


続いては、3月26日は、京橋駅前(東京都、東京メトロ銀座線の駅)にある京橋エドグラン(KYOBASHI EDOGRAND)で行われた、さよなら都電7000形記念の都営バスの展示イベントで展示されていた、緑系塗装のK-L653(足立200か・833)号車の日野レインボーHR(KL-HR1JNEE、南千住営業所所属)で、万世橋行きの表示となっていました。
こちらの塗装は、1954(昭和29)年のデビュー当時に施されていた金太郎塗り塗装であり、1988(昭和63)年から2000(平成12)までの間に6152号車がイベント用車として活躍していた時の塗装でもあります。
6152号車は現在金太郎塗装のままあらかわ遊園で静態保存されているし。
あらかわ遊園と言えばかつて7500形更新車を模した無料送迎用のマイクロバス(ドリーム号、JRバスグループの夜行高速バスとは無関係)が日暮里駅または南千住駅まで運転されていたことがあったことを思い出しました。
3月26日の京橋での緑色塗装のバス展示イベントは、南栗橋での東武鉄道のイベントに行っていたことや、雨であった為に回避する予定だったけど、2色の車両をコンプリートさせたいということにより行ったのであります。
この時に浅草から銀座線で行くことも出来ていたのでそのはずであったし。
モデルとなった都電1系統(都電銀座線、品川駅前~上野駅前間、三田電車営業所所属)は、1967(昭和42)年12月に廃止されるまでの間に実際に中央通り(上野、秋葉原、日本橋、銀座、新橋界隈)を走っていました。
現在7504号車と共に都電おもいで広場で静態保存されているPCCカーこと5501号車は、車体が長かったことや特殊性があった為に専ら都電1系統に使われ、その廃止後に廃車となっていました。
都電1系統は、廃止後に都営バスの501系統(品川自動車営業所所属)に継承されたけど、新橋~上野間で地下鉄銀座線と重複していたことや、都営1号線→浅草線の大門~泉岳寺間の開業の影響により、都電の第4次撤去と同じ1969(昭和44)年10月25日に、後述の都電34系統などと共に廃止されていました。
そのうちの金杉橋~新橋駅間は都06系統グリーンエコー(渋谷駅東口~天現寺橋、赤羽橋駅経由~新橋駅間、渋谷自動車営業所所属)が、日本橋~上野駅間がS-1系統(東京→夢の下町、東京駅丸の内北口、上野松坂屋~錦糸町駅間、南千住自動車営業所所属)が走っているけど、S-1系統の東京駅丸の内南口~上野松坂屋間は土休日のみで運行本数が少ないです。
都06系統は、1990(平成2)年3月31日に都市新バス化される前は、534系統→橋85系統であり、1969年10月25日までは都電34系統(広尾電車営業所所属)で、最後まで渋谷駅に乗り入れていた路線として有名でありました。
渋谷駅から都電が全廃となったのは、同年5月10日に玉電(東急玉川線、渋谷~二子玉川園間)の廃止の5ヶ月後のことであったし。
万世橋は、秋葉原付近のことであり、1972(昭和47)年11月11日まで都電が走っていました。
都電や玉電は、1964(昭和39)年10月に開催された東京オリンピック1964でのオリンピック輸送に貢献していたけど、道路渋滞が最大のネックとなっていたし。
渋谷駅東口のバスターミナルは、都電が走っていた頃の面影があったけど、現在は再開発に伴う大規模な改良工事により面影が残らなくなってしまったし。
都営バスは、1924(大正13)年1月18日に東京駅と渋谷駅(中渋谷)と巣鴨駅(巣鴨)を結ぶ路線(東京市営バス)として開業したのが最初であるけど、前年の1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災により打撃を受けていた東京市電(のちの都電)の復旧への繋ぎとなっていました。
市電復旧後には廃止される予定だったけど、東京市会により運行が継続され、都電の廃止により路線網が拡大されていました。
こちらは、京王バスが、1913(大正2)年4月15日に京王電鉄の前身である京王電気軌道が笹塚~調布間で開業した時に、鉄道の延長までの繋ぎとして新宿~笹塚間と調布~府中~国分寺間でバスを走らせていたことに似たような現象であり、京王線の新宿または府中までの延長によって一旦廃止され、1937(昭和12)年12月1日の甲州街道乗合自動車の買収によりバス事業に再参入し、路線が拡大されていました。
2002(平成14)年8月1日に京王電鉄バスとして分離された後も受け継がれているし。
大手私鉄では、地下鉄専門の東京メトロを除いてバス部門またはバス事業の子会社を持つのが普通となっているけど、京王電鉄と京王電鉄バスグループもその1つであり、京王線と京王バスの連携が行われています。
都営バスのほうも、バスがないと不便な地域をサポートしているし。
古くから西武鉄道の子会社である西武バスは、駅と駅を結ぶショートカット的な役割があると言われています。
都営バスの南千住自動車営業所は、1975(昭和50)年12月21日に、台東区千束にあった新谷町自動車営業所からの移転により開設された営業所であり、1971(昭和46)年3月まで使われていた都電の南千住電車営業所から転用されています。
こちらは1972(昭和47)年7月から1975年5月まで千住自動車営業所の南千住分車庫として使われていたし。
都営バスの今年度導入予定の車両はC代車となるけど、どのメーカーに落札されるのか気になります。
昨年度に導入されたB代車のうち後期に渋谷・南千住の両自動車営業所に導入されたいすゞの新型エルガからはフルカラー式の行先表示に変更されていたけど、C代車で正式採用されるかどうか気になるところでもあるし。
2014(平成26)年1月に登場した都営バス90周年ラッピングバスは、未だそのままの姿となっています。
さよなら都電7000形記念ラッピングバスは、6月12日以降どうなるのか気になります。
いずれにせよ、都電7000形の最終日である6月11日に間に合わせる形でこの記事を書いたので、賞味期限が切れないうちに味わったことと同様でありました。
ラッピングバスの運行予定及び位置情報は、都営バスによる公式サイトであるtobus.jpで調べることが出来ます。
このように、3月25日と3月26日の2日間に、都電7000形記念の都営バスを撮影することが出来て良かったです。