4月16日は、東村山から国分寺まで、西武鉄道国分寺線の2000系2031Fによる、国分寺行き🚃に乗りました。
西武国分寺線は、国分寺駅と東村山駅を結ぶ西武鉄道で最も歴史の古い路線であり、現在は2000系または新2000系の6両編成が活躍しています。
この日は、西武新宿から東村山まで今日(4月29日)をもって定期運用から離脱される予定の10000系の10105F(レッドアロークラシック)による特急小江戸25号で移動した後、西武多摩川線に寄り道していたけど、この時に西武国分寺線を使いました。
西武国分寺線は、3本による運用で、
2000系または新2000系の6両固定編成による運用が原則となっているけど、たまに4+2の編成が使われることもあります。
今回2000系が1本使われていたことを西武線アプリ📱で知ったので、今回2031Fの乗車、撮影が実現してあました。
西武の6両固定編成は、2000系が2027,2031,2033Fの3本、新2000系が2045,2047,2049,2051,2053Fの5本であり、新宿線で使われる場合には、6+2の8両編成または6+4の10両編成となります。
そのうちの2049,2051,2053Fが方向幕車となっています。
今回乗った2代目2031Fは、1987(昭和62)年に、2代目2033Fと共に、前年1986(昭和61)年3月23日に発生した田無事故で被害を受けた2017Fと2023F(こちらはのちに復活していた)の代替車として、西武所沢車両工場で製造された編成であります。
初代の2031Fと2033Fは、1979(昭和54)年に6両編成として導入されたものであり、1983(昭和58)年の西武新宿口の各駅停車の8両編成化により編成解体され、中間車は8両固定編成化された2001,2003,2005,2007Fに組み込まれ、先頭車は、完全新造のMc車とペアが組まれた上で転用され、2409,2411,2413,2415Fとなっていました。
翌年の1988(昭和63)年には、2415Fの代替車として、2417Fと2419Fが導入されていたけど、こちらは新2000系の要素が取り入れられていました。
田無事故とは、大雪の最中であった1986年3月23日に、西武新宿行きの上り急行列車(2415+2017F)の車輪と制輪子(ブレーキシュー)の間に雪が挟まった影響でブレーキが効かなくなったことにより、田無駅のホームに停車していた、先行の上り準急列車(2407+2023F)に衝突していた事故であり、これによって、急行の前6両と準急の後2両の8両が廃車となっていました。
田無事故で廃車となった車両は、2017Fのクハ2017,モハ2117,2118,2217号車、2023Fのモハ2224,クハ2024号車と2415Fのクモハ2415号車とクハ2416(初代2034)号車であり、1989(平成元)年には、被害の小さかった2023Fの4両と2017Fの2両によって2023Fが再結成されていたけど、この編成は2015(平成27)年に2000系の編成単位での廃車第一号となってしまいました。
2407Fは田無事故で被害にあった編成で唯一現役となっています。
田無事故が発生した当時は、池袋線、西武秩父線を走っていた101系や5000系レッドアロー(初代レッドアロー)に耐雪ブレーキ(圧着ブレーキ)が取り付けていて、新宿線専用の2000系にそれが取り付けられていなかったので、この事故の再発防止により、西武線の全ての電車にに耐雪ブレーキ(圧着ブレーキ)が取り付けられるようになったのであります。
このような、大雪の影響による列車の衝突事故は、2014(平成26)年2月15日に東急電鉄東横線の元住吉駅構内でも発生していたけど、こちらは、5050系の5155Fによる渋谷発元町・中華街行きの各駅停車が、元住吉駅に停車していた横浜高速鉄道所有のY500系のY516Fに衝突していました。
東急5155Fのほうも、車輪とブレーキシューの間に雪が挟まっていた現象となっていたけど、油分が付着していたという問題がありました。
被害に遭った5155FとY516Fは、編成ごと廃車となり、代替車として、スカートがスノープロウ一体型となった東急5050系の5177Fと5178Fが導入されていました。
Y516Fの代替として、東急5156Fが横浜高速鉄道に譲渡、Y500系に編入され、Y517Fとなったという措置が取られていたけど、その穴埋めとして5178F(5050系と2020系のハイブリッド編成)が導入されたのであります。
5178Fの導入までの間は、5050系4000番台の8両編成への組み換えられていました。
東急東横線に乗り入れている西武鉄道の6000系や40000系にも、耐雪ブレーキが取り付けられています。
西武2000系の2027Fは、1979(昭和54)年に導入された初期型の6両編成の最後の1本であり、行先表示が3色LEDとなっています。
西武2000系の初期型が導入された1977(昭和52)年から1979年までの間は、タツノコプロの大人気アニメであったヤッターマン(タイムボカンシリーズの第2作目であった)が放送され、ブームとなっていたので、ヤッターマン世代の電車と呼んでいます。
都電荒川線(東京さくらトラム)で活躍していた7000形(現在はそのうちの8両が7700形に更新されている)は、1977年から1978(昭和53)年に掛けて車体が載せ替えられていたので、こちらもヤッターマン世代の電車であります。
タツノコプロは、1962(昭和37)年10月19日に竜の子プロダクションとして設立された、武蔵野市中町(三鷹駅付近)に本社のある日テレ系列のアニメ製作会社であり、ヤッターマンなどのタイムボカンシリーズ、科学忍者隊ガッチャマン、マッハGoGoGo、みなしごハッチ、ハクション大魔王などの人気アニメが世に送り出されていました。
タツノコプロの創業の地は、国分寺市であり、2013(平成25)年に国分寺から三鷹に移転されていたけど、JR中央線沿線であることには変わりはないです。
国分寺市のイメージキャラクターであるぶんじホタルホッチは、タツノコプロ(竜の子プロダクション)の創業者であった故・吉田竜夫氏の長女でタツノコプロ所属のデザイナーである吉田すずか氏によってデザインされていたので、タツノコプロとの関わりがあります。
タツノコプロのコーポレートキャラクターには、竜の子プロダクション→タツノコプロの由来の通り、タツノオトシゴが使われています。
タイムボカンシリーズは、1975(昭和50)年10月から翌年の1976(昭和51)年12月に掛けてフジテレビ系で放送されていたタイムボカンが最初であり、1977年1月から1979年1月に掛けて放送された第2弾であるヤッターマンも大人気でありました。
ヤッターマンの後、ゼンダマン、オタスケマン、ヤットデタマン、逆転イッパツマン、イタダキマンと続いていたけど、1983年4月から9月に掛けて放送されていたイタダキマンをもって打ち切られていました。
番組自体の視聴率が低かった為にイタダキマンがタイムボカンシリーズで短命となり、タイムボカンシリーズの終了に結び付いてしまったし。
タイムボカンからイタダキマンまでは、フジテレビ系で放送され、当時存在していた玩具メーカーであったタカトクトイス(1984(昭和59)年に倒産していた)がメインのスポンサーとなっていました。
1983年には、同じタツノコプロ系のアニメであった未来警察ウラシマン(SFアニメ)がフジテレビ系で放送されていました。
タイムボカンシリーズは、2000(平成12)年にテレ東系で放送された怪盗きらめきマンで復活していました。
2008(平成20)年から2009(平成21)年に掛けてヤッターマンが日テレ系(読売テレビとタツノコプロの共同制作で、タカラトミーによるメインスポンサー)でリメイク放送されていたので、ヤッターマンが一番人気の作品だったからこそ実現していました。
2016年10月から2017(平成27)年3月までの間は、タイムボカンが日テレ系によりタイムボカン24としてリメイク放送されていました。
西武鉄道の初期型2000系は、一部を除いて1977年から1979年に掛けて製造されていたので、ヤッターマンが流行っていた頃のヤッターマン世代の車両と呼んでいます。
2017年6月まで活躍していた都電荒川線の7000形(現在はそのうちの8両が7700形に改造されている)も、1977年から1978(昭和53)年に掛けてワンマン車体に更新されていたので、ヤッターマン世代の車両でもありまし。
マッハGoGoGoは、1967(昭和42)年4月にテレビ放送が開始されていたタツノコプロ初のカラーアニメ(カーレースアニメ)であり、こちらもタイムボカンシリーズなどと同様にタツノコプロの歴史を語る上では欠かすことの出来ないアニメとなっています。
国分寺駅のある国分寺市は、タツノコプロの発祥の地であるので、このことを話題にしました。
国分寺市は、日本の宇宙開発発祥の地でもあり、1955(昭和30)年に日本初のロケット発射実験🚀が行われていました。
その記念碑が、早稲田実業高校の国分寺キャンパスの前にあります。
早稲田実業高校は、早稲田大学の系属校であり、2001(平成13)年4月に、新宿区早稲田鶴巻町から国分寺市に移転されていました。
現在早稲田実業高校の早稲田鶴巻町キャンパスの跡地は、早稲田大学の120号館(研究開発センター)となっています。
国分寺駅の南側にある「お鷹の道・真姿の池湧水郡」は、東京都名勝、名水百選に選ばれた場所であり、御岳渓谷と並ぶ都内の水の名所となっています。
国分寺駅付近には、電車開通記念碑や中央鉄道学園記念碑と言った鉄道関連の記念碑があります。
そのうちの電車開通記念碑は、1922(大正11)年に国分寺駅まで電化されたことを記念して建てられたものであります。
国分寺市光町には、鉄道総合技術研究所国立研究所や鉄道情報システムの国立事業所があるので、国分寺市が鉄道との縁のある街となっています。
そこにあるひかりプラザには、国分寺市新幹線資料館があり、新幹線の試験車両の951形が展示されています。
光町の地名は、新幹線のひかり号に因んで名付けられたものであります。
国分寺駅付近には、日立製作所(HITACHI)の中央研究所があり、年に2回(春と秋に)そこにある庭園が公開されています。
このことで、日立グループのCMソングである、日立の樹(この木なんの木)🌳を思い出します。
西武国分寺線の路線
国分寺~(羽根沢信号場)~恋ヶ窪~鷹の台~小川~東村山
開業したのは、川越鉄道川越線(JR川越線とは別)の時代の1894(明治27)年12月21日の国分寺~久米川(仮)間のことであり、当時は非電化路線で、途中駅が小川駅しかなかったです。
翌年の1895(明治28)年3月21日には、川越(現、本川越)まで延長されたけど、武蔵野鉄道(現在の西武鉄道の母体となった会社)武蔵野線(西武池袋線の前身、JR武蔵野線とは別)が開通していなかった為に、所沢駅に一番乗りしていました。
西武池袋線の池袋~飯能間が武蔵野鉄道武蔵野線として開業したのは、1915(大正4)年4月15日のことであり、その時点で所沢駅が乗換駅となったのであります。
1927(昭和2)年4月16日には、村山線の高田馬場~東村山間(現在の新宿線の一部)が開業した時に国分寺~東村山間が支線に格下げされ、西武新宿駅まで延長された1952(昭和27)年3月25日に、国分寺~東村山間の支線が国分寺線に変更されていました。
恋ヶ窪駅は、1955(昭和30)年2月10日に、鷹の台駅は、1948(昭和23)年10月21日に開業していたので、どちらも後から出来た駅であります。
恋ヶ窪駅は、国分寺市役所の最寄り駅でもあり、徒歩3分で行くことが出来ます。
鷹の台駅周辺には、津田塾大学、東京創価学園(創価学会、創価大学の系列、東京創価小学校、創価中学校・高等学校)、白梅学園(白梅学園高等学校・清修中学校・白梅学園短期大学・白梅学園大学)、朝鮮大学校、武蔵野美術大学と言った学校🏫があるので、登下校の時間帯には賑わうことになります。
小川駅は、2面4線で、外側が拝島線、内側が国分寺線であり、後者のほうは、列車の交換(行き違い)が行われています。
乗り場は、1番線が拝島線上り(萩山、小平、西武新宿方面)、2番線が国分寺線下り(東村山、西武園方面)、3番線が国分寺線上り(国分寺方面)、4番線が拝島線下り(玉川上水、拝島方面)から成っているので、乗り換えに便利な駅となっています。
小川駅のトイレ🚻は、改札外にあるけど、車椅子対応のだれでもトイレ🚻♿🚽は、西口1階のエレベーター前に設けられています。
小川駅の東側には、ブリヂストン(BRIDGESTONE)の東京工場があるけど、1960(昭和35)年に開設された当時は、小川駅から陸軍の施設から引き継がれていた引き込み線が出ていました。
拝島線の萩山~小川間は、1962年9月1日に、ブリヂストンの東京工場への引き込み線の一部が改築された上で開業した区間であります。
ブリヂストン(BRIDGESTONE)は、1931(昭和6)年3月1日に福岡県久留米市で創業した大手タイヤメーカーであり、90周年を迎えていました。
ブリヂストン(BRIDGESTONE)の由来は、創業者であった石橋正二郎氏(石橋家)に因んだ英語のブリッジ(橋)とストーン(石)が合成されたものであり、ストーンブリッジだと語呂が悪いと判断されたことにより、ブリヂストン(BRIDGESTONE)となったのであります。
上水線→拝島線の小川~玉川上水間は、1950(昭和25)年5月15日に日立航空機の立川工場の専用鉄道が譲り受けられて開業した区間であるので、萩山~小川~玉川上水間が専用線からの転用によって出来た区間であることが分かります。
レッドアロークラシックは、2015年3月21日に、川越鉄道敷設(ふせつ)120周年記念により、国分寺~本川越間で2往復運転されていました。
1995(平成7)年11月11日には、川越鉄道敷設100周年記念により、4000系(飯能~西武秩父間で使われているトイレ🚻付きの2ドアセミクロスシート車)による記念列車が国分寺~本川越間で運転されていたのであります。
西武鉄道の路線は、池袋線、豊島線、狭山線が母体であった武蔵野鉄道、新宿線、国分寺線、西武園線が川越鉄道→西武鉄道(旧)、多摩湖線と拝島線の小平~萩山間が多摩湖鉄道、西武多摩川線が多摩鉄道によって開拓され、多摩湖鉄道と多摩鉄道が西武鉄道(旧)に吸収合併されていました。
1945(昭和20)年9月22日には、武蔵野鉄道、西武鉄道(旧)、食糧増産の合併により西武農業鉄道となり、翌年の1946(昭和21)年11月15日に現在の西武鉄道となっています。
西武秩父線、西武山口線、西武有楽町線、新宿線の西武新宿~高田馬場間、拝島線の萩山~拝島間は、現在の西武鉄道によって開拓された区間であります。
東急電鉄のほうは、目黒蒲田電鉄が母体で、東京横浜電鉄、池上電気鉄道、玉川電気鉄道の4つの会社が1つになって出来ていたので、西武鉄道の生い立ちに似ているところがあります。
一昨年(2019(平成31)年)3月16日のダイヤ改正では、東村山駅の高架化工事により、国分寺線と新宿線(新所沢駅または本川越駅)の直通運転が休止され、車両の送り込みが、南入曽車両基地から玉川上水車両基地(玉川上水~小川~東村山間)に変更されていたので、車両の向きが変わっています。
西武国分寺線のナンバリングは、緑色のSKで、西武園線が国分寺線と一体となっている為に、西武園駅がSK06となっています。
あーにゃこと水湊あおひ氏😸が出てくる舞台は、5月1日から9日まで築地本願寺ブディストホール(昨年と同じ会場)で行われる「QUEEN DOM 文化女子の戦におけるかくも腹黒き百花繚乱戦国絵巻」であり、あーにゃ😸はBチームとなります。
あーにゃ😸の予約枠がピンチであると言われているので、自分(しゃもじ)🐰が行ってピンチをチャンスに変えてやりたいです。
自分(しゃもじ)🐰があーにゃ😸を救うということになりますように。
このことは、銚子電鉄を救え❗ということと同様であります。
中止や延期の場合は難を逃れます。
最近になってから、自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)活動が激減してきており、2021年になってからアイドルのライブ参戦は、自分(しゃもじ)の誕生日である3月28日の東京ステーション♪が出てくる公演だけとなっています。
今年度初の自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が、昨年度と同様に大幅に遅れてしまうことが懸念されます。
本当に変異株の猛威によるコロナ超快速特急の大暴走、第4波(ライオン波)🦁は半端じゃない状態であり、早くピークを過ぎて欲しいと思っています❗
これにより再びアイドル現場でしゃもじ出禁、SHOWROOMなどの配信で我慢となってしまい、アイドルたちにしゃもじスタイル🐰を披露出来なくなってしまいました❗
本当に自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が、銚子電鉄と同様に危なくなってきています。
3月28日は、東京ステーション♪の小麦ぱんこ氏🐼に誕生日を祝って貰えたことに加え、会えて良かったと言われました。
自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動がそこでストップしてしまうことが懸念されています❗
4月10日には、ぶどう党🍇@budou_idolのワンマンライブが行われていたけど、土曜出勤(休日EXE、アウェイ、銅曜日)🗻により行かれなかったことで、未だ立ち直れない状態であります。
ぶどう党🍇のメンバーとは、一昨年12月22日以来会っていないので、会えない長いトンネルが青函トンネルと同様に長いです。
当時は京急ですみっコぐらしのラッピング電車が運転されていた時でもありました。
4月10日のぶどう党🍇のライブに参戦していた友人からは、ぶどう党の華ちゃんにしゃもさんの話したら、今度連れてきて、って言われたから行かなきゃねと言われたので、早く行きたいと強く思っています。
このことを、銚子電気鉄道線(銚子電鉄)に乗ろうと言われていることに例えたくなります。
本当に今年度初の自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が待ち遠しくて仕方がないです。
今日は東京都のコロナ感染者数が1027人と1月28日以来の1000人超えとなり、1171人となった大阪府と並んでしまったので、ま た 木 曜 日 か❗と言いたくなります❗
東京都では、昨年11月以来感染者数が100人以上のイナバ物置状態から脱出出来ない状態が続いているのでそのはずであります❗
イナバ物置のCMでは、100人乗っても大丈夫と言われています。
12日は高齢者のワクチン接種が開始されていたけど、日本のワクチン供給が相変わらず遅いので、ワクチン早くしろ❗と声を大にして叫びたい気分であります。
これにより、Ado氏の「うっせぇわ」を、「おっせぇわ」と替え歌したくなります❗
緊急事態宣言は、自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動に加え、鉄道活動の妨げにもなっています❗
このままだと5月11日の解除が厳しくなり、緊急事態宣言の延長により長引いてしまうことが懸念されます❗
増えろワクチン接種者❗増えるなコロナ感染者❗
今日は雨だったけど緊急事態宣言下に晴れたら心の中が土砂降りになったような気分になってしまいます❗
電車を止めるな❗ならぬ、しゃもじを止めるな❗という状態であり、自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)活動の一足早い再開を願っています。
緊急事態宣言のせいであーにゃこと水湊あおひ氏😸との再会のチャンスを失ってしまったけど、第二次緊急事態宣言の最中だった2月14日のあーにゃ😸のプレミアム撮影会に行かれなかったのがもっと残念でありました。
れんてつかふぇのほうも、緊急事態宣言が解除されるまで休止となります。
本当に緊急事態宣言を繰り返すと更なる景気の悪化に繋がってしまうので、ワクチン早く❗と叫ばれているのもそのはずであります❗
25日は、ぶどう党🍇が出てきた公演に行こうとしていたけど、緊急事態宣言により行かれなくなってしまいました❗
24日は、残念ながら自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が無かったので、3月28日以来ないままで第三次緊急事態宣言のトンネルに突入してしまうことになってしまいました。
あれから昨日で1ヵ月経ってしまいました。
神奈川県、埼玉県、千葉県が緊急事態宣言の対象外であるけど、対岸の火事だと思ってはいけないです❗
後で緊急事態宣言の地域が追加される可能性があるので何とも言えない状態であります❗
緊急事態宣言下にアイドルのライブをやるだなんて、自分(しゃもじ)に対する出禁宣言に加え、壮大な嫌がらせであります❗
第二次緊急事態宣言の時にそれが顕著になっていました。
第一次の時は軒並み中止となったので、気まずい思いをせずに済みました。
ジャニーズ系の場合は、第二次を含めて緊急事態宣言になれば公演が中止となってしまうので、ジャニヲタにとっても辛い状態となってしまいます。
アイドルたちのスケジュールは、それぞれの所属事務所によって決められるので、自分(しゃもじ)の都合に致しかねます。の状態であります。
神奈川県の黒岩祐治知事からは、県外の方は神奈川に遊びに来ないでと言われているけど、逆に県民の方は神奈川から遊びに出ないでと言われているので、神奈川県民の神奈川縛りとなっています。
あーにゃこと水湊あおひ氏😸は、大江戸温泉物語♨️に行きたいと言っていたことにより、あーにゃ本人によるあーにゃ行きたい❗となっていたけど、自分(しゃもじ)🐰はあーにゃ(@aohi1106)😸に会いたいです❗
自分(しゃもじ)🐰は、昨年12月27日のあーにゃ😸が出てきたFresh屋外大撮影会以来あーにゃ😸に会っていないけど、あれから4ヶ月経ってしまいました。
合間に見た夕景🌇が綺麗であり、あーにゃ😸と一緒に眺めたことになったけど、当時の夕日🌇は、あーにゃ😸との再会を誓ったものだと思っています。
日立の樹🌳では、♪その日をその日をみんなで待ちましょう、夢見て夢見てその日を待ちましょうと歌われているところがあるけど、緊急事態宣言の解除を待っていることにも言えることであります。
小田急電鉄と相模鉄道(相鉄)では、今年度(来年3月までの間)の事業計画が発表されていました。
小田急の新5000形の導入は、10両編成4本40両(5056Fは導入済)の予定であり、これらの編成が導入されれば9本90両となります。
1000形のリニューアルが2編成に対して行われるけど、こちらは1092Fと1097F(1255Fの5両と1055Fの3両に1081Fのサハ2両を組み合わせた編成)となると言われています。
現在第5編成と第7編成がノーマル(未更新)のままとなっている30000形EXEのEXEα化に関することが出ていなかったので、どうなるのか気になります。
一方の相鉄では、21000系(20000系の8両編成バージョン)が4本32両導入される予定となっています。
昨日は、房総地区で活躍していた209系2100番台のC612編成がC611編成とC614編成の余剰中間車と一緒に長野総合車両センター(NN、長野県長野市)まで、EF64型電気機関車の1030号機による牽引で廃車回送(配給輸送、長野送り)されていました。
22日にC618編成とC605編成とC616編成の余剰中間車が廃車回送されていたので、それに続くものとなっていました。
一昨日は、西武新宿線で活躍していた初期型2000系の2003F(8両固定編成、3色LEDであった)が、横瀬まで廃車回送されていたことを聞いたので、良い時に撮影しておいて正解でありました。
これにより、西武新宿線の初期型2000系の8両固定編成は、2001F(3色LED車)と2007F(方向幕車)の2編成となっています。
今日(4月29日)は、昭和の日であることから、昭和を代表する西武2000系を話題にしました。
西武多摩川線や狭山線で活躍中の新101系も昭和を代表する車両であります。
国分寺駅では、JR線のホームからも国分寺線の電車を撮影することが出来ます。
一昨年4月2日は、西武球場前から所沢まで、2003Fによる本川越行きの臨時列車に乗ったけど、こちらも思い出のシーンとなりました。
今日のレッドアロークラシックは、定期運用最終日ということで、終日運用に入っていました。
本当に一足早い緊急事態宣言の解除、感染者数の減少、ワクチンの普及、コロナの収束を願っています。
このように、西武国分寺線で、2000系の2031Fに乗り、話題にすることが出来て良かったです。