
1月12日は、巣鴨から池袋まで、東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線のE231系500番台のトウ506編成(ありがとうヘッドマーク付き)による内回り電車🚃♻️に乗りました。
山手線のE231系500番台🚃♻️は、E235系への置き換えが進められていたけど、今年になってからは、トウ505編成が運用離脱され、1月10日からは最後の1編成となったトウ506編成にありがとうヘッドマークが取り付けられた上で運転されています。
ヘッドマークのデザインは、前後で異なるので、11日(この日も内回りの運用に入っていた)には、新宿駅でクハE230-506号車側のヘッドマークを撮影しておきました。
こちらは、早ければ明後日(1月18日(土))までの運転予定となるので、この機会に両方のヘッドマークを撮影することが出来て良かったなと思っています。
103系から205系への置き換え 1985(昭和60)年3月25日~1988(昭和63)年6月26日
205系からE231系への置き換え 2002(平成14)年4月21日~2005(平成17)年4月17日
E231系からE235系への置き換え 2015(平成27)年11月30日~2020(令和2)年1月18日(予定)
E231系500番台🚃は、2002年から2005年に掛けて52編成が総合車両製作所新津事業所の前身である新津車両製作所で製造されていたけど、当時は7号車と10号車に6ドア車が連結されていました。
山手線のホームドアの導入により、2010(平成22)年から2011(平成23)年に掛けて6ドア車が新4ドア車(7号車はE231系と同じタイプの600番台、10号車はE235系への編入を見据えた4600番台)に差し替えられていました。
差し替えは552編成から501編成の順で行われていたので、たった5年で廃車となった6ドア車も発生していたのであります。
渋谷駅で接続する東急電鉄田園都市線の新5000系🚃の6ドア車(4,5,8号車に連結されていた)も、同様の理由により新4ドア車に差し替えられていたので、同じE231系ベースの車両で似たような現象となっていました。
東急では、6ドア車を廃止する代わりに、田園都市線の朝ラッシュ時の急行を準急に置き換えることや、大井町線をバイパス路線として活用させるという措置が取られています。
205系の時代には、11両化された1991(平成3)年から2005年まで10号車のみ6ドア車が連結されていました。
山手線のE235系🚃♻️の導入により、捻出されたE231系500番台が10両化の上で三鷹車両センター(八ミツ)に中央・総武緩行線に転用され、10号車に連結されていた4600番台のサハのうちの48両がE235系に編入され、10号車に連結されるようになっています。
E235系への編入の対象から外されたサハ4両は、どうなるのか分からないけど、最悪の場合は廃車となってしまいます。
山手線のE235系の導入予定本数は50編成であり、そのうちの2編成の10号車のサハは、完全新製の500番台であるので、余剰車が2両から4両に増えています。
中央・総武緩行線に元山手線のE231系500番台が転用されたことにより、捻出された209系500番台とE231系0番台が武蔵野線や八高・川越線に転用されているけど、E231系500番台(52編成)で不足するので、E231系0番台の一部が、6ドア抜きの6M4T化によって中央・総武緩行線に残留することになっています。
中央・総武緩行線で活躍していたE231系のミツB32編成が武蔵野線へ転用の為に長野総合車両センター(NN)に入場していたので、5号車に6ドア車両が連結されている編成はあと5編成となり、6ドア車が全滅するのも時間の問題となっています。
武蔵野線の205系は、全編成がインドネシア🇮🇩に輸出される予定であり、昨日(1月15日)は、そのうちのM33編成(元ヤテ56編成)が配給輸送されていたけど、行先表示は、ジャカルタ JAKARTAで、富士山🗻と鶴が描かれていました。
中央・総武緩行線🚃では、東京オリンピック2020のメイン会場である新国立競技場🏟️の最寄り駅である千駄ヶ谷、信濃町の両駅にホームドアが取り付けられる予定なので、6ドア車の廃止されるのもそのはずであります。
6ドア車が廃止される理由は、ホームドアに対応出来ないことだけでなく、座席を確保させる為でもあります。
今年3月14日(土)のダイヤ改正からは、快速線用のE233系による東京発着の緩行線運用及び総武緩行線の御茶ノ水折り返しが廃止され、中央・総武緩行線と中央快速線が完全に独立することになります。
このことは、千駄ヶ谷、信濃町両駅のホームドア取り付けの影響のほか、中央快速線のグリーン車の組み込みを見据えていることもあります。
千駄ヶ谷駅🚉では、使用が停止されていた臨時ホーム(東京オリンピック1964に使われていた)が西行(新宿、中野、三鷹方面の1番乗り場)に転用されることになり、現行のホームが東行(御茶ノ水、津田沼、千葉方面)専用ホーム(2番線)に変更されることになります。
以前信濃町駅にも臨時ホームがあったけど、駅ビルの建設工事により撤去されていました。
千駄ヶ谷駅ホーム中央にある水飲み場に将棋の王将の駒のモニュメントが飾られているのは、周辺に日本将棋連盟の本部(将棋会館)があるからであります。
山手線の原宿駅🚉でも改良工事が行われており、一昨年(2018(平成30)年)までの正月3が日の初詣の時期のみ使われていた外回り(3番線、新宿、池袋、上野方面)の臨時ホームが常設ホーム(新2番線)に格上げされ、3月21日(土)から新駅舎と共に使用開始されることになります。
昨年と今年の正月3が日には、臨時ホームの代わりに明治神宮への降車専用仮通路が設けられていました。
現在のホームは、臨時ホーム使用時と同様に内回り(渋谷、品川、東京方面)専用ホームとなるので、千駄ヶ谷駅と同じ流れとなります。
特徴のある原宿駅舎は、東京都内で最古の木造駅舎として親しまれているけど、新駅舎が出来た後に解体され、その跡地に防火地域の基準に適した材料により復元されることになっています。
これに伴う旧駅舎の解体を惜しむ声が聞こえているけど、防火基準に満たない為にそのまま保存されずに解体を余儀なくされてしまいます。
このことで、東急田園調布駅の復元駅舎を思い出すけど、こちらは復元20周年を迎えることになります。
中央線の国立駅のほうも、国立駅南口のシンボルとして親しまれていた三角屋根の旧駅舎が再現され、今年4月にお披露目される予定となっています。
中央・総武緩行線に転用されたE231系500番線は、山手線時代と同様に新宿、代々木、秋葉原の各駅に乗り入れることになるけど、オーバークロス駅である秋葉原駅の場合は、3階部分に乗り入れることになります。
中央・総武緩行線の秋葉原駅は、1932(昭和7)年7月1日の御茶ノ水~両国間と共に開業したものであり、当初からオーバークロスとなっています。
JRの秋葉原駅の改札口は、電気街改札、中央改札、昭和通り改札、アトレ1改札があるけど、そのうちの中央改札は、2005(平成17)年8月24日のつくばエクスプレス線🚃の開業に合わせて、貨物駅跡に開設されていました。
昭和通り改札は、地下鉄日比谷線や都営新宿線(岩本町駅)への乗り換えに便利な改札口であり、れんてつかふぇ🚃🍻のある神田佐久間町方面へのアクセスに使われています。
昭和通り改札前の横断歩道を渡った場所(高架下)にある幸楽苑🍜は、神田平河町にあることから、秋葉原店ではなく、平河町店と呼ばれています。
平河町は、同じ千代田区の永田町駅や麹町駅付近にある地名でもあるので、そこと紛らわしい点があります。
巣鴨駅は、日本鉄道の時代の1903(明治36)年4月1日の池袋~田端間と共に開業した駅であり、池袋駅と大塚駅も同時に開業していました。
毎月4の付く日に賑わう巣鴨の地蔵通り商店街にある古奈屋のカレーうどんが有名であり、辛くなくまろやかな味として評判であると言われています。
巣鴨の染井エリアにある日帰り温泉施設である東京染井温泉Sakura♨️🌸は、山手線や都営三田線の巣鴨駅はもちろんのこと、東京さくらトラム(都電荒川線)🚃🌸の庚申塚または新庚申塚電停からも歩いて行けるので、都電沿線で唯一の日帰り温泉施設♨️とも言えます。
池袋からは、前の記事で紹介した西武鉄道池袋線の40151Fによる映画ドラえもん のび太の新恐竜のラッピング電車🚃🦖で石神井公園まで移動していました。
山手線の205系が最後を迎えていた2005年は、大山ドラの末期で、わさドラに移行した時でもありました。
明後日(1月18日)に大崎駅で行われるE231系500番台の山手線卒業記念イベントでは、4番線(外回りの出入庫線)から改札内コンコースに変更され、ヘッドマーク撮影会がレプリカに切り替えられることになります。
こちらにはホームドアが付いていない為に危険防止の為にこうなったと思います。
E231系500番台の山手線時代の最後の勇姿を撮影する時にはマナーを守ってもらいたいと思っています。
帯色が黄色に変わってもまた会えることになるので、中央・総武緩行線でまた会いましょうと言うことになります。
このように、巣鴨から池袋まで、カウントダウンを迎えた山手線🚃♻️のE231系500番台のトウ506編成に乗ることや、ヘッドマークを撮影することが出来て良かったです。