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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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東武ファンフェスタ2016での8111F セイジクリーム塗装

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続いては、12月4日は、東武鉄道の南栗橋車両管区(南栗橋工場、ミクリ)で行われた、東武ファンフェスタ2016で展示されていた、東武顔(原型車)の8000系である8111F(東武博物館所有による動態保存車)です。


こちらは、今年8月に南栗橋工場での重要部検査が行われた時に、ツートンカラーから昭和50年代の標準塗装であったセイジクリーム塗装(現在東上線の小川町~寄居間と越生線の81111Fにも施されている)に変更されたことで話題になっていました。


この時に披露された表示は、東武日光行きで、快速たびじ号のヘッドマークが付いていたし。


セイジクリーム塗装になってから初めて運転された団臨は、東武の日に当たる今年10月2日に運転された、春日部市民の日記念号のことで、春日部→伊勢崎→太田→赤城→春日部のルートで運転されていました。


伊勢崎線の末端区間である太田~伊勢崎間は、2006(平成18)年3月17日まで浅草~伊勢崎間の直通の準急(現、区間急行)が運転されていたことで有名であり、8000系の6連が伊勢崎に乗り入れていた時を彷彿とさせる列車でありました。


現在伊勢崎駅は、JR両毛線と共に高架化されているので、浅草~伊勢崎間の直通準急の面影が無くなっています。


現在の太田~伊勢崎間は、200系による特急りょうもう号の1往復を除いて、800系または850系(8000系の3連バージョン)による館林または太田~伊勢崎間のワンマン運転となっているし。


東武桐生線(太田~赤城間)は、特急りょうもう号が乗り入れる区間であり、普通列車は、小泉線の東小泉~太田間と一体運用の8000系の2両編成が使われています。


この時の表示は、団体専用、たびじの幕表示でした。


東武の8000系は、1963(昭和38)年から1983(昭和58)年までの20年間に、712両製造され、国鉄→JR103系の製造記録に匹敵することから、私鉄の103系と呼ばれていたこともありました。


製造当時は、丸いヘッドライトの東武顔が当たり前であり、初期の車体修繕車を除いて、車体修繕の時に6050系に準じた顔つきに変わっていました。


東武8000系がデビューしたのは、1963年11月1日のことで、奇しくも東武鉄道の創立記念日での出来事でありました。


8111Fは、1963年11月に日本車輌東京支店(埼玉県蕨市にあった車両工場)で製造され、東上線の川越電車区(川越市駅構内にあった車両基地で、国鉄→JR東日本の川越電車区→川越車両センターとは無関係)に配置されていました。


当時は、4両編成で、非冷房のツートンカラーであったし。


川越市駅構内にあった東武川越電車区は、1971(昭和46)年3月1日に森林公園駅(シリコ)と共に開設された森林公園検修区に移転され、その跡地は川越工場に転用されています。


1972(昭和47)年には、富士重工業宇都宮製作所(現、エコ宇都宮工場)製のサハ8711号車とモハ8811号車が入って6両編成化され、1977(昭和52)年7月には冷房化されていました。


富士重工業は、2003(平成15)年まで、気動車を中心とした鉄道車両やバス車体が製造されていたことで有名であり、東武鉄道の電車も盛んに製造されていました。


富士重工業製車体のバスは、群馬県伊勢崎市で製造され、東武鉄道のバス事業→東武バスにも導入されていたけど、現在は、都心で殆ど見掛けなくなってしまったし。


現在富士重工業では、レガシィやインプレッサなどのスバル(SUBARU)ブランドの乗用車(スバル自動車部門)が主力となっており、スバルのブランド名が定着していることから、来年4月1日に株式会社SUBARUに社名変更されることになります。


富士重工業(SUBARU)の本社は、西新宿のスバルビルにあったけど、昨年8月に渋谷区恵比寿にあるエビススバルビルに移転されているし。


富士重工業で製造されてきた鉄道車両は、久留里線のキハE130系のところで紹介した新潟トランシス新潟事業所(新潟市北蒲原郡聖籠町、経営破綻した新潟鐵工所に代わるIHI(旧、石川島播磨重工業)の系列の鉄道車両メーカー)に事業譲渡されています。


8111Fは、セイジクリーム塗装を経て、1986(昭和61)年に東武顔のまま車体修繕が行われ、現在の8000系カラー(白に青帯)に変わっていました。


この塗装は、8000系だけでなく、3000系列(戦前製電車からの車体更新車)、5000系列(7800系からの車体更新車)、2080系(野田線に転用された2000系の中間車から改造された車両)、1800系通勤型改造車にも使われていました。


この塗装がデビューした1985(昭和60)年におニャン子クラブというアイドルグループが流行っていたので、おニャン子塗装とも呼ばれていたし。


セイジクリーム塗装は、1974(昭和49)年5月に、塗装の簡略化により登場したもので、同時期に導入された8164,8564Fからは当初からセイジクリーム塗装となっていたと共に、エアコンプレッサー(空気圧縮機)がHB-2000CA型に変更されていました。


1993(平成5)年8月1日をもって全廃となった2000系(初代日比谷線直通用車)は、最後までセイジクリーム塗装で活躍していたことで有名であり、そのさよなら運転には2118Fが使われていたし。


8000系の廃車は、2006(平成18)年12月の5050系(東武鉄道で最後の旅客用吊り掛けモーター車だった車両)が全廃となった後に本格的に進められ、2009(平成21)年に、伊勢崎線の浅草~館林間、東武日光線の東武動物公園~南栗橋間、昨年1月17日には、東上線の池袋~小川町間から撤退していました。


定期運用されていた時に東上線一筋で活躍していた8111F(1編成だけ残った東武顔8000系)は、2011(平成23)年6月に東上線での定期運用から離脱され、同年12月には住み慣れた東上線を離れて南栗橋まで回送されていたし。


2012(平成24)年には、ツートンカラーに復元された上で東武博物館所有のイベント専用車となり、同年8月29日の大宮→とうきょうスカイツリー間の団臨で初お披露目されていました。


東武博物館は、1989(平成元)年5月20日に、東武鉄道創立90周年事業として東向島(旧、玉ノ井)駅の高架下に作られた博物館であり、東武鉄道の歴史を後世に残す為に作られています。


東武博物館がリニューアルオープンされたのは、2009年7月22日のことで、5700系の5701号車(ネコヒゲ)とED101型の101号電気機関車(近江鉄道(滋賀県、西武グループの鉄道会社)から寄贈された東武鉄道初の電気機関車)が新たに展示されるようになっています。


東武鉄道から最後の旅客用吊り掛けモーター車だった5050系が全廃となってから早いもんで10年経とうとしています。


712両あった8000系は、現在までに470両が廃車となり、ワンマン改造車を含めた242両となっています。

今年10月26日には、東武アーバンパークライン(野田線)所属だった8157F(末期はSaitama Frontage(サイタマ・フロンテージ)による団臨に使われていた)が北館林まで廃車回送されていたし。


池袋~小川町間は、昨年の9月26日をもってATC(T-DATC)化が完了した為に、8111Fが自力で走ることが出来なくなっています。


今年の12月6日には、東上線の小川町~寄居間と越生線で活躍している8199Fが、車両性能確認による試運転で、池袋駅まで入ってきたことが話題となっており、これによって8000系が、昨年1月17日以来1年11ヶ月ぶりに池袋に帰ってきたことになりました。


8199Fの池袋入線は、8連時代の2008(平成20)年1月以来となったし。


東上線の小川町~寄居間と越生線用のワンマン編成は、リバイバルカラー編成を含めて、森林公園検修区への回送によりATCが取り付けられているので、今回の池袋への試運転での入線が実現していたのであります。


残念ながら昨年と今年はなかったけど、森林公園検修区では、東上線ファミリーイベントが行われることもあり、こちらはシリコのイベントと呼んでいます。


東武ファンフェスタのほうはミクリのイベントとも呼んでいるし。


東上線ファミリーイベント(シリコのイベント)は、一昨年11月16日以来行われていない状態で、昨年11月に行われるはずが、翌年の3月に延期され、今年3月には伊勢志摩サミットによる警備により11月に延期されることもなく中止となってしまったので、2回も出鼻をくじかれていました。


来年こそは行われることを願っています。


当時評判が良くないと言われていたセイジクリーム塗装は、東武顔の8111Fに似合っていると思います。


このように、南栗橋での東武ファンフェスタで、セイジクリーム塗装となった8111Fを撮影することが出来て良かったです。


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