今年12月4日に、東武鉄道の南栗橋車両管区(南栗橋工場、ミクリ)で行われた、東武ファンフェスタ2016で展示されていた車両の紹介の第4弾で、元りょうもう号の1800系の1819F(赤い団臨用車)です。
1800系は、1969(昭和44)年から1987(昭和62)年に掛けて、日本車輌製造東京支店(埼玉県蕨市にあった車両工場)とナニワ工機→アルナ工機で6両9編成54両製造された車両で、1969年9月20日から1998(平成10)年3月31日まで、5310形や5700系に代わって伊勢崎線の急行りょうもう号で活躍していました。
1969年に製造された編成は、1811~1816Fの6編成で、当時は4両編成でした。
1811~1813Fが日本車輌東京支店、1814~1816Fがナニワ工機(当時)で製造されていたし。
同年10月14日には、西武鉄道で初のトイレ付き有料特急である5000系初代レッドアロー号がデビューしていたので、1800系のりょうもう号が西武レッドアロー号と肩を並べる程の状態でありました。
1973(昭和48)年には、増発用として、1817Fと1818Fがアルナ工機で製造され、1979(昭和54)年には、全編成にアルナ工機製の中間車が2両組み込まれて6両化されていました。
1987年12月には、急行りょうもう号の増発用として最終増備車である1819F(アルナ工機製)が導入されていたけど、14年ぶりに導入されていたことにより、角形ヘッドライト化等で6050系に準じて仕様変更されていました。
トイレのほうは、窓が6050系と同様の細いタイプに変更され、和式トイレの便器の向きも右向きから左向きに変更されていたし。
1991(平成3)年2月1日には1800系の後継ぎ車である200系(のちの特急りょうもう用)が導入され、1817Fと1818Fが300系に、初代1813Fと1816Fが350系(300系の4連バージョン)に改造されて、東武日光線の急行(現、特急)用に転用されていました。
最後まで急行りょうもう号で活躍していた1800系は、1811,1812,1814,1815,1819Fであり、1811,1812,1815Fは、長期休車を経て、2001(平成13)年に登場当時の4両編成に戻された上で通勤型への格下げ改造が行われ、1814Fは赤いりょうもう仕様のまま編成単位で廃車となっていたし。
このことで、1998年から2000(平成12)年頃に掛けて、館林駅構内に5000系列や1800系が疎開留置されていたことを思い出しました。
通勤型車両に格下げ改造された1800系(1811,1812,1815Fは、1815Fが2代目1813Fとなり、トイレ、自動販売機、座席の一部、デッキの仕切り壁等が撤去されていました。
こちらは急行りょうもう時代の座席が固定化された上でそのまま使われていた乗り得列車で、佐野線と小泉線(館林~西小泉間)で活躍していたし。
ドアが1ヶ所または2ヶ所しかなかったということで乗降に時間が掛かっていることがネックとなり、2006(平成18)年の佐野線の普通列車と小泉線の全線ワンマン化を期に8000系または800系,850系(8000系800番台または850番台)に置き換えられていました。
佐野線は同年3月18日に、小泉線の館林~西小泉間は9月28日にワンマン化されていたけど、1800系通勤型改造車が小泉線を最後に運用離脱されたのは、7月3日のことでした。
2005(平成17)年10月2日に行われた記念すべき第1回目の東武ファンフェスタでは、1800系の通勤型改造車(2代目1813F)が、1819F、300系302F(旧1818F)、350系352F(中間車から改造された編成)、200系201Fと共に撮影会で展示されていたので、りょうもう号の歴史がテーマとなっていました。
1819Fは、1987年製と経年が浅かったことから、最後まで急行りょうもう号で活躍し、団臨用またはりょうもう号の予備車に転用されていたし。
1999(平成11)年3月16日に200系列への統一により特急化された時に110Km/h化されていたけど、105Km/hしか出せず、グレードに格差のある1819Fによる代走が行われた時に特別な措置が取られるようになっています。
1819Fが初めて料金不要の臨時列車(自由席)に使われていたのは、2006年7月29日の隅田川花火大会の時であり、隅田川花火号てして東武動物公園→浅草間で運転されていました。
同年11月19日に行われた第2回東武ファンフェスタでは、北千住から南栗橋まで料金不要で誰でも乗れていた東武ファンフェスタ号が運転されていたけど、当時は1819Fに初めて乗った時でありました。
現在は、南栗橋車両管区本区所属であり、GWと紅葉シーズンに東武日光への臨時快速でも使われています。
南栗橋車両管区所属の車両は、1819F、50050系の全編成と30000系の半蔵門線直通用の残留編成のほか、8000系の8506Fも挙げられています。
南栗橋駅や南栗橋車両管区(南栗橋工場)のある場所は、2010(平成22)年3月22日まで北葛飾郡栗橋町だった場所であり、北葛飾郡の鷲宮町、南埼玉郡の菖蒲町と共に久喜市に合併され、久喜市の一部となっています。
久喜市にある東武鉄道の駅は、伊勢崎線の久喜駅、鷲宮駅(旧、鷲宮町)、東武日光線の南栗橋駅と栗橋駅(旧、栗橋町)であります。
加須市のほうも、同じ日に、北埼玉郡の騎西町、大利根町、北川辺町と合併されていたし。
東武日光線の新古河駅と柳生駅は加須市(旧北川辺町、熊谷ナンバーの地域)にあります。
菖蒲町は、久喜市との合併により自動車のナンバープレートが大宮ナンバーから春日部ナンバーに変更されていたし。
春日部ナンバーは、1990(平成2)年11月に、埼玉運輸支局春日部自動車検査登録事務所の新設により春日部市等の埼玉県東部地域が大宮ナンバーから分離されたもので、越谷市ではご当地ナンバーである越谷ナンバーとなっているし。
1819Fのほうも、今後の動向が注目されています。
このように、東武ファンフェスタ2016で、赤いりょうもうの1819Fを良い感じで撮影することが出来て良かったです。