
こちらは、4月6日に都営浅草線の泉岳寺駅、4月11日に京急線の品川駅で撮影した、北総鉄道7300形の7308F🚃で、北総Ⅱ期線開業30周年記念ヘッドマークが取り付けられています。
4月6日は平日33N運用、4月11日は土休日29N運用に使われていたけど、前者のほうは、夕方から夜に掛けて西馬込~泉岳寺間を往復するシャトル運用に入っていました。
4月11日には、北総線と京成、都営、京急線との3社1局直通運転30周年記念ヘッドマーク付きの7500形7502F(土休日23N運用)も撮影することも出来ました。
北総線🚃は、京成高砂(高砂、東京都葛飾区)と印旛日本医大(千葉県印西市)を結ぶ、千葉ニュータウンへのアクセス路線で、2010(平成22)年7月17日に開業した成田スカイアクセス線の基礎ともなった路線でもあり、1979(昭和54)年3月9日に、Ⅰ期区間として、北初富~小室間が開業していました。
当時はゲンコツ電車こと北総7000形と新京成の電車による6両編成によって、新京成電鉄新京成線の松戸駅まで、北初富駅経由での相互直通運転が行われていたので、高砂延長までの繋ぎであったことが分かります。
1984(昭和59)年3月19日には、住宅・都市整備公団→都市基盤整備公団(現、都市再生機構)保有だった小室~千葉ニュータウン中央間が開業し、住宅・都市整備公団所属によって公団車と呼ばれていた2000形(後の9000形)も導入されていました。
1991(平成3)年3月31日には、北総Ⅱ期線として、京成高砂~新鎌ヶ谷間が開業し、京成線、都営浅草線、京急線との直通運転(西馬込駅または京急川崎駅まで)が開始され、北総線(千葉ニュータウン)から都心まで乗り換えなしで行けるようになっていました。
3月31日には、30周年を迎えていたのであります。
北総線と新京成線との直通運転(松戸~北初富~千葉ニュータウン中央間)は、北総線の高砂延長後も継続されていたけど、翌年の1992(平成4)年7月8日に新京成線の新鎌ヶ谷駅が開業したことにより、直通運転が廃止され、北初富~新鎌ヶ谷間の連絡線路(途中、踏切が1ヶ所あった)が撤去されていました。
1995(平成7)年4月1日に住宅・都市整備公団の千葉ニュータウン中央~印西牧の原間、2000(平成12)年7月22日に印西牧の原~印旛日本医大間がそれぞれ開業し、あれから10年後の2010(平成22)年7月17日に京成成田空港線(成田スカイアクセス線、京成高砂~印旛日本医大間は北総線との共用区間)が開業したことで、成田空港へのアクセス路線として成長していました。
北総開発鉄道北総・公団線が、北総鉄道北総線となったのは、2004(平成16)年7月1日のことであり、同時に小室~印旛日本医大間の線路や施設及び9000番台の車両が都市基盤整備公団から千葉ニュータウン鉄道(同じ京成グループ)に譲渡されていました。
北総線の車両基地は、開業当時は西白井駅構内にあり、西白井行きも見られていました。
2000年7月22日に印旛日本医大まで延長された時に印西牧の原駅付近にある印旛車両基地に移転されたので、その出入庫の絡みにより、印西牧の原行きが現在でも運転されています。
西白井車庫跡は、保線基地となり、そこには北総7000形の7002Fに連結されていた7001号車(トップナンバー)がブルーシートに覆われた状態で保管されているけど、格納庫が撤去されてからはこのような措置が取られています。
印旛車両基地は、千葉ニュータウン鉄道保有、北総鉄道管理の車両基地であり、全般検査等の大掛かりな検査を行う施設がない為に、京成電鉄の宗吾工場で委託の形での検査が行われています。
舞浜リゾートライン(こちらも京成グループとなっている)の車両の全般検査も、宗吾工場で行われているけど、その場合は陸送されることになります。
新京成電鉄の車両の検査は、くぬぎ山車両工場で行われています。
新京成線のくぬぎ山車両基地及び工場は、1975(昭和50)年から使われているけど、それ以前は五香駅構内にあった車両基地が使われていました。
北総鉄道の7300形は、1991年3月31日の北総開発鉄道北総・公団線(現、北総鉄道北総線)のⅡ期区間(京成高砂~新鎌ヶ谷間)の開業に伴う増備車であり、同年3月19日の成田空港✈️への新線の開業と共にデビューした親会社の京成電鉄の3700形(サンナナ)に準じた姉妹車となっているので、新3000形から導入されている京成グループ標準車体の先駆けとなっています。
7300形には、1991年に北総によって
、7308Fと7318Fの2本16両が導入されたオリジナル車両(7300番台)と、京成3700形が北総鉄道にリースされて7800番台となった車両から成っており、後者は、リース車だった7050,7250,7260形の置き換え用として北総にリースされています。
7808Fは3808F、7818Fは3748F、7828Fは3778Fのリース車であります。
7308Fは東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、7318Fは日本車輌製造豊川製作所製となっているけど、これらの編成のデビュー当時は、3700形の初期型と同様に、方向幕でスカートが取り付けられていなかったです。
現在は京成3700形と共にフルカラーLED化され、スカートが取り付けられています。
7300形の表示が3700形の初期型と同様に幕式→3色LED→フルカラーLEDと変化していたので、京王電鉄の8000系(こちらも日本車輌または東急車輛製造製)の種別・行先表示の変遷(へんせん)に似ているところがあります。
7300形のオリジナルの2編成は、1991年から1992年までの間に新京成線の松戸駅まで乗り入れていたこともあったので、その面影があります。
北総7300形が京成3700形と同一仕様で導入されていたのは、コスト低減の目的もあったので、このことが、新3000形以降の京成グループ標準車体の導入にも結び付いていました。
1991年3月のⅡ期線の開業当時には、京浜急行電鉄(京急)で活躍していた旧1000形の初期型の2本が譲り受けられて7150形として活躍していたけど、松戸への乗り入れが行われていなかったです。
7158Fは4+4編成(一時期分割された上で新鎌ヶ谷~千葉ニュータウン中央間の区間運転に使われていた)、7268Fは、8両固定編成であったけど、後者のほうは、1995(平成7)年9月に、京成電鉄からリースされた7050形(元3150形)の導入により廃車となり、残された7158Fは、1998(平成10)年1月に廃車となったので、印旛日本医大駅、印旛車両基地、京急の羽田空港駅✈️に入ることはなかった編成となっていました。
7158Fは、一時期1枚毎に異なるカラードアが試験的に採用されていたこともありました。
カラードアのほうは、東急電鉄8500系の8637F(Bunkamura号)で実用化されています。
7150形の定期検査は、京急の久里浜工場で行われていました。
1988(昭和63)年から1992(平成4)年までの間、京急旧1000形の2本(1032Fと1040F)が京成電鉄にリースされていたこともあったけど、1040Fは、1991年の3700形の導入により京急に返却されて廃車となり、1032Fは、翌年の1992(平成4)年4月1日の千葉急行線の開業により、青色に白帯塗装に変更されて千葉急行電鉄に貸し出され、1994(平成6)年に京成旧3050形のリース車にバトンタッチされて京急に返却されて廃車となっていました。
北総7150形は、京急からのリース車だったというイメージが強いけど、北総が中古車として購入していた車両だったのであります。
北総の京成からのリース車は、7050形→7250形→7260形→7800形の順で変化しているけど、7050形は3150形、7250形は3200形、7260形は3300形(いずれも赤電系列だった車両)のリース車でありました。
北総鉄道北総線の路線
(京成線、都営浅草線、京急線へ直通運転)←京成高砂~新柴又~矢切~北国分~秋山~東松戸~松飛台~大町~新鎌ヶ谷~西白井~白井~小室~千葉ニュータウン中央~印西牧の原~印旛日本医大
急行の停車駅(平日夜の下りのみ運転)
京成高砂~新柴又~矢切~東松戸~新鎌ヶ谷~西白井~白井~小室~千葉ニュータウン中央~印西牧の原~印旛日本医大
特急の停車駅(平日朝の上りと夜の下りのみ運転)
京成高砂~東松戸~新鎌ヶ谷~西白井~白井~小室~千葉ニュータウン中央~印西牧の原~印旛日本医大
京成成田空港線でのアクセス特急の停車駅
京成高砂~東松戸~新鎌ヶ谷~千葉ニュータウン中央~印旛日本医大~成田湯川~空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️~成田空港(成田第1ターミナル)✈️
乗換駅
京成高砂 京成本線(京成上野、押上(スカイツリー前)、都営浅草線、京急線へ直通運転)、京成金町線
東松戸 JR武蔵野線
新鎌ヶ谷 新京成電鉄新京成線、東武アーバンパークライン(野田線)
印旛日本医大 北総線⇔京成成田空港線(アクセス特急、成田空港方面)
北総鉄道の7500形は、2006(平成18)年から2007(平成19)年に掛けて、7000形の置き換え用として3編成導入された京成新3000形の北総バージョン(初代京成グループ標準車体)であり、7501Fが東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、7502Fと7503Fが日本車輌製造豊川製作所で製造されていました。
現在北総鉄道の車両(千葉ニュータウン中鉄道所属の9000番台を含む)の京急乗り入れは、泉岳寺~京急蒲田~羽田空港第1・第2ターミナル(羽田空港)✈️間に限定されているけど、1999(平成11)年7月30日までの間には、京急逗子線の新逗子(現、逗子・葉山)駅にも乗り入れていました。
現在逗子線で定期運用されている列車は、京急車と都営車であり、都営車に関しては、羽田空港第1・第2国際線ターミナル(羽田空港)✈️~逗子・葉山間のエアポート急行✈️でのアルバイト運用にも使われています。
矢切駅は、待避可能な2面4線の地下駅(地下1階に改札口、地下2階にプラットホームのある地下鉄方式の駅)となっており、その発車メロディーは、矢切の渡し(寅さんでお馴染みの葛飾柴又と松戸市を結ぶ渡し船)の千葉県側の最寄り駅に因んで、細川たかし氏の「矢切の渡し」となっています。
こちらは、「野菊の墓」の舞台としても有名であります。
ここからは、京成バスの松11系統(松戸営業所所属、京成バス市川線)🚌で、松戸駅や市川駅に行くことも出来ます。
京成バス🚌の路線車は、J-BUS系のいすゞ自動車(ISUZU)と日野自動車(HINO)の車両がメインで導入されているけど、松戸営業所では、高速車に加えて路線車も三菱ふそう(FUSO)車🚌メインで導入されていることが特徴であります。
松戸営業所で運行されている高速バス🚌🛣️は、新松戸駅~松戸駅~羽田空港✈️間の空港リムジンバス🚌✈️(松戸新京成バス、京浜急行バスとの共同運行)、松戸駅~東京ディズニーリゾート(ディズニーランド、ディズニーシー)間のディズニーバス🚌(松戸新京成バスとの共同運行)、三井アウトレットパーク木更津→松戸駅間のアウトレットパークバス🚌🛍️(小湊鉄道バスとの共同運行)であります。
松戸営業所の車両は、野田ナンバーとなっているけど、昨年5月の松戸ナンバーの導入により、松戸ナンバーで導入されるようになっています。
新京成電鉄のバス事業が分社化されて松戸新京成バス(松戸営業所)と船橋新京成バス(鎌ヶ谷営業所)が出来たのは、2003(平成15)年10月1日のことであり、同じ日には、京成電鉄のバス事業が分社化されて京成バスとなっていました。
当初は習志野新京成バスもあったけど、2014(平成26)年4月16日に船橋新京成バスに吸収され、同習志野営業所となっています。
2007(平成19)年9月30日までは、新京成電鉄の子会社であった船橋バス(船橋グリーンハイツ線の運行会社で、船橋新京成バスとは別であった)も運行されていたけど、2007年10月1日に船橋新京成バスに吸収合併されていました。
北国分駅は、堀割による半地下構造の駅であり、周辺に堀之内貝塚や、二十世紀梨の発祥の地である、二十世紀公園があります。
二十世紀梨は、鳥取県産が有名だけど、19世紀の松戸で20世紀の代表的品種になることが祈願された上で命名されていました。
千葉県は、江戸時代から続く日本一の和梨の産地として有名であり、主に白井市、市川市、鎌ケ谷市、船橋市、松戸市、柏市、八千代市、市原市、香取市、いすみ市、一宮町で栽培されています。
北国分駅の西側(高砂寄り)に地下トンネルの出入口があります。
東松戸駅は、1991年3月31日に北総線の駅から開業し、1998年3月14日にJR武蔵野線の駅が開業したことにより、乗換駅となっています。
新鎌ヶ谷駅や北総鉄道の本社のある千葉県鎌ケ谷市は、1971(昭和46)年9月1日に鎌ケ谷町の市制施行により出来た市であり、9月1日には、市制施行50周年を迎えることになります。
新京成線の北初富、新鎌ヶ谷、初富の各駅の高架化は、2017(平成29)年10月21日に下り線(京成津田沼、京成千葉方面)から行われ、一昨年12月1日に上り線(松戸方面)が高架化されたことにより、長年掛かっていた高架化工事が一段落していました。
イオン(AEON)の鎌ケ谷ショッピングセンター🛒の前の踏切も廃止されたので、新鎌ヶ谷駅から踏切を渡らずに行くことが出来るようになったほか、車🚗の流れもスムーズになったのであります。
パトカー🚓、救急車🚑、消防車🚒と言った緊急自動車🚨は、赤信号でも通行しても良いこととなっていてアナウンスが流れているけど、踏切の場合は遮断されたら停止しなければならないという問題があります。
このように、踏切が廃止されたことにより、人や車の行き来がしやすくなったことに加え、緊急自動車🚨🚓🚑🚒がスムーズに通れるようになったという朗報がありました。
新京成線の新鎌ヶ谷駅の改札は、北総線、成田スカイアクセス線と共通となっていたけど、一昨年6月16日に改札が分離されていました。
東武アーバンパークライン(野田線)の新鎌ヶ谷駅が開業したのは、1999年11月25日のことであり、鎌ヶ谷駅の高架化も合わせて行われていました。
東武アーバンパークライン(野田線)では、3月28日に愛宕、野田市の両駅が高架化されていました。
千葉ニュータウン中央、印西牧の原、印旛日本医大駅のある千葉県印西市は、1996(平成8)年4月1日に印旛郡印西町の市制施行により出来た市であり、2010年3月23日には、印旛郡印旛村と本埜村の合併により、現在に至っています。
開業当時は、千葉ニュータウン中央、印西牧の原の両駅が印西町、印旛日本医大駅が印旛村となっていました。
旧、印旛村は、ナウマン象発掘の地としても有名であり、その発掘作業が1966(昭和41)年に行われていました。
印旛日本医大駅の由来は、周辺(印西市鎌苅)に日本医科大学の千葉北総病院🏥と、日本医科大学看護専門学校🏫があることであり、徒歩または無料送迎バス🚐で行くことが出来ます。
日本医科大学🏫は、東京都文京区千駄木と武蔵野市(武蔵境、系列の日本獣医生命科学大学と同じ敷地)にキャンパスがあり、付属病院🏥は、千駄木キャンパスと隣接した、日本医科大学付属病院🏥(東京都文京区)、武蔵小杉病院🏥(川崎市中原区)、多摩永山病院🏥(東京都多摩市)、千葉北総病院🏥(千葉県印西市)から成っています。
成田国際空港✈️の第2旅客ターミナルビルの地下(空港第2ビル駅コンコースと同じフロア)には、千葉北総病院🏥によるクリニック(診療所)もあります。
JR成田線我孫子支線(我孫子~成田間)の木下(きおろし)、小林の両駅も、印西市に位置しています。
成田線の我孫子支線は、4月1日に全通120周年を迎えていたので、その記念により、E231系のマト139編成(5両付属編成)がスカ色となっていました。
こちらは、現在常磐快速線と共通のE231系(5両編成または10両編成、トイレなしのロングシート車)が使われているけど、1998年3月13日までは、スカ色の113系(かつて房総地区を中心に活躍していた近郊型車両)も使われていました。
西白井、白井の両駅のある千葉県白井市は、2001(平成13)年4月1日に印旛郡白井町が市制施行されたものであり、市制施行20周年を迎えていました。
白井市は、梨の栽培が最も盛んであり、市制施行20周年記念のロゴマークには、梨がモチーフとされたキャラクターが描かれています。
北総線からは、成田空港✈️に近いことだけでなく、羽田空港✈️へも乗り換えなしで行けるという魅力もあります。
現在スカイライナーやアクセス特急が走っている成田スカイアクセス線があるのも、北総線があるからこそ実現したと思っています。
北総線沿線の鎌ヶ谷市、白井市、印西市は、自動車の習志野ナンバーの地域であり、前述の船橋新京成バスの鎌ヶ谷営業所(鎌ヶ谷大仏駅前)所属の車両も習志野ナンバーとなっています。
習志野ナンバーのバス🚌は、習志野22の時代(京成バス🚌や新京成バス🚌と関連している)には、をナンバーとなっていました。
1997(平成9)年に野田ナンバー(現在は松戸市が松戸ナンバー、柏市と我孫子市が柏ナンバーとなっている)が出来る前は、野田市、流山市、松戸市、柏市、我孫子市も習志野ナンバーの地域となっていたけど、当該地域でも習志野22をナンバーのバス🚌が活躍していました。
鈴川絢子氏の出身地である千葉県習志野市も、習志野ナンバーの地域であります。
船橋市習志野台(新京成線の高根木戸、北習志野(東葉高速鉄道東葉高速線も乗り入れている)、習志野の各駅付近)は、昔陸軍習志野錬兵場があった場所であり、その跡地に作られた習志野台団地や習志野ナンバーは、その由来となっています。
習志野ナンバーの地域では、昨年5月11日に習志野台のある船橋市が船橋ナンバー、市川市が市川ナンバー(どちらもご当地ナンバー)となったので、現在習志野ナンバーで新規及び転入登録の出来る地域が、八千代市、習志野市、鎌ケ谷市、浦安市、印西市、白井市、印旛郡栄町となっています。
一昨日は、あーにゃこと水湊あおひ氏😸のSHOWROOM配信に参加することが出来て幸せを感じました。
あーにゃこと水湊あおひ氏😸が出てくる舞台は、5月1日から9日まで築地本願寺ブディストホール(昨年と同じ会場)で行われる「QUEEN DOM 文化女子の戦におけるかくも腹黒き百花繚乱戦国絵巻」であり、あーにゃ😸はBチームとなります。
あーにゃ😸の予約枠がピンチであると言われているので、自分(しゃもじ)🐰が行ってピンチをチャンスに変えてやりたいです。
自分(しゃもじ)🐰があーにゃ😸を救うということになりますように。
このことは、銚子電鉄を救え❗ということと同様であります。
最近になってから、自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)活動が激減してきており、2021年になってからアイドルのライブ参戦は、自分(しゃもじ)の誕生日である3月28日の東京ステーション♪が出てくる公演だけとなっています。
今年度初の自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が、昨年度と同様に大幅に遅れてしまうことが懸念されます。
本当に大阪府でコロナの感染者数が1000人を超えたように、変異株の猛威によるコロナ超快速特急の大暴走、第4波(ライオン波)🦁は半端じゃない状態であり、早くピークを過ぎて欲しいと思っています❗
東京都もそうだけど、それが第三次緊急事態宣言に結びつき、再びアイドル現場でしゃもじ出禁、SHOWROOMなどの配信で我慢となってしまい、アイドルたちにしゃもじスタイル🐰を披露出来なくなるのは嫌です❗
これによって、自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が、銚子電鉄と同様に危なくなってきています。
3月28日は、東京ステーション♪の小麦ぱんこ氏🐼に誕生日を祝って貰えたことに加え、会えて良かったと言われました。
自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動がそこでストップしてしまうことが懸念されています❗
4月10日には、ぶどう党🍇@budou_idolのワンマンライブが行われていたけど、土曜出勤(休日EXE、アウェイ)🗻により行かれなかったことで、未だ立ち直れない状態であります。
ぶどう党🍇のメンバーとは、一昨年12月22日以来会っていないので、会えない長いトンネルが青函トンネルと同様に長いです。
4月10日のぶどう党🍇のライブに参戦していた友人からは、ぶどう党の華ちゃんにしゃもさんの話したら、今度連れてきて、って言われたから行かなきゃねと言われたので、早く行きたいと強く思っています。
このことを、銚子電気鉄道線(銚子電鉄)に乗ろうと言われていることに例えたくなります。
本当に今年度初の自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が待ち遠しくて仕方がないです。
自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動のない週末が(終末)となってしまったので、西武池袋線の飯能駅で、西武秩父方面に接続しない列車に例えたくなります。
12日は高齢者のワクチン接種が開始されていたけど、そのスピードが早まり、早く一般人でも受けられるようにしてもらいたいです。
本当に再び緊急事態宣言になるのは嫌なのでワクチンを早くしてもらいたいです。
緊急事態宣言は、自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動に加え、鉄道活動の妨げにもなるので絶対に嫌です❗
増えろワクチン接種者❗増えるなコロナ感染者❗
電車を止めるな❗ならぬ、しゃもじを止めるな❗という状態であり、自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)活動の一足早い再開を願っています。
緊急事態宣言のせいであーにゃこと水湊あおひ氏😸との再会のチャンスを失ってしまったよ❗2月14日のあーにゃ😸のプレミアム撮影会に行かれなかったのでそのはずだよ❗と言いたい気分です❗
あーにゃこと水湊あおひ氏😸は、大江戸温泉物語♨️に行きたいと言っていたことにより、あーにゃ本人によるあーにゃ行きたい❗となっていたけど、自分(しゃもじ)🐰はあーにゃ😸に会いたいです❗
一昨日は、東京さくらトラム(都電荒川線)のマスコットキャラクターである「とあらん」が10周年を迎えたので、9000形の9002号車(青いレトロ調電車)によるラッピング電車が運転され、7700形の7701号車と8500形の8503号車に記念ヘッドマークが取り付けられています。
これらのラッピング電車やヘッドマーク付き電車は、7月14日まで運転される予定となっているけど、こちらも是非撮影してみたいと思っています。
もちろん8505号車によるBanG Dream!(バンドリ!)のラッピング電車も撮影してみたいけど、こちらは6月6日までの予定となっています。
昨日(4月19日)は、海老名駅前に小田急のロマンスカーミュージアムがオープンしていたので、遂にこの日が来ました。
あーにゃこと水湊あおひ氏😸は、ロマンスカーミュージアム楽しそうじゃんと言っていたけど、自分(しゃもじ)は、落ち着いてから行きたいと思っています。
本当は、ロマンスカーミュージアムに行きたい❗あー行きたい❗あーにゃ行きたい❗と言いたいところであります。
東京ステーション♪の永綱紗良氏💙😸は、7年ぶりに東京ディズニーリゾートに行ったと言っていました。
この時はディズニーシーであり、永綱紗良氏💙😸にとっては、15年ぶりだったということも聞きました。
北総線では、5月30日までの土休日に使える1日乗車券が1000円(小児は500円)で売り出されているけど、こちらは京成高砂駅の定期券売り場でも買うことが出来ます。
こちらは、スマホ📱のRYDE PASSでのデジタルチケットも選ぶことが出来ます。
北総線関連の記念ヘッドマークは、7308FのⅡ期線開業30周年に関しては、8月31日まで取り付けられる予定だけど、相互乗り入れバージョンは、6月30日までの取り付け予定となっています。
北総線のⅡ期線開業30周年記念ヘッドマークの取り付け車両に、7300形の7308Fが選ばれたのは、開業と共にデビューし、30周年を迎えたという縁であると思っています。
このように、7300形の7308Fによる、北総線のⅡ期線開業30周年記念ヘッドマーク付き電車を撮影することが出来て良かったです。