4月16日は、浅草から北千住まで、東武6050系の6156F+6160F+6179Fによる区間快速東武日光、会津田島行きに乗りました。
今回乗った列車は、浅草駅の5番線を16時40分に発車し、東武日光駅に19時02分、会津田島駅に20時26分に到着する下りの最終の区間快速であります。
こちらは前の2両の6156Fが会津田島行き、中間の2両の6160Fが新藤原行き(新藤原で切り離し)、後ろの2両の6179Fが東武日光行き(下今市駅で分割)から成っていたので、浅草から下今市まで6両、下今市から新藤原まで4両、新藤原から会津田島まで2両と、3段ロケット方式の運行となっていました。
新藤原~会津田島間及び下今市~東武日光間の6050系の2両編成は、とても味のある状態であり、4月21日以降も南栗橋及び新栃木発着の列車で引き続き見られることになるし。
今回乗った6156Fは、1986(昭和61)年に6000系の6105Fから更新された2パンタ改造編成であり、更新作業はスバル(SUBARU)化されていた富士重工業の宇都宮車両工場で行われていました。
中間の6160Fは、1986年に6118Fから更新された車両、後ろの6179Fは、前回紹介した通り、1988(昭和63)年に完全新製された車両であり、どちらも富士重工業の宇都宮車両工場で新造(更新)されていたので、6両全てが富士重工業製で占められていたのであります。
東武の電車で富士重工業製の車両に乗れた時は嬉しく思いました。
富士重工業宇都宮車両工場製の車両は、国鉄→JR日光線の鶴田駅(宇都宮の次の駅)から発送されていたし。
以前東武鉄道の車両の甲種輸送は、本線系統は東鷲宮駅まで、東上線は熊谷貨物ターミナルまでに分かれていたけど、2003(平成15)年の貨物輸送の廃止により東鷲宮から久喜までの引き込み線も廃止された為に、本線系統の車両も熊谷貨物ターミナルまでの輸送に切り替えられています。
2003年4月に導入された東武30000系の最終増備車である31615+31415F(現在は東上線の池袋~小川町間で活躍中)は、東鷲宮駅から搬入された最後の編成でありました。
前面の行先表示は東武日光(新藤原)会津田島となっているけど、快速や区間快速との組み合わせが見納めとなります。
側面及び車内の幕表示では、新藤原行きが(鬼怒川温泉)新藤原、会津田島行きが(鬼怒川温泉・会津高原尾瀬口)会津田島となっているし。
南栗橋~東武日光、新藤原間の区間急行は、上りのみ運転で、下りは急行(午前の4本)以外は普通列車に格下げされます。
野岩鉄道会津鬼怒川線や会津鉄道線(会津高原尾瀬口~会津田島間)は、500系リバティによるリバティ会津号やAIZUマウントエクスプレスを除いて下今市または新藤原発着に変更されるので、かつてJR常磐線で見られていたような3段ロケット方式による分割・併合も見納めとなるし。
500系による特急リバティ会津号は、350系によって運転されていた急行南会津号の復活(特急格上げバージョン)であるほか、一部が6050系による快速や区間快速からの格上げもあります。
野岩鉄道会津鬼怒川線の男鹿高原駅は、AIZUマウントエクスプレスが通過する駅であり、周辺に何もないことが秘境駅とも呼ばれています。
リバティ会津号の4往復のうち2往復が男鹿高原駅通過となるし。
男鹿高原の男鹿は、秋田県の男鹿半島や男鹿駅(なまはげで有名な場所)のような「おが」ではなく、「おじか」と読むので、かつて東武の快速急行(鬼怒川公園発着、5700系や6000系)で使われていたおじか号を思い出しました。
おじか号もやはり、男鹿高原や男鹿川が由来となっていたし。
男鹿高原駅は、東武鉄道の駅ではないけど、東武東上線(小川町~寄居間)の男衾(おぶすま)駅と並ぶ男の付く駅名となっています。
一方の東武日光発着の快速急行は、だいや号と呼ばれていたけど、ダイヤではなく、奥日光の中禅寺湖から流れ出ている大谷川(だいやがわ、鬼怒川の支流)が由来となっていたし。
東武6000系と言えば、1964(昭和39)年にデビューした時に池袋から東上線、秩父鉄道線を経由して東武日光へと向かっていた「にっこう号」が運転されていたこともあり、その翌年の1965(昭和40)年には池袋~鬼怒川公園間のたびじ号も運転されていたこともありました。
現在は新宿~東武日光間の日光号(JR253系で運転)や新宿~鬼怒川温泉間のきぬがわ号またはスペーシアきぬがわ号で、池袋から東武日光や鬼怒川温泉まで乗り換えなしで行けるようになっているし。
1985(昭和60)年から1986(昭和61)年に掛けて行われた6000系から6050系への更新の時には、6000系と6050系の併結運転の時には、夏場を中心に6050系に人気が集中していたに違いなかったです。
東武6000系は非冷房車だったのでそのはずであり、1971(昭和46)年に京阪特急の初代3000系がデビューした時に当時非冷房車だった1900系を見送る風景が多発していたことに似ていました。
6000系と6050系のような新旧混合列車が関西に走っていたら、新しいほうに人気が集中することは確実であり、実際に京阪の初代3000系が7両化された時に組み込まれていた8000系の中間車に人気が集中していました。
1989(平成元)年10月5日の出町柳への延長の時に8000系がデビューした時も、8000系や初代3000系に組み込まれた8000系の中間車に人気が集中し、初代3000系を見送る風景が見受けられていた為に急遽増備され、1編成を残して8000系に置き換えられていたのであります。
京阪8000系と言えば、8月20日からプレミアムカーが設定されることになるし。
東武6000系のうち、クハ6222号車の車体が群馬県大泉町(東武小泉線の東小泉駅付近)の某所で静態保存されているけど、以前は店舗として使われていました。
前面スタイルは8000系ベースということで東武顔であったし。
6050系の浅草乗り入れは、6000系時代から親しまれていたので、廃止されることで残念に思っています。
こちらは完全に時代の流れとなってしまったし。
本当は6050系で春日部まで行き、この日に最終日を迎えたイトーヨーカドーならぬサトーココノカドーの看板を撮影したかったけど、諸事情により行かれなかったのが残念でありました。
それでも浅草から北千住まで乗れたことで充分だと思っています。
このように、浅草から北千住まで東武6050系による区間快速に乗ることや、東武日光・会津田島行きの表示を撮影することが出来て良かったです。
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東武6050系による区間快速 浅草駅2 東武日光、会津田島行き
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