
こちらは、2018(平成30)年6月23,24
日に小田急電鉄の新宿駅、7月7日に新宿~南新宿間の山野美容専門学校、小田急旧本社前の踏切で撮影した、懐かしの小田急7000形ロマンスカーLSE車の7004Fです。
新宿~南新宿間の撮影ポイントは、地上急行線と地下緩行線の分岐点付近であり、カーブを曲がるということで人気の撮影ポイントとなっています。
周辺には、小田急の旧本社(小田急南新宿ビル)と山野美容専門学校(山野学苑)🏫があり、山野美容専門学校🏫は、地上27階、地下3階建てのMYタワーの中に入っています。
南新宿駅は、1927(昭和2)年4月1日に小田急線の新宿~小田原間と共に開業した当時は、千駄ヶ谷新田駅で、現在よりも新宿寄りにありました。
当時は、下りホームが新宿1号踏切と、新宿2号踏切の間に、上りホームが当時の小田急本社前にあったということで、千鳥式の相対ホームとなっていたけど、のちに上りホームが下りホームと同じ場所に移設されて2面2線の相対式ホームとなっていました。
1937(昭和12)年7月1日には、小田急本社前駅となり、一時期東京急行電鉄(東急)と合併されて大東急の時代を迎えていた1942(昭和17)年5月1日に南新宿駅となっていました。
1973(昭和48)年12月21日には、南新宿駅が現在の場所(暗渠化された代々木川の築堤の上)に移設され、その跡地に地上急行線と地下緩行線に分かれるポイントが設けられるようになっています。
LSEの由来は、Luxury Super Expressであり、1963(昭和38)年の3100形NSE以来17年ぶりに登場していたことからその名の通り、豪華で贅沢な仕様となっていました。
車内のほうも、Luxuryに相応しく、簡易リクライニングシートの採用や明るい内装となっていたけど、座席はオレンジ色と金色でありました。
折戸式の自動ドアが初めて採用されていたこともLSEの特徴であり、それが10000形HiSE車や20000形RSE車にも受け継がれていました。
3100形NSE車までは手動式であり、走行中は電磁ロックが掛けられていました。
7000形LSEの7004F🚃は、1983年に11両全てが川崎重工業兵庫工場(Kawasaki)で製造され、翌年の1984(昭和59)年1月14日に営業運転が開始された、 7000形LSEの最終増備車であり、1983年の川崎重工業製ということで、京阪電気鉄道(京阪)の6000系と同期の車両でもありました。
営団地下鉄→東京メトロ銀座線で活躍していた01系試作車(01-101F、現在はそのうちの3両が中野富士見町駅付近にある中野車両基地で静態保存されている)も、1983年の川崎重工業製で、同期でもありました。
1984年1月に、LSEが4編成出揃ったことにより、余裕が出たことで、3100形NSEの車体更新も行われていました。
7004Fが車体更新されたのは、1998(平成10)年のことであり、日本車輌製造豊川製作所で更新工事が行われていた絡みにより、川崎重工業製でありながら、日本車両の白い銘板となっています。
このことは、川崎重工業製の30000形EXEの30256+30056Fが
2018年3月まで活躍していた7003Fは、1982(昭和57)年に11両全てが日本車輌製造豊川製作所で製造され、1996(平成8)年に、車体更新されていた、更新第一号でありました。
2007(平成19)年7月6日には、初代3000形SE車生誕50周年記念として、7004Fが、10000形HiSE車に準じていたワインレッド色から、バーミリオンオレンジ系の旧塗装(リニューアル前の塗装)となり、大好評であったことから継続され、2012(平成24)年には、D-ATS-P装置の取り付けにより、7003Fにも施されていました。
7001Fと7002Fは、1980年から1981(昭和56)年に掛けて、日本車輌製造と川崎重工業の分担により製造されていた編成であり、どちらもD-ATS-P装置の取り付けの対象から外されたことにより、7002Fは、2010(平成22)年1月に、7001Fは、2012年2月にそれぞれワインレッド塗装のままで廃車解体されていました。
7002Fは、国鉄時代の1982年12月に、ボギー車だった183系特急型電車との比較試験により、国鉄(日本国有鉄道、JNR)に貸し出された上で東海道線の大船~熱海間(現在のJR東日本の路線)を走っていた編成でもありました。
当時は、ロマンスカーが根府川鉄橋を渡り、熱海まで乗り入れていたことで話題になっていました。
ロマンスカー車両の東海道線での走行試験と言えば、1957(昭和32)年9月に、初代3000形のSE車(3011F)が貸し出された上で行われていた高速試験も有名であり、9月27日には、函南~沼津間(現在はJR東海の路線となっている)で、狭軌鉄道世界最高記録である145Km/hを記録していました。
ロマンスカー車両が、国鉄に貸し出された上で行われた東海道線での走行試験は、2回行われていたことが分かります。
2018年3月に完成した東北沢~世田谷代田間の地下複々線化工事🚇で、莫大な予算が掛かっていた為に7000形LSEの置き換えに手が回らず、D-ATS-P装置の取り付け等により延命されていたのであります。
7004Fに関しては、70000形GSEの70052F🚃の導入延期(2018年度への繰越し)によって、運転期間が同年7月延長されていました。
そのお陰で、70000形GSEと7000形LSEの共演が見られていたのであります。
座席💺は、昔ながらの簡易リクライニングシートで、1号車から5号車までが青系、6号車から11号車までが茶系であったので、リニューアル当時に青系が禁煙車🚭、茶系が喫煙車🚬だった頃の名残がありました。
自分(しゃもじ)が、2018年6月24日にLSEに最後に乗っていた時に当たった座席は、6号車の9A💺で、元喫煙車の茶系の座席でありました。
自動ドアに描かれていた百合(ヤマユリ)のマークは、かつてのロマンスカーのシンボルマークであり、初代3000形SE車以前に活躍していた1700形や2300形の側面にも描かれていました。
旧塗装に戻される前の7000形LSE、10000形HiSE、20000形RSEの側面にも百合のマークが描かれていたのであります。
7004Fは、2018年7月10日に、70000形GSEの70052Fと入れ替わる形で定期運用から離脱され、9月から10月に掛けてツアー列車に使われ、10月13日をもって最後を迎えていました。
同年10月20,21日に海老名車両基地で行われた小田急ファミリー鉄道展2018の時に7004Fが展示され、その後に解体されていました。
自分(しゃもじ)は、10月20日に行ったけど、さがみの表示となっていました。
さがみ号は、2004(平成16)年12月11日に復活したホームウェイ、モーニングウェイ以外の小田原線内完結の特急(小田原発着メイン)であり、1999(平成11)年7月17日改正でさがみ号の運転が一旦休止されるまでの間(初代さがみ号)は、新宿~小田原間で、向ヶ丘遊園、本厚木、新松田の各駅に停車する列車(一部箱根湯本発着もあった)となっていて、7000形LSEも使われていました。
ロマンスカーの向ヶ丘遊園、新松田の両駅の停車は、2018年3月17日の改正をもって廃止されていました。
さがみ号の愛称名は、相模鉄道(相鉄)と同様に相模国が由来となっています。
1999年7月17日から2004年12月10日に、あしがら号や初代さがみ号に替わって運転されていたサポート号は、その名の通り、途中駅にも停車し、ビジネスやショッピングの足として乗客たちをサポートする列車となっていました。
サポート号の愛称の評判が良くなかったことにより、はこね号や2代目さがみ号となり、さがみ号の愛称名が復活していたのであります。
7003Fは、2018年6月に先頭車2両を残して解体されていたけど、一昨年2月に小田原、箱根湯本、藤沢寄りの先頭車だったデハ7803号車が解体されていたので、新宿、片瀬江ノ島寄りのデハ7003号車が、4月19日に海老名駅前(神奈川県海老名市めぐみ町)にオープン予定のロマンスカーミュージアムで展示されることになります。
ロマンスカーミュージアムには、7000形LSEの運転台が活用された運転シミュレーターが設けられることになるけど、7803号車の解体発生品が流用されていることが分かります。
ロマンスカーミュージアムの展示車両は、1927年の小田急線の開業当時に活躍していたモハ1形電車、ロマンスカーシリーズの車両(初代3000形SE(3021F)3両、3100形NSE(3221F)3両、7000形LSE1両(7003号車)、10000形HiSE1両(10001号車)、20000形RSE2両(20001F、ダブルデッカー車(20151号車)を含む))であり、その一部に入ることが出来ます。
モハ1形は、ヒストリーシアターで展示されることになるので、歴史を振り返る映像とマッチすることになります。
1階は、ヒストリーシアター、ロマンスカーギャラリー(前述のロマンスカーの展示スペース)
2階は、エントランス、ジオラマパーク、ジオラマビューテラス、キッズロマンスカーパーク、7000形LSEの運転シミュレーター、ミュージアムショップ(TRAINS)、カフェ(ROMANCECAR MUSEUM CLUBHOUSE)☕
3階(屋上)は、ステーションビューテラスと喫煙コーナー🚬から成っています。
トイレ🚻♿は2階にあり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が、みんなのトイレと呼ばれています。
授乳室やベビーカー置き場もあるので、お子様連れにも安心であり、1階と2階を結ぶエスカレーターや、全フロアを結ぶエレベーターも完備されていることにより、バリアフリー対応♿となっています。
カフェ(ROMANCECAR MUSEUM CLUBHOUSE)☕は、小田急沿線の食材やロマンスカーに因んだメニューが提供されるクラブハウス形式のカフェであり、ペデストリアンデッキに面していることにより、来館者以外でも入店することが出来ます。
こちらの入館料は、大人 900円、小学生 400円 幼児(3歳以上) 100円であり、当面事前予約制となっています。
営業時間は、10時~18時で、最終入館は17時30分であります。
事前予約の詳細は、3月26日に発表される予定であります。
あーにゃこと水湊あおひ氏😸が出てくる舞台は、5月1日から9日まで築地本願寺ブディストホール(昨年と同じ会場)で行われる「QUEEN DOM 文化女子の戦におけるかくも腹黒き百花繚乱戦国絵巻」であり、あーにゃ😸はBチームとなります。
あーにゃ😸からは、舞台見に来てね❗と言われているので、是非行きたいです。
長引く緊急事態宣言の解除を願う気持ちは、電車を止めるな!と同じであり、経済を止めるな!しゃもじを止めるな!という状態でもあり、絶対にあきらめない気持ちもありました。
本当に長引く第二次緊急事態宣言の解除及び、自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)活動再開を願っています、と言っていたけど、ようやく解除されることになり、青函トンネルと同様の長いトンネルを抜け出したことになりました。
アイドルたちも、緊急事態宣言が解除されなければしゃもじさん🐰に会えないと言っているに違いないので、解除を願っていたのもそのはずであります。
21日の解除は、聖火リレーに間に合わせる形であるけど、28日の自分(しゃもじ)の誕生日にも間に合いました。
飲食店のほうは、当面21時までの時短営業が継続されることになります。
自分(しゃもじ)が白金高輪で最後にHIGHSPIRITS(ハイスピ)を見てから昨日(3月20日)で1年経ちました。
そろそろ再会してみたいと思っているけど、コロナ大騒動がネックとなっています。
明日(3月22日)のさやぽんこと葉月沙耶氏🐶の生誕祭に仕事で行かれないのが残念です。
昨年3月21日は、JR原宿駅の新駅舎が開設されていたけど、あれから1年経ちました。
昨年の今日は、あーにゃこと水湊あおひ氏😸を見た日でもありました。
今日まで続いていた今回の第二次緊急事態宣言では、前回とは異なり、アイドルのライブが決行となっていたことにより、しゃもじ出禁であったので、自分(しゃもじ)に対する嫌がらせでありました。
これにより、2月14日のバレンタインデーにあーにゃこと水湊あおひ氏😸のプレミアム撮影会に行かれなかったのが残念でありました。
このように、緊急事態宣言により、自分(しゃもじ)🐰がドルヲタ($ヲタ)活動が出来なかったことを、全般検査や重要部検査(自動車で言えば車検)に入場中であることに例えていさた。
自分(しゃもじ)はサンライズエクスプレスの285系に乗りたいと強く思っています。サンライズエクスプレスに乗りたい❗日出快车に乗りたい❗あー乗りたい❗あーにゃ乗りたい❗I Wan't to ride the Sunrise Express❗我想骑日出❗
来週末の27日は、土曜出勤(休日EXE、アウェイ、銅曜日)となるので、緊急事態宣言解除後初の週末と騒がれることで、地獄に突き落とされたことみたいに嫌気が差してきます❗
金曜日は一応週末であるけど、週末と言えば土日のことを指すことが非常に多いです❗
自分(しゃもじ)が土曜出勤に当たる度に休日EXE、アウェイ、銅曜日と呼びたくなることに加え、何が週末だ❗と叫びたくなります。
本当は3月7日に緊急事態宣言が解除されていれば良かったと思っているけど、再々延長されなくて良かったです。
今日は、箱根登山鉄道の109号車が最後を迎えていました。
3月13日のダイヤ改正で、ロマンスカーの車内販売が30000形EXE(EXEα)を含めて廃止されてしまったことで残念に思っています。
EXEα化された、30000形の30253+30053Fは、3月16日に営業運転に復帰していたことを聞きました。
小田急新5000形の5055Fのほうも撮影してみたいと思っています。
前回の第一次緊急事態宣言の最終日である5月24日に小田急ロマンスカーの70000形GSEのことを書いたので、今回の第二次緊急事態の最終日にロマンスカーのことを書いたことになりました。
ロマンスカーミュージアムに行きたい❗あー行きたい❗あーにゃ行きたい❗ということになるけど、落ち着いてからにしたいと思っています。
千葉県知事選では、元千葉市長の熊谷俊人氏が当選したという情報が入ってきました。
これからの千葉県を支える為に頑張ってもらいたいです。
熊谷は、地名は「くまがや」と読むけど、人名は「くまがい」と読みます。
熊谷市は、熊谷(くまがい)氏が由来であり、地名が「くまがい」から「くまがや」に変わっていました。
熊谷(くまがい)氏を説明する時に、熊谷(くまがや)と書いて「くまがい」と言います。ということになります。
森田健作(鈴木栄治)知事の時代は、2009(平成21)年4月から12年間続いてきたことになりました。今までお疲れ様でした。
今回の第二次緊急事態宣言は、しゃもじ出禁となっていたのが辛かったです。
緊急事態宣言が解除されたからと言って油断は禁物であり、コロナ感染対策に取り組まなければならない状態となっています。
このことを肝に命じてもらいたいです。
このように、懐かしの小田急7000形ロマンスカーLSEやロマンスカーミュージアムを話題にすることが出来て良かったです。