こちらは、昨年11月20日に、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の浅草駅の4番線で撮影した、6050系の6179Fによる区間快速浅草行きと、折り返しの回送列車です。
この列車は、東武日光17時39分発→浅草20時05分着の上りの最終の区間快速であり、下今市から、新藤原または会津田島から来た6167F+6168Fと連結されていました。
6179Fは、1988(昭和63)年に輸送力増強用として、富士重工業(現、SUBARU(スバル))の宇都宮車両工場で製造された編成であり、新栃木出張所所属ということで栃木県と縁のある編成となっています。
富士重工業は、レガシィやインプレッサなどのスバル(SUBARU)ブランドの乗用車(スバル自動車部門)や航空宇宙部門が主体となり、スバルの愛称が定着し、スバル化してきたことにより、前身の中島飛行機として創業されてから100周年を迎えるのを期に、今年の4月1日に株式会社SUBARUに社名(商号)変更されていたのであります。
富士重工業で最後に製造された東武鉄道の電車は、1999(平成11)年3月に製造された30000系の31406Fであり、現在でも31606Fとペアが組まれた状態で、31409+31609Fと共に現在でも半蔵門線、東急田園都市線直通で活躍しています。
他の30000系は、50050系に置き換えられた後に本線系統での地上運用に戻され、10両固定化された上で東上線の池袋~小川町間で活躍しています。
因みに最後に製造された富士重工業製の鉄道車両は、2002(平成14)年に導入された真岡鐵道真岡線(下館~茂木(もてぎ)間)のモオカ14形気動車の2両であります。
真岡鐵道真岡線は、SLもおか号が走る路線として有名であり、下館~ひぐち間が茨城県、久下田~茂木間が栃木県を通っています。
モオカ14形の14は、2014年ではなく、平成14年に導入されたことが由来となっているし。
近年は平成29年のような和暦よりも、2017年のような西暦が定着しているので、富士重工よりもスバルが定着していることにそっくりな状態であります。
その翌年の2003(平成15)年には、バス車体の製造(群馬県伊勢崎市で行われていた)からも撤退していたけど、こちらは日産ディーゼル車やいすゞ車の車体がメインとなっていました。
かつて東武鉄道のバス部門(現在の東武バスグループ)にも富士重工業車体のいすゞ車や日野車も導入されていたこともあったし。
スバルの車は、東武伊勢崎線の沿線である群馬県太田市にある群馬製作所本工場と矢島工場で製造されており、群馬製作所本工場のある場所はスバル町と呼ばれています。
こちらは、スバルの筆頭株主であるトヨタ自動車(TOYOTA)の本社のある愛知県豊田市のトヨタ町と同じような関係であるし。
6167Fは、6113Fから更新された編成で、昨年12月4日の東武ファンフェスタ2016で展示されていたことや、今年4月2日に北千住から浅草まで乗ったことで話題にしています。
6168Fは、1986(昭和61)年に6122Fから更新された編成であり、更新作業は富士重工業の宇都宮車両工場で行われていました。
富士重工業製の鉄道車両の銘板は、スバルマークではなく、カタカナの「フ」の字がイメージされた旧紋章となっています。
スバル(六連星)マーク及びスバルの由来は、1955(昭和30)年4月1日に、富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車輛、東京富士産業の5社が富士重工業に吸収合併されて1つの会社となり、6星を統べる(すべる)星である六連星に例えられていたことであり、1958(昭和33)年3月に発売された軽自動車のスバル360(てんとう虫)によって、スバル(SUBARU)のブランド名が浸透していたのであります。
こちらは、2001(平成13)年5月8日にNHKで放送されていたプロジェクトXに出てきていたし。
現在スバルの軽自動車は、トヨタ自動車が筆頭株主となったことに伴う合理化により、2011(平成23)年に軽自動車に参入していたトヨタのピクシスシリーズと同様に、トヨタの子会社であるダイハツ工業(DAIHATSU)製からのOEM供給車となっています。
富士重工業の鉄道車両の製造は、宇都宮車輛から受け継がれていました。
東武線の浅草駅は、浅草エキミセ(松屋浅草)の2階部分にあり、浅草を出るとすぐに右にカーブし、隅田川を渡るという特徴のある区間であります。
変わったところは、南口(エンド側)で1階に切符売り場、2階に改札口があることであるし。
乗り場は、1番線と2番線が普通、区間急行、区間準急、3番線と4番線が特急、5番線(線路は4番線と共用)が6050系による快速、区間快速、浅草22時32分発の区間急行新栃木行きから成っているけど、1番線だけは8両編成が入ることも出来ます。
浅草駅の1番線がずれているのはその為であるし。
ホームの隙間対策により、2番線ではとうきょうスカイツリー寄りの2両が常に締め切り扱いとなっているけど、1番線発着の8両編成の場合でも、とうきょうスカイツリー寄りの2両が締め切られます。
7両編成である東武70000系(4月21日にデビュー予定の3代目日比谷線直通用車)が試運転で浅草まで乗り入れていた時には当然1番線発着となっていたし。
3,4番線の特急ホームの入口では、特急券の拝見が行われているので、入場券を使ったほうが良いと思います。
5番線は、浅草乗り入れの快速、区間快速の廃止により用途を失うことになるけど、今後どうなるのか気になります。
浅草駅を出た時にいきなりカーブを通過する為に15Km/h制限が掛かっているので、浅草~とうきょうスカイツリー間で時間が掛かっています。
東武浅草駅が開業したのは、1931(昭和6)年5月25日のことで、当時は浅草雷門駅と呼ばれていました。
同時期には、初代浅草駅(開業当時は吾妻橋駅だった)が業平橋(なりひらばし)駅となり、2012(平成24)年3月17日にとうきょうスカイツリー駅になるまで使われていました。
浅草雷門駅が現在の浅草駅となったのは、1945(昭和20)年10月1日のことであったし。
松屋浅草は、1931年11月に開店したターミナルビル一体型のデパートであり、2012年11月21日に浅草エキミセとして改装された時に、1931年の開店当時のアール・デコ調の外観や大時計が復活していました。
やはり浅草駅と言えばやはりこれの状態であり、東京メトロ銀座線の浅草駅も、レトロ調に改装されていくことになります。
6050系のトイレは、6000系の時代と同様にTc車(東武日光、会津田島寄り)にあるけど、和式トイレで暗い感じがします。
北千住~春日部間のノンストップ運転は、料金を払った上で特急に乗らないと味わうことが出来なくなってしまうので、寂しさを感じています。
1988年に完全新製された6050系は、6177Fと6178Fが634型(スカイツリートレイン)に改造された為に、6173,6174,6175,6176,6179Fの5編成となっています。
野岩鉄道所有の61101,61102,61103F、会津鉄道所有の61201Fも完全新製されていたけど、どちらも東武鉄道で籍を入れられた後に野岩鉄道または会津鉄道に譲渡されていたし。
今週末は、6050系の浅草乗り入れの最後の週末となるので、300系と共にマナーを守って撮影してもらいたいと思っています。
このように、昨年11月20日の、6050系の浅草口からの撤退発表前に、6050系を撮影することが出来て良かったです。
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東武6050系による区間快速2 浅草駅
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