
11月29日は、亀戸から曳舟まで、東武鉄道亀戸線の8575F(黄色と赤帯の試験塗装編成)による、曳舟行きに乗りました。
夜の曳舟駅🚉🌃では、編成全体を入れて撮影することが出来たけど、綺麗に映りました。
この日の日中の亀戸線は、A運用に8577F(オレンジ色に黄帯のレトロカラー)、B運用に8575Fが使われていたので、全て特別塗装となっていました。
亀戸線と東武大師線の8000系の車両基地は、クレヨンしんちゃんでお馴染みの埼玉県春日部市にある南栗橋車両管区春日部支所(北春日部駅付近)であり、1日目は出庫後に亀戸線のB運用、2日目は亀戸線のA運用、3日目は亀戸線のC運用→大師線のD運用の後半、4日目は大師線のD運用の前半→入庫という3泊4日の運用が基本となっています。
今回乗った8570Fは、11月29日に出庫し、12月2日に北春日部に帰ったことになりました。
亀戸線の運用は、曳舟駅4番線を6時25分に発車する亀戸行きから始まるB運用(1日目)、亀戸駅2番線を6時42分(土休日は7時33分)に発車する曳舟行きから始まるA運用(2日目)、曳舟駅5番線を5時34分に発車し、9時台まで亀戸線の運用に入るC運用(3日目)があり、C運用を終えた後に亀戸駅2番線で待機してから西新井駅まで回送され、大師線運用(D運用)の後半(西新井駅 12時34分(土休日は13時12分)発)に入ることになります。
正月3が日には、東武大師線で初詣客輸送🚃🎍(2編成によるピストン輸送)が行われることになっているので、運用が亀戸線と切り離されることになっています。
亀戸駅は、JR中央・総武緩行線と、東武亀戸線が乗り入れる駅で、JR線は高架ホーム、東武線は北側(駅ビルのアトレ亀戸側)にある地平ホームからの発着となっています。
亀戸線の乗り場は、1番線と2番線(JR線とは異なっている)であり、普段はJR線側の1番線からの発着で、朝の1本と留置列車のみ2番線が使われているので、西新井駅の東武大師線ホーム(1,2番線)と同じような扱いとなっています。
亀戸(かめいど)の由来は、昔江戸湾に浮かんでいた亀島であり、亀🐢のような形であったから名付けられていました。
それが陸続きになったことによって亀村となり、そこに亀ノ井という井戸があったことから、亀井戸がもじって亀戸と名付けられていたのであります。
こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)でお馴染みの葛飾区亀有(JR常磐緩行線の亀有駅もある)の由来は、戦国・室町時代に古隅田川と葛西川が合流して亀の背に似た島状の土地となっていたことであり、亀無、亀梨と呼ばれていたことで演技が良くなかったことにより、亀有となったのであります。
亀戸と亀有は、昔亀🐢のような形の地形となっていたことが由来となっていたという共通点があることが分かります。
亀戸駅と亀戸水神駅のある東京都江東区は、1947(昭和22)年3月15日に深川区と城東区(大阪市とは別)の合併により出来た区であり、そのうちの城東区(東京市→東京都)は、1932(昭和7)年10月1日に亀戸町、大島(おおじま)町、砂町の合併により出来た区でありました。
亀戸線と東武大師線の試験塗装は、1958(昭和33)年に7860系の2両8編成16両に施された4種類の塗装であり、現在8577Fに施されているオレンジ色に黄帯の塗装が正式に採用されていました。
黄色に赤帯塗装は、7861Fと7865F、ベージュにオレンジ帯塗装は、7862Fと7866F、オレンジ色に黄帯塗装は、7863Fと7867F、緑色に白帯塗装は、7864Fと7868Fにそれぞれ施されていたけど、こちらは現在の8000系と同じ2両編成でありました。
ベージュにオレンジ帯の試験塗装がリバイバルされなかったので、亀戸線、東武大師線用の8000系の5編成のうちの2編成が従来塗装(ノーマルカラー)となっています。
自分(しゃもじ)としては、ベージュにオレンジ色の試験塗装もリバイバルされて、1編成がノーマル塗装で残ることを予想していたので、残念な結果となってしまいました。
東武亀戸線の路線
曳舟~小村井~東あずま~亀戸水神~亀戸
曳舟駅は、3面5線の高架駅であり、1番線が浅草からの東武スカイツリーライン(伊勢崎線)下り(北千住、久喜、館林、南栗橋方面)、2番線が東急田園都市線、東京メトロ半蔵門線、押上(スカイツリー前)からの東武スカイツリーライン下り(北千住、久喜、南栗橋方面)、3番線が東武スカイツリーライン上り(押上(スカイツリー前)方面、東京メトロ半蔵門線、東急田園都市線直通列車、浅草方面が発着することもあり)、4番線が東武スカイツリーライン上り(浅草方面)、5番線が亀戸線(亀戸方面)であり、前述の朝6時25分発の亀戸行きのみ4番線からの発車となっています。
曳舟駅と直結している駅ビル「EQUiA(エキア)曳舟」にある東京曳舟病院🏥は、2017(平成29)年4月1日に白髭(しらひげ)橋付近にあった白髭橋病院(最寄り駅は東向島駅だった)からの移転により開設された、医療法人伯鳳会による駅直結型の病院(東京都災害拠点病院でもある)🏥であり、東急電鉄大井町線と目黒線の大岡山駅(東京都大田区)の真上にある東急病院(東急による企業立病院(日本の私鉄で唯一である))🏥と同様に、雨の日のお見舞いや通院(リハビリ)に便利であります。
昨日のブログで紹介した天現寺橋の近く(恵比寿、広尾両駅付近、東京都渋谷区恵比寿)にある東京都立広尾病院🏥は、2023年までにこどもの城、青山劇場の跡地(渋谷駅と表参道駅の間)に首都災害医療センターとして移転される予定だったけど、その跡地の改修計画に変更された為に移転が撤回され、同じ敷地での新病棟への改築計画に変更されていました。
このように、広尾病院の移転計画が撤回された理由は、こどもの城の跡地の他の目的への転用だけでなく、反対の声があったからでもあります。
東京都立の病院🏥は、広尾病院のほか、大塚病院(豊島区)、駒込病院(文京区)、墨東病院(墨田区)、多摩総合医療センター・小児総合医療センター・神経病院(府中市)、松沢病院(世田谷区)であり、そのうちの墨東病院🏥は、墨田区江東橋(錦糸町、住吉の両駅並びに、都営バスの江東車庫前バス停付近)にあります。
病院🏥で働く医療従事者たちは、長引くコロナ禍(コロナ大騒動)により大変な状態となっているので、そんな中でコロナと戦っている医療従事者たちに感謝しています。
東京都墨田区は、1947年3月15日に本所区と向島区の合併により出来た区であり、墨田の名は、隅田川の墨堤の墨に、隅田川の田を組み合わせたことが由来であります。
向島区の前身は、寺島町、隅田町、吾嬬(あづま)町であり、東あずま駅の駅名に、吾嬬町だった頃の名残があります。
東あずま駅が東東(東々)ではないことは、このことでありました。
現在墨田区は、所在地の押上と共に、2012(平成24)年5月22日の東京スカイツリーの開業により知名度が上がっています。
このように、東京23区などの前身を探ってみるのが面白い状態であり、23区ではほとんど紹介したことになりました。
東武大師線の走る東京都足立区は、足立郡→南足立郡(千住町、西新井町、梅島町、江北村、舎人(とねり)村、渕江村、伊興村、東渕江村、綾瀬村、花畑村)が前身であり、区制施行により足立区となっています。
上野駅や浅草駅のある台東区は、1947年3月15日に下谷区と浅草区の合併により出来た区であり、1931(昭和6)年5月25日に現在の東武浅草駅が浅草雷門駅として開業した当時は浅草区の時代でありました。
8577Fが、レトロカラーとなったのは、2016(平成28)年3月のことであり、昨年6月にはこの塗装のままで全般検査から出場していました。
翌年の2017(平成29)年2月には、8568Fが緑亀塗装🚃🐢に、同年7月に8565Fが黄色に赤帯塗装にリバイバルされて3色となっています。
11月15日に曳舟駅で亀戸線の列車を撮影した時には、8565Fと8577Fが使われていました。
8565Fは、1974(昭和49)年の富士重工業(現、SUBARU(スバル))製であり、自分(しゃもじ)の好きな富士重工業製の鉄道車両の一つであります。
日本カー・オブ・ザ・イヤー2020-2021に選ばれていたSUBARU(スバル)のレヴォーグ(LEVORG、スポーツワゴン車🚗)は、10月にモデルチェンジされ、11月26日に発売された2代目であり、1.8リッターの水平対向4気筒ガソリン直噴ターボエンジン(CB18型)は、パワフルかつ低燃費であることに加え、先代にあった1.6リッターガソリンターボエンジン車と同様に、レギュラーガソリン仕様⛽なので、経済的と言われています。
このような水平対向エンジン搭載のスポーツワゴン車は、低重心となっているのが魅力であり、立体駐車場🅿️に入ることも出来ます。
スバルレヴォーグが製造されている工場は、群馬県太田市にある群馬製作所本工場(自動車製造工場)🏭🚗であり、同じ太田市にあるSUBARU(スバル)の矢島工場、東上線のみなみ寄居駅前にある本田技研工業(ホンダ、HONDA)の埼玉製作所寄居完成車工場🏭🚗と並ぶ東武沿線の自動車製造工場となっています。
スバルは航空機メーカー(旧、中島飛行機)✈️、ホンダはオートバイメーカー🏍️(現在は日本国内の2輪車(オートバイ)🏍️のシェア1位である)が原点となっているので、スバル車🚗は航空機メーカー、ホンダ車🚗はオートバイメーカーによって作られた(それぞれの実績のある)4輪乗用車🚗であります。
本田技研工業(ホンダ、HONDA)のステップワゴン、オデッセイなどのミニバンは、低床・低重心ミニバンとなっています。
東上線の小川町~寄居間と越生線(坂戸~越生(おごせ)間)も、専ら8000系のワンマン列車(こちらは4両編成)が使われている区間となっているけど、ツートンカラーの81107Fと、セイジクリーム塗装(イベント専用車である8111Fと同じ)の81111Fも活躍しています。
8000系の4両編成によるワンマン列車は、東武宇都宮線(栃木、新栃木~東武宇都宮間)にもあったけど、20400型(日比谷線直通で活躍していた20000系列から改造された3ドア車)に置き換えられてからは、東上線の小川町~寄居間と越生線だけとなっています。
亀戸駅の北口付近にある亀戸餃子🥟は、安くて美味しい😋🍴💕と言われているけど、自分(しゃもじ)は残念ながら未だ味わったことはないです。
曳舟駅と京成曳舟駅の間にあるイトーヨーカドー曳舟店🛒🕊️は、クレヨンしんちゃんに出てくるサトーココノカドーのモデルとなった春日部店(埼玉県春日部市、春日部駅の西側)と同様に、鳩マークの看板のある店舗となっています。
イトーヨーカドーは、1920(大正9)年に浅草に開店した羊華堂(ようかどう)洋品店が原点であり、ヨーカ堂→伊藤ヨーカ堂となったことを経てイトーヨーカ堂(イトーヨーカドー)となり、鳩マークのスーパーマーケットとして全国に展開されていました。
イトーヨーカドーが創業100周年を迎えていたので、記念キャンペーンが行われています。
イトーヨーカドーのシンボルである鳩マークの看板は、1972(昭和47)年から使われているけど、2005(平成17)年にセブン&アイ・ホールディングスの傘下となったと共に、セブン&アイ・ホールディングスのロゴマークとなったことにより一時的に姿を消していました。
2017年には、鳩マークの復活計画により、大森店(大田区)を皮切りに鳩マークの看板が復活したけど、4面のうちの2面にセブン&アイ・ホールディングスのロゴマークが残されているので、セブン&アイ・ホールディングスのイトーヨーカドーであることが強調されるようになっています。
イトーヨーカドーの鳩マークの看板の赤は情熱、青は清潔を表す意味があります。
2017年4月には、春日部店の看板がクレヨンしんちゃんとのタイアップにより、サトーココノカドーの看板(イトーヨーカドーのパロディで、鳩マークをコウモリマーク🦇に変えたもの)となっていたことで話題になっていました。
イトーヨーカドーのイトーは、伊藤家によって創業されたこと、ヨーカドー(ヨーカ堂)は、前身の羊華堂洋品店が由来であり、八日のことではないです。
自分(しゃもじ)は、復活したイトーヨーカドーの鳩マークを見て、イトーヨーカドーと言えばやはりこれだな❗と思っていました。
イトーヨーカドーの鳩マークの看板が一時的に消えていた2005年は、小田急電鉄でロマンスカーらしいロマンスカーである50000形VSE(みんな大好き展望席付きロマンスカー)🚃💺がデビューした時でもありました。
通勤輸送を意識しすぎたロマンスカーである30000形EXE(自分(しゃもじ)が土曜出勤に当たった時の休日EXEの由来でもある)が、こんなのロマンスカーじゃない❗と言われていたように、鳩マークのないイトーヨーカドーは、こんなのイトーヨーカドーらしくない❗と言うような状態であります。
そんな今日(12月19日)は、自分(しゃもじ)が先週に続いて土曜出勤(休日EXE、アウェイ)となったので、東京ステーション♪の小麦ぱんこ🐼、永綱紗良💙両氏が出てくるキラキラヒカレに行かれないのが残念であります。
今週もまた、今日の土曜出勤(休日EXE、アウェイ)の後、明日の日曜日の公休日(単休)を挟んで明後日の週明け(シウアケ)の月曜日にまた仕事という絶望的な週末になってしまいました。
このことで、あーにゃこと水湊あおひ氏😸に、しゃもじさん🐰土曜日忙しいと言われたことを思い出してしまいました。
このことも、鳩マークのないイトーヨーカドーに例えたくなる状態であります。
来年3月12日に小田急ロマンスカーの車内販売が無くなるのが残念であります。
その理由は、コロナの影響のほか、乗車前に売店やコンビニ等で買い物(お弁当や飲みものの調達)を済ませる人が多いという影響もあると思います。
これにより、大手私鉄の有料特急の車内販売が東武特急と近畿日本鉄道(近鉄)の近鉄特急だけとなってしまうけど、どうなるのか分からないです。
この画像を撮影した11月29日は、秋葉原で東京ステーション♪の小麦ぱんこ🐼、永綱紗良💙、高橋みう🌹各氏と出会った後だったのでテンションが上がっていました。
曳舟駅の5番線では、東京スカイツリーのライトアップを入れて撮影することも出来ます。
このように、東武亀戸線で、黄色に赤帯の8575Fを撮影することが出来て良かったです。
おまけの画像は、