(横浜市役所)~日本大通り(県庁・大さん橋)~元町・中華街(山下公園)
急行の停車駅
渋谷~中目黒~学芸大学~自由が丘~田園調布~多摩川~武蔵小杉~日吉~綱島~菊名~横浜~みなとみらい~馬車道~日本大通り~元町・中華街
特急の停車駅
渋谷~中目黒~自由が丘~武蔵小杉~菊名~横浜~みなとみらい~元町・中華街
通勤特急(平日の朝と夕夜間のみ運転)の停車駅
渋谷~中目黒~自由が丘~武蔵小杉~日吉~菊名~横浜~みなとみらい~馬車道~日本大通り~元町・中華街
乗換駅
渋谷 田園都市線、JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線)、相鉄・JR直通線)、東京メトロ(銀座線、半蔵門線、副都心線(各停の一部を除き直通運転))、京王井の頭線
中目黒 東京メトロ日比谷線
自由が丘 大井町線
田園調布 目黒線(目黒から東京メトロ南北線または都営三田線へ直通運転)
多摩川 東急多摩川線
武蔵小杉 JR(南武線、横須賀・総武快速線、湘南新宿ライン、相鉄・JR直通線)
日吉 横浜市営地下鉄グリーンライン
菊名 JR横浜線(新横浜駅まで1駅)
横浜 JR(京浜東北線、根岸線、横浜線、東海道線(上野東京ライン、宇都宮線または高崎線へ直通)、横須賀・総武快速線、湘南新宿ライン)、京急線、相鉄線、横浜市営地下鉄ブルーライン
東急東横線は、1926(大正15)年2月14日に、前身の東京横浜電鉄によって、丸子多摩川(現、多摩川)~神奈川間が開業したことが始まりであり、当時は、目黒蒲田電鉄の目黒駅までの相互直通運転が行われていました。
神奈川駅は、1950(昭和25)年まで反町~横浜間にあった駅(京急の神奈川駅とは別)で、後述の地下化によってその遺構が失われています。
翌年の1927(昭和2)年8月28日には、渋谷~丸子多摩川間が開業し、渋谷~神奈川間で直通運転が行われ、東横線と呼ばれるようになっています。
1928(昭和3)年5月18日には高島(のちの高島町)、1932(昭和7)年3月31日には桜木町まで延長され、2004(平成16)年2月1日にみなとみらい線が開業するまでの間、桜木町駅が終着駅となっていました。
2004年1月30日には、横浜~桜木町間が廃止され、1月31日に、東白楽~横浜間が地下新線に切り換えられ、この日限定で終日横浜行き(みなとみらい線では回送扱い)となっていました。
2月1日には、横浜高速鉄道みなとみらい線の横浜~元町・中華街間が開業し、渋谷からみなとみらい21、馬車道、日本大通り、元町、横浜中華街、山下公園エリアまで乗り換えなしで行けるようになっています。
東白楽~横浜間の地上線跡地は、東横フラワー緑道として整備され、6時から21時30分の間は、反町~横浜間の高島山トンネルも通ることが出来ます。
東白楽~反町間には、1946(昭和21)年まで新太田町駅があったことから、新太田町駅跡の碑があります。
2013年3月16日の東急東横線の渋谷~代官山間の地下化と共に、渋谷駅を介して地下鉄副都心線経由で東武東上線または西武池袋線と結ばれるようになったことで、東急東横線の歴史の中で最大の出来事となっています。
この時には、渋谷の地上駅だけでなく、東横線と日比谷線の直通運転が、副都心線との直通との入れ替わりにより廃止されたという寂しい出来事もありました。
渋谷駅の地上駅跡には、渋谷スクランブルスクエア(東棟、展望台のある渋谷のランドマーク)や渋谷ストリームとなっており、地上駅のシンボルであったかまぼこ型の屋根も再現されています。
渋谷ヒカリエは、2012(平成24)年4月26日に東急文化会館の跡地に開業した、東急シアターオーブ(ミュージカル劇場)などが入った複合施設であり、現在進められている渋谷駅再開発の先駆けでもあります。
渋谷ヒカリエShinQs(シンクス)の地下2階と地下3階には、名店街の老舗である、東横のれん街(東急百貨店による運営)があるけど、緊急事態宣言が解除された5月25日に、渋谷マークシティEAST MALLの地下1階(現在
、東急フードショーという地下食料品売場(デパ地下、同じ東急百貨店による運営)となっている)から移転してきたので、東横のれん街が渋谷駅の東口に戻ってきたことになりました。
東横のれん街が日本初の名店街として開設されたのは、1951(昭和26)年のことであり、当時は東横百貨店(のちの東急百貨店東横店東館)の地上1階部分にありました。
東急東横線の渋谷駅が開業した後の1927年12月25日には、その2階に東横食堂が開設されていました。
東横食堂は、メンチボール、ビフテキ、タンシチュー、オムレツなどの一品に、ご飯またはパンとコーヒーがセットされた洋食中心のメニューであり、30銭均一となっていました。
その小さな食堂が東横百貨店の開業への基礎となり、1934(昭和9)年11月1日に関東初のターミナルデパートとして開業した東横百貨店(のちの東急百貨店東横店東館)へと進化していたのであります。
1951(昭和26)年8月から1953(昭和28)年までの間は、東横百貨店と玉電ビル(のちの東横店西館で当時は4階建てだった)を結ぶ子供向けの空中ケーブルカーであったひばり号(かつて上野~仙台間で運転されていた東北本線の特急列車とは無関係)が運転され、人気を博していました。
玉電ビルは、1954(昭和29)年に増築されて11階建て西館となったので、空中ケーブルカーのひばり号が廃止された理由でもありました。
当時は、西館に東横ホールがあったけど、1985(昭和60)年の劇場閉鎖まで、歌舞伎や落語を中心に使われていました。
東横ホールは、渋谷の東急本店の隣にあるBunkamuraや東急シアターオーブの原点となっていたのであります。
2013年3月31日には、東急百貨店東横店東館が、東横線の地上駅の後を追うように閉館となったので、東横のれん街が渋谷マークシティEAST MALLの地下1階に移されていました。
3月31日には、東急百貨店東横店の西館と南館も閉館となったけど、地下の食料品売り場である東急フードショーの営業が、9月13日まで継続されていました。
9月14日には、東急フードショーが、東横のれん街のあった渋谷マークシティEAST MALLの地下1階に移された上でリニューアルオープンされていたけど、その後の9月26日には、渋谷駅2階に新たな歩行者デッキの開設及びJR玉川改札の閉鎖により、旧、東横店部分が完全に閉鎖されていました。
東横店跡は、西館、南館共に取り壊され、跡地には、渋谷スクランブルスクエアの中央棟と南棟が出来る予定となっています。
9月26日に開設された渋谷駅西口の歩行者デッキは、屋根に覆われているので、雨の日の移動はもちろんのこと、渋谷フクラス(渋谷東急プラザ)まで楽にアクセス出来るようになっています。
渋谷ヒカリエには、東京メトロ銀座線の電車を眺めることの出来るスポットがあったけど、銀座線ホームの東側への移設によって見られなくなってしまいました。
東急文化会館は、2003(平成15)年6月30日まであった文化施設で、映画館や天文博物館五島プラネタリウムもありました。
五島プラネタリウムは、それより前の2001(平成13)年3月に閉館されたけど、周辺の渋谷区文化総合センター大和田にあるコスモプラネタリウム渋谷が受け皿となっています。
その3階には、文化理髪室💈や資生堂美容室(その名の通りの資生堂(SHISEIDO)の系列の美容室)💇があったけど、文化理髪室に関しては、東急文化会館の閉館後に大田区北千束(目黒線の洗足駅、大井町線の北千束駅付近)に移転されています。
現在の資生堂美容室(資生堂ビューティーサロン)の渋谷店💇は、同じ渋谷駅の東側にあるcocoti SHIBUYAの2階にあります。
資生堂(SHISEIDO)は、銀座発祥の老舗化粧品メーカーであり、国内の化粧品でトップシェアとなっています。
資生堂が創業したのは、日本の鉄道と同じ年である1872(明治5)年9月17日のことであり、銀座にあった資生堂薬局がその原点であり、1897(明治30)年に主力である化粧品部門に参入していました。
銀座に本店のある資生堂パーラーは、資生堂系列のレストラン、カフェ、洋菓子店であり、1902(明治35)年に銀座の資生堂薬局内に開設された資生堂ソーダファウンテンが起源となっています。
東急文化会館が取り壊されてからは、その跡地が地下鉄副都心線の渋谷駅の建設工事用地となっていたけど、その工事が完成した後に渋谷ヒカリエが建設されるようになっていました。
渋谷の地下街であるしぶちかのほうも、来年初夏までの予定で改装工事が行われていることにより、9月末で一旦閉鎖されていました。
渋谷駅の連絡階段を降りたところに、本家しぶそばという人気の立ち食いそば屋があったけど、再開発工事により、9月13日をもって閉店となってしまったのが残念でありました。
改良工事により一時的に閉店されていた所沢の狭山そばの時みたく、渋谷の地にしぶそばが復活してくれることを願っています。
その代わりに二子玉川、あざみ野、市が尾、青葉台、長津田、中央林間、武蔵小杉、綱島、菊名、蒲田、大井町、池袋の各店をご利用願います。ということになります。
東急沿線から離れた池袋の東武ホープセンター(西口の地下街)に、しぶそばの池袋店があるのは、地下鉄副都心線で結ばれていることの縁もあります。
石神井公園から練馬まで乗った5050系は、5167Fによる石神井公園始発の元町・中華街行き(20時24分発、平日35K運用)であり、全区間各駅停車となっています。
5167Fは、8両編成で、2007(平成19)年に残りの8000系の置き換え用として導入された編成であります。
東横線から8000系が引退したのは、2008(平成20)年1月のことであり、同年2月には、大井町線からも引退していました。
東横線で活躍していた8000系は、一部のみ歌舞伎顔の編成となっていたけど、末期は朝ラッシュ時に限定されていました。
8000系の一部は、系列の伊豆急行(静岡県の伊豆東海岸を走る路線)に譲渡されて、伊豆急8000系として活躍しているけど、赤帯に続いて歌舞伎顔もリバイバルされることで話題になっています。
今日(10月9日)は、10と9の語呂合わせであることから東急の日と呼ばれており、それが東急グループ公認となっています。
このことに対して、10月2日(ちょうど1週間前)は、東武の日であり、東武ファンフェスタの第一回目が行われた2005(平成17)年に制定されていました。
10月2日に東武のことを書かなくて大変申し訳ないと思っています。
このブログで、東急の日(10月9日)に東急のことを話題にしたのは、一昨年(2018(平成30)年)の2122Fによる久喜行き以来でありました。
今から3年前の2017(平成29)年10月9日は、池上線の無料乗車デーとなっていたけど、当時は開業90周年記念の一環で行われていました。
2017年11月5日は、ステーション♪(東京ステーション♪の前身)の定期ライブで、あーにゃこと水湊あおひ氏😸と初めて出会ったけど、あーにゃ😸が最初に覚えたあにゃメイト(あーにゃのファン)は、自分(しゃもじ)🐰だったに違いないと思っています。
東京ステーション♪の小麦ぱんこ氏🍞は、ホワイトキャンパスⅠの時代から推しているけど、あーにゃ😸繋がりで出会うことが出来たのであります。
自分(しゃもじ)🐰は、ステーション♪やれんてつを応援して良かったなと思っています。
渋谷には、秋葉原などと同様のアイドルのライブで行くこともあるけど、駅周辺が目まぐるしく変化していることを感じました。
宮下公園も、大胆に変わっています。
東急百貨店東横店の跡地が取り壊されたら、昔の渋谷駅の面影が殆ど残らなくなってしまいます。
渋谷マークシティと東急フードショーが出来たのは、2000(平成12)年4月のことなのであれから20年経ちました。
池袋で東京ステーション♪を見た後に、小麦ぱんこ氏🍞のメンバーカラーである黄色い渋谷ヒカリエ号🚃💛に乗れたことで幸せを感じていました。
11月9日からの東武鉄道のりょうもう号の一部のリバティ化は、昨日の東武鉄道からのプレスリリースで発表されていたので、ガセネタではありませんでした。
コロナ大騒動の影響により休止となっていた大井町線の急行列車のQシートのサービスが、10月12日から一部の列車に限り再開されることになります。
昨日は、西武新宿から下落合まで、西武鉄道30000系の38101Fによるドラえもんのラッピング電車である「DORAEMON-GO」に乗ったので、後日お伝えする予定です。
昨日渋谷ヒカリエ号が、定期検査の為に長津田車両工場に入場していたので、撮影しておいて良かったな❗と思っています。
出場後にはどうなるのか気になります。
世田谷線を除いた東急の車両の長津田工場からの出場試運転は、田園都市線の梶が谷~中央林間間を走ることになるので、渋谷ヒカリエ号🚃💛が出場はした時に再び試運転で田園都市線を走る時がやって来ることになります。
このように、東急の日に渋谷ヒカリエ号を話題にすることが出来て良かったです。