今月(11月)24日は、横浜から南越谷まで、JR東日本185系のOM03編成(クハ185-206F)によるホリデー快速鎌倉号に乗りました。
この時に乗った185系のOM03編成は、元新前橋電車区→高崎車両センター所属で、草津、水上、あかぎ号などに使われ、2010(平成22)年10月から昨年春まで、かつての80系急行型電車がイメージされた湘南色を纏っていたし。
昨年3月16日に田町車両センターの廃止に伴う185系の大宮総合車両センター(東大宮センター)への集中配置化により、余剰となったこのOM03編成が、グリーン車抜きの6両編成(団臨用)となり、元田町車と同じ踊り子色に変更されていました。
パンタグラフがシングルアームに交換されているということも特徴であり、今年1月から2月に掛けてシーハイル上越号(大宮~石打間)に使われていました。
塗装は、新幹線リレー色(緑帯)→モントレー色→復刻湘南色→踊り子色に変化していたし。
他のOM編成の7連は、今年3月15日の改正で、上野発着の草津、あかぎ号が元スーパーひたち号の651系に置き換えられたことで上野発着の定期運用から撤退し、一部の編成が廃車となった他、波動用として残されています。
一昨年(2012(平成24)年)11月10日に尾久車両センターで行われていたふれあい鉄道フェスティバル2012で、湘南色時代のOM03編成が休憩用車両として展示されていたことがあったけど、そのグリーン車(サロ185-206号車)も開放されていたので、グリーン車の座席に座ったことは貴重でした。
現在はこの湘南色を含めて編成から外された185系のグリーン車の一部が廃車解体されていたのでそのはずだし。
185系による快速は、前述のシーハイル上越号を含めて臨時快速の表示に統一されているので、今年7月にムーンライトながら号に乗った時を思い出しました。
OM編成のうち、7連で残っているのは、OM04,08,09編成で、そのうちのOM08編成は、あまぎ色となっています。
横浜駅では、東海道線の7番線から発車。このホームも来年3月14日からは上野東京ラインの表示となるので撮影はお早めにということになります。
上野東京ラインと言えば、試運転が盛んに行われており、E233系や185系OM編成が試運転用として使われているし。
8月2日には、モントレー色のまま10連化されたOM07編成も使われていたのを某ブログで確認したし。
ホリデー快速鎌倉号は、115系時代に乗ったことがあるけど、特急型車両(185系)に変わってからは初めてでした。
このことで、2006(平成18)年6月3日に、小山から平塚まで、189系彩野編成による快速那須散策号に乗ったことを思い出しました。
快速那須散策号は、当時平塚~黒磯間で運転されていた列車であり、ホリデー快速鎌倉号と同様に武蔵野貨物線を経由していました。
あの時は当然ホリデーパス(現、休日おでかけパス)を使っていたし。
189系の彩野編成は、2003(平成15)年のリニューアル当時赤系の塗装だったけど、2006(平成18)年3月18日に新宿~東武日光・鬼怒川温泉間の直通運転が開始されたことにより、当時専用車両だった485系の予備車に転用され、485系に準じた塗装に変更されていました。
2011(平成23)年6月4日には、253系の後期型(200番台)から改造された1000番台(元成田エクスプレス用)に置き換えられ、485系は仙台車両センターに戻り、189系彩野編成は廃車となっていました。
日光・きぬがわ塗装時代の彩野編成に乗ったのは那須散策号の時が最初で最後となっていたし。
今回乗ったホリデー快速鎌倉号は、6両編成で、後ろ2両が指定席、前4両が自由席であることを乗車位置と共に駅の案内放送で教えてくれたので助かっています。
横浜からは座れないということが懸念されていたけど、何とか座ることが出来て良かったです。
鶴見駅で乗務員交代の為に運転停車し、武蔵野南線(貨物線)へ。こちらは、普段貨物列車しか通らない区間なので、ホリデー快速鎌倉号は、一般乗客も貨物線を通ることの出来る貴重な列車であります。それだけでなく、武蔵野線方面から横浜、大船、鎌倉方面へのショートカットでもあるし。
小杉トンネルと生田トンネル(武蔵野貨物線で最も長いトンネル)の間には、梶ヶ谷貨物ターミナルがあるけど、この時にコンテナ車を見ることが出来ました。
平日には、梶ヶ谷貨物ターミナルから、神奈川臨海鉄道浮島線の末広町駅(川崎区浮島町)まで、クリーンかわさき号という生活廃棄物(家庭ゴミ)専用の運搬列車が1往復運転されています。
こちらは従来のトラックによる輸送と比べ、渋滞知らずで環境に優しいということで重宝されているし。
武蔵野貨物線が開業したのは、1976(昭和51)年3月1日のことで、梶ヶ谷貨物ターミナルも同時に開設されていました。
生田トンネルは、川崎市と稲城市の間をワープする10359mの長大トンネル(武蔵野線で最も長いトンネル)であり、東急田園都市線の宮崎台駅の西側と、小田急小田原線の生田駅の西側を地下で交差しています。
宮崎台駅は、東側に電車とバスの博物館があります。
生田トンネルを出た後、短いトンネルを抜け、京王相模原線との交差部分や稲城駅が見えた時、今年9月21日にアリオ橋本のタワーレコードで行われたステーション♪のイベントに行った時を思い出しました。
ステーション♪乗務員(メンバー)のまみたんこと小池真実氏は、京王線が好きだと言っていたので、移動の時に京王線に乗れることを楽しみにしていたし。
自分も橋本への移動で京王線を使ったのでそのはずであります。
多摩川を渡る手前では、南武線の205系を見ることが出来たけど、こちらもやがてE233系に置き換えられていくことになります。
南武線のE233系は、これまでN9編成まで、総合車両製作所新津事業所(旧、新津車両製作所)から配給輸送されており、全て営業運転入りしていました。
ホリデー快速鎌倉号が登場したのは、1990(平成2)年のことで、115系によって小山~鎌倉間で運転されていました。
後は183系のほか、新前橋電車区(現、高崎車両センター)の165系モントレー色や、三鷹電車区(現、三鷹車両センター)の169系(三鷹色)も使われていたこともあったし。
府中本町駅は、南武線への乗り換え駅及び武蔵野線の一般旅客列車の始発駅だけど、配線の関係によりホリデー快速鎌倉号は通過していました。
横浜を出て最初の停車駅は北府中駅。
こちらは以前下河原線(国分寺と東京競馬場前)を結んでいた中央線の支線の中間駅となっていたけど、1973(昭和48)年4月1日に武蔵野線の府中本町~新松戸間の開業と入れ替わりに下河原線が廃止され、武蔵野線の駅に転用されていました。
北府中駅は、西側に電気機関車が製造されている東芝府中事業所、東側に京王バス中央の府中営業所があるけど、今年5月には、京王バス中央を含めた京王電鉄バスグループ各社の本社が、府中駅付近から府中営業所に隣接する京王府中晴見町ビルに移転されていました。
北府中を出た後、通常の列車と同じルートを通り、西国分寺、新秋津、東所沢、新座、北朝霞、武蔵浦和、南浦和の各駅に停車し、南越谷へ。
この区間では、通常の武蔵野線利用客も多かったです。
東所沢駅では、205系によるむさしの号(大宮発八王子行き)を見ることが出来ました。
こちらは新小平駅(二大トンネル区間の中間の駅)から分岐する列車で、西浦和駅だけがやはり配線の関係で通過扱いとなっているし。
むさしの号で、国立、日野、豊田の各駅にも止まるようになったのは、今年3月15日の改正からであり、かつて臨時快速だったことを物語っています。
むさしの号が現在の体制となったのは2010(平成22)年12月4日のことで、大宮~海浜幕張間のしもうさ号も同時に新設されていたし。
北朝霞駅は、東武東上線の朝霞台駅への乗り換え駅であるけど、乗り換え通路に屋根があるので雨の日の乗り換えに便利な駅となっています。
南越谷駅は、東武スカイツリーラインの新越谷駅への乗り換え駅であり、1974(昭和49)年7月23日の新越谷駅の開業当時は、武蔵野線が上、東武線が下(地平部分)にあり、後者は普通列車しか止まらない駅となっていました。
東武の新越谷駅が高架化されてからは、武蔵野線よりも高い位置と逆転現象となっています。
このように、185系によるホリデー快速鎌倉号に乗ることが出来て良かったです。
画像は、横浜駅と南越谷駅で撮影。