
こちらは、昨日(12月5日)、京成電鉄の青砥駅で撮影した、新AE形(3代目スカイライナーの車両)のAE3F(成田スカイアクセス線開業10周年記念ヘッドマーク付き車両)による、イブニングライナー203号(京成成田行き)🚃💺🌃です。
イブニングライナー203号🚃💺🌃は、京成上野駅を18時40分、日暮里駅を18時46分に発車し、途中、青砥、京成船橋、八千代台、京成佐倉の各駅に停車してかは京成成田駅(千葉県成田市)へと向かう列車であり、京成上野駅は、2,3号車、青砥駅は、8号車、京成船橋駅は3,7号車のドアが開くことになります。
青砥駅の下りホームの京成上野(押上)寄り(後ろ側)にライナー系列車のライナー券売り場と待合室があるので、目印となっています。
イブニングライナー🚃💺🌃は、夕夜間の下り(京成上野→京成成田、成田空港✈️間)7本、モーニングライナー🚃💺🌄は、朝の上り(成田空港✈️、京成成田→京成上野間)4本であり、そのうちのイブニングライナー209,211,213号、モーニングライナー206号が成田空港駅✈️発着で、他は全て京成成田駅発着となっています。
イブニングライナーとモーニングライナーは、土休日にも運転されている通勤ライナー🚃💺であり、スカイライナー🚃💺✈️と同様に全席指定であり、専用のライナー券(座席指定券)は、420円(小児は210円)均一であるので、スカイライナーよりも安い料金でAE形(スカイライナーの車両)に乗ることが出来ます。
イブニングライナーとモーニングライナーは、2015(平成27)年12月4日まで、通勤ライナータイプの号車指定制(座席定員制)で、京成船橋駅通過となっていました。
2015年12月5日に座席指定化されたと共に、京成船橋駅にも停車するようになっています。
京浜急行電鉄(京急)の2100形による京急ウィング号🚃💺、東武鉄道の50090型によるTJライナー(東上線の通勤ライナー)🚃💺が座席定員制から座席指定制に移行されたことで、関東の大手私鉄の通勤ライナーが全席指定化されていました。
来年3月には、JR東日本の湘南ライナー、ホームライナー小田原号、おはようライナー新宿号(いずれも185系または215系による運転で、座席定員制となっている)が、E257系2000番台(2500番台)による、特急湘南号に変わることにより、指定席に移行されるので、関東から座席定員制のライナー列車が全滅することになります。
中央線の通勤特急である、はちおうじ号とおうめ号(どちらもE353系による運転)🚃💺🌃🌄の前身は、中央ライナーと青梅ライナー(末期は全てE257系による運転だった)の時代から全席指定となっています。
京成新AE形のトイレは、5号車にあり、車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽、通常幅の洋式トイレ🚻🚽、男性用小トイレ🚹、洗面所から成っているので、東武鉄道の500系リバティの2(5)号車にあるトイレ🚻(こちらもだれでもトイレ、通常幅の洋式トイレ、男性用小トイレ🚹から成っている)に似ているところがあります。
東武のリバティには、洗面所がないので、洋式トイレの個室を代わりに使うことになります。
新AE形の男性用小トイレ🚹は、日本の鉄道車両の車内トイレとしては珍しいフランス製🇫🇷の小便器(小トイレ)であり、以前自分(しゃもじ)🐰がステーション♪のライブで立ち寄った六本木のmorph-tokyo(モーフ東京)にあった男性用トイレ🚹の小便器(小トイレ)と同じタイプであります。
六本木のmorph-tokyoのほうは、11月30日に閉店してしまったので、残念に思っています。
2016(平成28)年まで活躍していたAE100形(2代目スカイライナー)のトイレ🚻は、4号車にあったけど、男性用小トイレ🚹が、1車両につき2ヶ所(後述のリニューアル後は山側と海側に1ヶ所ずつ)あったという珍しい状態となっていました。
新AE形で男性用小トイレ🚹が1ヶ所に減らされたのは、コスト削減や利用状況のほか、スカイライナー🚃💺✈️での乗車時間が短いこともあります。
AE100形のトイレ🚻が増設されたのは、1992(平成4)年にAE148,158Fが導入された時であり、それ以前に導入された編成も改良されていました。
この時に男性用小トイレ🚹も2ヶ所となり、洋式トイレ🚽のほか、和式トイレも追加されていたので、3200形開運号のトイレ🚻以来の和式トイレの復活となっていました。
このことは、2000(平成12)年に交通バリアフリー法が施行された後の現在では有り得ない出来事となっています。
2001(平成13)年から2003(平成15)年に掛けてリニューアルされてからは、広いスペースを生かして車椅子対応幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が新設され、和式トイレの廃止によって洋式トイレオンリーに戻されていました。
同時に車椅子対応座席💺♿も新設されていたので、バリアフリー化が盛り込まれていることが分かります。
1993(平成5)年まで活躍していた旧AE形(初代スカイライナー)のトイレ🚻は、3号車にあったけど、洋式トイレ🚻🚽と洗面所しかなかったです。
AE100形のもう1つの特徴は、前照灯が、かつてスポーツカーで見られていたリトラクタブルヘッドライト(収納式ヘッドライト)となっていたことであり、点灯及び消灯の時の開閉シーンが見られていました。
現在AE100形のAE161号車(1993年に導入された最終増備車(AE168F)のうちの成田空港✈️寄りの先頭車だった車両)が、宗吾車両基地(宗吾参道)の保存スペースで静態保存されているけど、ライトカバーが閉まったままであるので、点灯シーンは見られなくなっています。
1983(昭和58)年から1987(昭和62)年までの間に製造され、現在でも根強い人気があるトヨタ自動車(TOYOTA)のスポーツカーであるAE86型(カローラレビン、スプリンタートレノ)は、ヘッドライトがリトラクタブル型となっているので、AE100形との共通点がありました。
京成スカイライナーのAEは、Airport Expressの略であるけど、AE86のAEは形式の記号であります。
AE86は、頭文字D(イニシャルD)という自動車漫画に出てくることで有名であり、主人公の藤原家で豆腐屋を営んでいることにより、藤原とうふ店の表示があります。
1983年にAE86がデビューした当時のスカイライナーは、旧AE形初代スカイライナーの時代であり、茶系から青系の塗装に変更された時でもありました。
AE100形がスカイライナーとして活躍していた頃は、当初から禁煙🚭となっているJR東日本の成田エクスプレス(当時は253系初代NE'Xが使われていた)🚃💺✈️とは異なり、喫煙可能な車両🚬があったけど、リニューアル後は両先頭車だった1号車と8号車となっていました。
2010(平成22)年7月17日の成田スカイアクセス線の開業と共に、新AE形(3代目スカイライナー)がデビューし、AE100形がシティライナー(これまで通りの京成本線経由)にシフトされてからは、全席禁煙化🚭されていたので、関東の大手私鉄の有料特急が全て禁煙化🚭されたことになりました。
近畿日本鉄道(近鉄)の有料特急は、2月1日から客室内が全面禁煙🚭となったけど、東海道・山陽・九州新幹線のN700系列の新幹線車両🚅と同様に喫煙ルーム🚬があるので、こちらで喫煙することが可能となっているので、愛煙家🚬にとって有難い配慮であることが分かります。
かつて飛行機(JALやANAなどの日本の航空会社)✈️にも喫煙席🚬があったけど、現在は国内線、国際線共に全て禁煙席🚭となっています。
新AE形の4号車の3号車寄りにあるサービスコーナーは、清涼飲料水の自動販売機とフリースペースから成っており、海側のフリースペース側に縦に配置された3つの丸窓が特徴となっています。
AE100形のサービスコーナーは、5号車の4号車寄りにあったけど、自動販売機が2基(うち1基は末期に使用停止されていた)あったことに加え、リニューアル前に喫煙が可能となっていました。
ヨドバシカメラ上野店(マルチメディア上野)のある場所は、改築される前、アメ横口や京成電鉄の旧本社の入った上野聚楽ビルとなっていました。
京成電鉄の本社が押上の地上駅跡に移転された後にホテルが入っていたこともあり、その後にヨドバシカメラ上野店(旧店舗時代)が出店していました。
京成電鉄の本社は、2013(平成25)年9月17日に押上から京成八幡駅前に移転されていたけど、以前京成八幡駅前に京成百貨店がありました。
その跡地等の活用によって再開発が行われ、京成本社が移転してきたのであります。
現在マルイシティ上野がある場所は、1984(昭和59)年12月まで京成百貨店上野店となっていました。
現在京成百貨店🏬は、茨城県だけにあり、水戸市にある本店、つくば市にあるつくばショップ、日立市にある日立サテライトショップから成っています。
京成ホテルも水戸市が本拠地となっており、直営のホテルが水戸市にある水戸京成ホテル🏨だけとなっています。
押上の旧京成本社跡は、京成電鉄保有の賃貸施設となっており、ライフ(LIFE、スーパーマーケット)のセントラルスクエア押上駅前店🛒、ニトリ押上駅前店、タイムズセントラルスクエア押上駅前店(時間貸駐車場🅿️)、シズラー(Sizzler)押上店(サラダバー&グリルレストラン🍴)、リッチモンドホテルプレミア東京押上🏨が入っています。
今回の舞台となった青砥駅のある東京都葛飾区は、1932(昭和7)年10月1日に、南葛飾郡新宿(にいじゅく)町、金町、奥戸町、南綾瀬町、本田(ほんでん)町、水元村、亀青村の東京府東京市(東京都の23区の前身)への編入合併で出来た区であり、葛飾郡→南葛飾郡だった頃の名残があります。
青砥駅は、1928(昭和3)年11月1日に開業した当時は、本田町の時代でありました。
京成八幡駅付近にある葛飾八幡宮⛩️は、葛飾区ではなく、千葉県市川市にあるのは、所在地が東葛飾郡八幡町だったことによるものであり、8月末に閉園となった豊島園(としまえん)が、豊島区ではなく、練馬区(旧、北豊島郡)にあったことと同様であります。
葛飾八幡宮や京成本社のある千葉県市川市は、1934(昭和9)年11月3日に、東葛飾郡市川町、八幡町、中山町、国分村の合併によって出来た市であり、千葉県では、千葉市、銚子市に次ぐ市制施行となっていました。
1949(昭和24)年11月3日に東葛飾郡大柏村が、1955(昭和30)年3月31日に行徳町が、1956(昭和31)年10月1日に南行徳町がそれぞれ市川市に編入されて現在の形となっています。
隣の船橋市は、1937(昭和12)年4月1日に東葛飾郡船橋町、葛飾町、八栄村、法典(ほうでん)村、塚田村の合併によって出来た市であり、1954(昭和28)年8月1日に二宮町が、1954(昭和29)年4月1日に豊富村がそれぞれ船橋市に編入されていました。
京成西船駅は、旧、葛飾町の中心にあったことから葛飾駅となっていたけど、葛飾区にある駅と間違えられていたという問題があったことや、西船橋駅に近いことで西船となったことによって、国鉄からJRとなった1987(昭和62)年4月1日に、京成西船駅となったのであります。
JR武蔵野線の船橋法典駅(中山競馬場🏇の最寄り駅でもある)は、1978(昭和53)年10月2日の新松戸~西船橋間の開業と共に出来た旧、法典村部分にある駅であるけど、ほうてんと濁らないことになっています。
中山競馬場🏇は、京成線の東中山駅からバス🚌または徒歩🚶で行くことが出来るけど、船橋法典駅が混雑している時に東中山駅などの利用が推薦されています。
船橋市にある競馬場🏇は、中山競馬場🏇と船橋競馬場(最寄り駅は船橋競馬場駅)🏇の2つがあるので、行く時には注意が必要であります。
東京都葛飾区、千葉県市川市、船橋市は、5月11日に自動車のご当地ナンバーの地域となった場所であり、葛飾ナンバー、市川ナンバー、船橋ナンバーがそれぞれ誕生していました。
京成新AE形🚃💺✈️は、2009(平成21)年から2010年に掛けて8編成(奇数編成は日本車輌製造豊川製作所製、偶数編成は東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)製)が導入されていたけど、昨年9月には、9年ぶりの増備車として、AE9F(日本車輌製造豊川製作所製)が導入されて、9本体制となっていました。
AE9Fの変更点は、5号車にある車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が、ハンドル型電動車椅子対応♿となったことであります。
西武鉄道の001系ラビュー(Laview)🚃💺の1号車、JR東日本のE261系サフィール踊り子🚃💺💎の5号車にある車椅子対応トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽や車椅子スペース♿もとても広いので、ハンドル型電動車椅子対応♿となっていることが分かります。
AE3Fは、日本車輌豊川製作所製で、昨年9月1日に就航した、ANA(全日本空輸)✈️💙の成田~パース(オーストラリア西部)線✈️🇦🇺の記念ラッピング電車に使われていたことがありました。
昨年8月31日に鶯谷にあったVALLEY×VALLEY×TOKYOで、ぶどう党🍇を見た後に、それを撮影したことを思い出しました。
自分(しゃもじ)🐰は、ぶどう党🍇が現在のメンバーとなってから1度も行ったことがない状態であります。
VALLEY×VALLEY×TOKYOは、昨年末で閉店されていたので、六本木にあったmorph-tokyoと同様に過去のライブハウスとなってしまいました。
一昨年11月15日にあーにゃこと水湊あおひ氏😸が出てきた舞台(劇団ギルドG・Cによる「風と雲と魂と」~シベリア鉄道の晶子~(あーにゃ😸の舞台デビュー公演))を見に行った会場である高円寺の明石スタジオは、同年末に閉鎖されたけど、こちらは取り壊されていました。
現在高円寺駅を通る度にあーにゃ😸を思い出します。
昨日はれんてつかふぇ🚃🍻に行き、軌条あさま🍳、濱口ハンナ🇯🇵、高架線はやぶさ💜、高架線こまち💖各氏や、ゲストのはるき氏と出会えたことで幸せを感じました。
れんてつかふぇは、普段平日の夜のみの営業となっているけど、イベント等により土休日の営業が行われることもあります。
昨日は、青砥駅で、アクセス特急の新3100形3152Fによる京成線、都営浅草線の相互直通運転開始60周年記念ヘッドマーク付き電車、京成高砂駅で3033Fによる、ありがとうシャンシャンヘッドマーク付き電車🚃🐼を撮影することも出来ました。
上野動物園のジャイアントパンダの子供であるシャンシャン🐼は、近いうちに中国(China)🇨🇳に返還されることになっているので、その感謝の気持ちによりヘッドマークが取り付けられています。
今日は諸事情により東京ステーション♪を見に行けなかったので、10月6日以来のライブ参戦がお預けとなってしまいました。
東京ステーション♪の小麦ぱんこ氏🐼は、しゃもじさん🐰に会えなくて寂しいと言っていました。
小麦ぱんこ氏🐼の記号をパン🍞からパンダ🐼に変更しました。
10月28日はパンダの日🐼であったので、パンダの日に小麦ぱんこ氏🐼に出会えたのであります。
自分(しゃもじ)🐰は、推しメンを表す時に名前の後に絵文字を入れることにしているけど、小麦ぱんこ氏🐼も推しメンなので、パンダマーク🐼を付けています。
10月28日がパンダの日🐼となっている理由は、1972(昭和47)年10月28日に上野動物園に日本で最初のジャイアントパンダ🐼が中国(China)🇨🇳の北京(ペキン)動物園から来園してきたことであります。
自分(しゃもじ)は以前上野動物園にジャイアントパンダ🐼を見に行ったことがあるけど、上野動物園と言えばやはりこれだな❗と思っていました。
ありがとうシャンシャン記念乗車券のほうは、すぐに売り切れるほどの人気ぶりでした。
一昨日(12月4日)、都営地下鉄1号線(都営浅草線)の押上~浅草橋間が開業してから60周年(還暦)を迎えていたけど、浅草橋~押上~東中山間での京成線との直通運転(日本の地下鉄初の相互乗り入れ)からも60周年を迎えていました。
京成線と都営浅草線の押上駅は、ホームが浅い位置にある為に、東京メトロ千代田線の霞ケ関駅(小田急電鉄60000形MSEによる千代田線直通ロマンスカーも停車している)や、銀座線、半蔵門線の表参道駅と同様に、ホームの下の階に改札口があるタイプとなっているけど、1960(昭和35)年12月の地下化当時は、地上駅舎が継続して使われていました。
当時の地下鉄乗り入れ車両は、旧3000形(3050形を含む)、旧3100形が使われていたけど、そのうちの旧3000形のモハ3004号車(1991(平成3)年3月に引退した車両)は、日本初の地下鉄乗り入れ車両であったことに加え、最後まで残された非冷房のめくり式の行先表示でもあったことにより、当時の赤電塗装に復元された上で、前述のAE161号車、旧AE形初代スカイライナーのAE61号車、200形(青電)のモハ204号車(晩年は新京成電鉄新京成線で活躍していた)と共に宗吾車両基地の保存スペースで静態保存されています。
都営と京成の60周年関連のヘッドマークは、来年6月3日までの半年間取り付けられる予定となっているので慌てて撮影することはないけど、AE3F、3151F、3054Fの成田スカイアクセス線10周年ヘッドマークは、何時まで取り付けられるのか分からないので、全て撮影することが出来て良かったと思っています。
このように、青砥駅で、京成新AE形のAE3F(成田スカイアクセス線開業10周年記念ヘッドマーク付き電車)による、イブニングライナー203号を撮影することが出来て良かったです。
おまけの画像は、青砥駅で撮影した3152F(相互直通運転60周年記念ヘッドマーク付き電車)、京成高砂駅で撮影した、3033F(ありがとうシャンシャンヘッドマーク付き電車)です。