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続いては、12月4日に、東武鉄道の南栗橋車両管区(南栗橋工場、ミクリ)で行われた、東武ファンフェスタ2016で展示されていた、東武日光線、鬼怒川線、野岩鉄道会津鬼怒川線、会津鉄道線直通用の2ドアセミクロスシート車の6050系6167Fです。
行先表示は準急浅草と、区間急行になる前の新栃木→浅草間の送り込み列車が再現されていました。
準急は現在急行と同様に半蔵門線直通列車用の種別となっているし。
6050系は、1985(昭和60)年から1986(昭和61)年に掛けて6000系の車体が載せ替えられた更新バージョンの6151~6172Fの22編成44両と、1988(昭和63)年に増備された完全新製バージョンの6173~6179Fの7編成14両に分かれており、野岩鉄道所有の61101,61102,61103F、会津鉄道所有の61201Fもあります。
そのうちの6177Fと6178F(どちらも完全新製車)は、展望型電車の634型(6050系改、東武版ジョイフルトレイン)に改造され、特急スカイツリートレインに使われているし。
野岩鉄道と会津鉄道所有車に関しては、東武鉄道で籍を入れた後に野岩鉄道または会津鉄道に譲渡された完全新製車であり、運用及び管理が東武鉄道の南栗橋車両管区新栃木出張所に委託されています。
61101Fは1985年、61102Fは1986年、61103Fは1988年、61201Fは1990(平成2)年の会津鉄道線の会津高原(現、会津高原尾瀬口)~会津田島間の電化に合わせて導入されていたし。
一部6000系から流用された6050系の足回り品は、1800系と同様に8000系に準じており、最高速度は105Km/hとなっています。
今回展示されていた6167Fは、1986年に6000系の6013Fから車体載せ替え更新された編成で、更新作業は兵庫県尼崎市にあったアルナ工機(現、アルナ車両)で行われていました。
6050系は、アルナ工機のほか、東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)と富士重工業宇都宮製作所でも行われていたし。
これらの車両メーカーでは、日本車輌の東京支店の閉鎖から、30000系の時代までの東武の電車が盛んに製造されていたのであります。
アルナ工機は、現在路面電車用の車両の専門メーカーであるアルナ車両(阪急の正雀工場に隣接)となっているけど、普通鉄道用車両が製造されていた頃、阪急電車と東武電車の製造が盛んに行われていたし。
6050系は、6000系の時と同様に、2ドアセミクロスシートの2両編成で、東武日光、会津田島寄りの先頭車に和式トイレが付いているので、西武鉄道の4000系(西武秩父線、秩父鉄道線直通用)に酷似した点があります。
西武4000系は、4両編成であり、旧101系から更新されているし、飯能寄りの先頭車に和式トイレが付いているのでそのはずであるし。
野岩鉄道会津鬼怒川線(新藤原~会津高原尾瀬口(旧、会津高原)間)が開業したのは、1986年10月9日のことで、今年で開業30周年を迎えていたのであります。
今回の東武ファンフェスタで、6050系が展示されていたのはこのことの縁もあるし。
10月1日には、浅草~会津高原尾瀬口間で、野岩鉄道所有の61101+61102Fによる30周年記念団臨が東武トップツアーズによる主催で運転されていました。
野岩鉄道会津鬼怒川線(ほっとスパ・ライン)の路線
(東武線、鬼怒川温泉、下今市、東武日光、栃木、浅草方面へ直通運転)←新藤原~龍王峡~川治温泉~川治湯元~湯西川温泉~中三依温泉~上三依塩原温泉口~男鹿高原~会津高原尾瀬口→(会津鉄道会津線、会津田島、会津若松方面へ直通運転)
湯西川温泉駅は、葛老山トンネルの中にある1面1線のトンネル駅(ほくほく線の美佐島駅みたいな感じの駅)であり、そのトンネルを抜けた後、湯西川(五十里(いかり)湖)に掛かる湯西川橋梁を渡っていくことになります。
こちらには、温泉浴場付きの道の駅湯西川があるけど、湯西川温泉郷へはバスに乗っていくことになるし。
上三依塩原温泉口駅は、1986年の開業当時、下野上三依駅と呼ばれていたけど、1988年10月19日には、国道400号線の尾頭トンネルの開通によって、ホテルニュー塩原(現在は大江戸温泉物語チェーン)のある塩原温泉方面が結ばれたことにより上三依塩原駅となり、2006(平成18)年3月18日にほっとスパ・ラインの愛称名と共に、現在の上三依塩原温泉口となったのであります。
同時に中三依駅が中三依温泉駅、会津高原駅が会津高原尾瀬口に変更されていたし。
会津鬼怒川線が開業する前、国鉄会津線(当時)の駅が会津滝ノ原駅と呼ばれていたので、会津高原尾瀬口駅は、上三依塩原温泉口駅と同様に、3代目の駅名となっています。
野岩鉄道は当初、国鉄(日本国有鉄道、JNR)により、会津滝ノ原駅(当時)と国鉄(現、JR東日本)日光線の今市駅を結ぶ非電化の野岩線計画がありました。
のちに第三セクターである野岩鉄道に移管され、電化路線として東武線と結ばれるようになり、東武線で日光・鬼怒川に加え、福島県の会津地方へも行けるようになったのであります。
男鹿高原~会津高原尾瀬口間の山王トンネル(栃木県と福島県の県境)は、非電化用として掘られていたトンネルが電化用に改良されていたものであるのはその為であるし。
会津鬼怒川線は、トンネルの多い山岳路線なので、西武4000系と西武秩父線の関係に似ているところがあります。
かつて会津鬼怒川線では、ロングシートでトイレなしのの3070系、5050系、8000系が使われていたこともあったけど、3070系や5050系では吊り掛けモーター音を響かせながら走っていました。
会津線は、1987(昭和62)年7月16日に第三セクターである会津鉄道に移管されたので、JR東日本の時代は3ヶ月程度しかなかったです。
1990年10月12日に会津鉄道会津線の会津高原(現、会津高原尾瀬口)~会津田島間が電化されてからは、会津田島駅で系統分割されるようになったし。
会津鉄道では、2002(平成14)年3月23日から2010(平成22)年5月30日までの間、元名鉄のキハ8500系によるAIZUマウントエクスプレス号が名鉄時代の塗装のままで運転され、2005(平成17)年3月1日から鬼怒川温泉にも乗り入れていたこともありました。
こちらは1991(平成3)年に5両が日本車輌製造で製造され、同年3月16日から2001(平成13)年9月30日に北アルプス号が廃止されるまでの間、新名古屋(現、名鉄名古屋)~新鵜沼の連絡線経由~高山間の高山線直通の特急北アルプス号で使われていたもので、美濃太田~高山間で、JR東海のキハ85系によるワイドビューひだ号との併結運転が行われていたこともありました。
こちらは、JR東海のキハ85系に準じた120Km/hの高速性能があり、名鉄線内の特急でも間合い運用が行われていたし。
会津鉄道に譲渡されてからは高速性能をもて余すようになり、劣化が早まっていた為に会津鉄道のオリジナル車両であるAT-700形またはAT-750形に置き換えられていたのであります。
キハ8500系のうち、8501号車と8504号車は那珂川清流鉄道保存会(栃木県那須烏山市にある鉄道保存団体)で保存され、8502号車と8503号車は、福島県会津若松市にあるやすらぎの郷 会津村での静態保存を経て、マレーシアのサバ州立鉄道(JKNS)に譲渡されています。
こちらには、会津鉄道時代の2005年9月に乗ったことがあるけど、ワイドビューチャイムが使われていたことを覚えています。
こちらは名鉄時代にキハ85系と併結運用が行われていたことの名残であるし。
このことは、北海道新幹線のH5系(E5系のJR北海道バージョン)で、東京、仙台~盛岡間で秋田新幹線こまち号のE6系との併結運転が行われている絡みでJR東日本のE5系と同じ東北新幹線系統のチャイムが使われていることと同様でありました。
来年春に500系新型特急のリバティが浅草~会津田島間で運転開始され、2005年2月28日に廃止された急行南会津号(350系によって運転された)以来、12年ぶりに定期の座席指定制有料列車が復活することになります。
前述の634型によるスカイツリートレインが南会津号として会津田島に乗り入れることもあるけど、こちらは不定期となっているし。
6050系は、足回りが製造されてから50年、車体が30年以上経っているので、今後の動向が気になります。
このように、東武ファンフェスタ2016で、6050系を撮影することが出来て良かったです。