こちらは、6月15日に東京メトロ千代田線の代々木上原駅で撮影した、東京メトロ千代田線の6000系6129Fによる折り返しの我孫子行きです。
代々木上原駅は、外側が小田急線、内側が地下鉄線が入った高架駅であり、東急東横線・地下鉄日比谷線の中目黒駅、東武東上線・地下鉄有楽町線、副都心線の和光市駅と同じような造りとなっています。
こちらは同じ渋谷区にあり、中央部分に都営新宿線へと直通する京王新線が入っている京王線の笹塚駅でも言えることであるし。
地下鉄直通のメトロ特急(ロマンスカー、60000形MSE車による運転)では、客扱いはないけど、乗務員交代による運転停車が行われています。
メトロはこね号の車内販売は、代々木上原~小田原間で行われているので、積み込みや積み降ろしも行われているし。
代々木上原駅が開業したのは、1927(昭和2)年4月1日の小田急線の新宿~小田原間の開業の時であり、当初は代々木上原ならぬ、代々幡上原(よよまんうえはら)駅と呼ばれていました。
1941(昭和16)年10月15日に現在の代々木上原駅となり、1977(昭和52)年10月18日に千代田線乗り入れに備えて現在の場所に移り、翌年の1978(昭和53)年3月31日には、千代田線の代々木公園~代々木上原間が開業し、小田急線との直通運転が行われるようになったのであります。
小田急線の準急や急行が止まるようになったのもこの時からであるし。
1972(昭和47)年10月20日に千代田線の霞ケ関~代々木公園間が開業した時には、すぐ近くにある代々木八幡駅が、暫定的に乗換駅扱いとなっていたので、平日朝の上り準急が停車していたことがありました。
千代田線と小田急線の直通列車は、昨年3月26日にさらに進化し、JR常磐緩行線のE233系2000番台が小田急線に、小田急新4000形がJR常磐緩行線にも進出していたし。
JR常磐緩行線の209系1000番台は、小田急線に乗り入れることの出来ないサークルE編成となり、従来通りの代々木上原折り返しとなっているけど、6000系も6101Fと同様に小田急線に乗り入れることの出来ない編成に成り下がってしまったのであります。
千代田線と常磐緩行線との直通運転は、国鉄時代の1971(昭和46)年4月20日の北千住~綾瀬間の開業と共に霞ケ関~我孫子間で開始されていたけど、上野発着の緩行線の列車が廃止されたこと、 都心まで出るには北千住または松戸駅での乗換が必要になったこと、西日暮里~北千住間で営団地下鉄の運賃を取られること、快速が混雑するようになったことなどで迷惑乗り入れ問題と騒がれていました。
山手線と京浜東北線の西日暮里駅は、1971年4月20日に千代田線への乗り入れ対策により新設されていたし。
このような指摘を受けて、1972年10月2日に常磐快速線も柏駅にも止まるようになったのであります。
当時千代田線に乗り入れていた国鉄の103系1000番台のほうも、トンネルの発熱問題や電力使用料の増大による問題児であった為に、営団地下鉄からの置き換え要請があったので、1984(昭和59)年から1986(昭和61)年に掛けて203系に置き換えられていたので、103系1000番台が営団地下鉄にとっての迷惑乗り入れとなっていたことも言うまでもなかったです。
当時千代田線で活躍していた5000系は、常磐緩行線に乗り入れていたけど、小田急線に乗り入れることが出来なかったし。
千代田線の6000系は、貫通ドア部分に東京メトロのロゴマークであるハートMマークが付いているけど、営団地下鉄の時代には、Sマークが付いていました。
2008(平成20)年9月11日から12月まで、平日のラッシュ時に、東西線に転用される前の07系(元有楽町線)の07-101Fが、東西線の帯色のまま千代田線や常磐緩行線を走っていたこともありました。
こちらもやはり小田急線への乗り入れが出来なかったし。
6000系と代々木上原駅の組み合わせは、当たり前にように見られていたけど、見られる回数が減ったことで寂しさを感じています。
千代田線の第一世代の車両(営団地下鉄→東京メトロ6000系、国鉄103系1000番台、小田急9000形)のうち、6000系が残っているけど、今年度中に全廃されることになり、第一世代の車両が見納めとなります。
このように、代々木上原駅で6000系の6129Fによる我孫子行きも撮影することが出来て良かったです。