
4月14日は、国分寺から青梅街道まで、西武鉄道新2000系の2537Fによる、多摩湖行き🚃に乗りました。
西武多摩湖線では、国分寺駅のホームドアの導入により、3ドアの新101系から4ドアの9000系への置き換えが進められており、9000系が4編成出揃うまでの間、新2000系の4両編成(車掌乗務(ツーマン運転))による代走が行われていました。
多摩湖線(国分寺~萩山~多摩湖間)は、最大4本(日中は3本)での運用となっているけど、今回は9108F(元2代目)が運休となっていたので、今回2537Fによる代走が見られていたのであります。
今後9104Fが出場してきた時には、新2000系による代走が解消されることになるので、今回多摩湖線の国分寺~多摩湖間での新2000系を撮影することが出来て良かったと思っています。
新2000系の4両編成🚃は、1988(昭和63)年から1990(平成2)年に掛けて23編成が、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)で製造されたものであり、2013(平成25)年3月15日まで小平~西武遊園地(現、多摩湖)間の列車メインで使われていました。
これらの編成のうち、2531Fと2533FがLED化されたいるけど、他の編成は、方向幕が健在であるので嬉しいことだと思います。
新2000系には、貫通ドアの窓が小型のタイプと大型のタイプの2種類あり、貫通ドアが小型なのは、1988年の上半期に導入された初期型である2501~2519F(4両編成)、2051F(6両編成)、2451F(2両編成)となっています。
現在は、西武園線(東村山~西武園間)で主に見られるようになっています。
新2000系の4両編成と2両編成は、全て東急車輛製造製だけど、6連の2045Fと2053F、8連の2055
,2057,2059,2061,2065,2067,2073,2075Fは、西武所沢車両工場で製造されていました。
2016(平成28)年9月まで池袋線系統一筋で活躍していた2097F(VVVFインバータ試作車も入っていた編成)も、西武所沢車両工場製でありました。
現在池袋線系統で活躍している新2000系は、8連の2063,2069,2071,2073,2075,2077,2079,2085,2087,2089,2091Fと、2連の2461,2463,2465Fであり、他は全て新宿線系統所属となっています。
2537Fは、1989(平成元)年10月に東急車輛製造で製造された編成であり、多摩湖線での代走の後、20日に武蔵丘車両検修場に入場していました。
新2000系の4両編成を見ていると、萩山駅で分割・併合運転が行われ、拝島・西武遊園地行きが見られていたことを思い出します。
晩年朝のみ行われていた萩山駅での分割・併合作業は、2012(平成24)年6月29日をもって下りの分割作業から廃止され、その時点で拝島・西武遊園地行きが見納めとなったけど、翌年の3月15日に上りの併合作業も廃止されていました。
西武新宿、小平方面と多摩湖を結ぶ直通列車は、平日朝の下り1本、上り3本であり、土休日には、西武新宿~多摩湖間の直通急行が不定期で運転されています。
それ以外の列車が国分寺~多摩湖間の直通列車となったことで、時代は変わったな❗と思いました。
2013年3月16日に、多摩湖線の運用が国分寺~萩山~西武遊園地間に一体化されるまでの間、新101系のワンマン車が、国分寺~萩山間の運用で、平日の朝ラッシュ時には、国分寺~一橋学園間のピストン運用もありました。
国分寺~一橋学園間には、開業当時に東国分寺駅と桜堤駅があったけど、どちらも戦争末期に休止され、そのまま廃止されていました。
小平学園~青梅街道間にあった厚生村駅も、戦争末期に休止され、後に廃止された駅でもあります。
スマホアプリである、駅メモことステーションメモリーズ📱では、多摩湖線のところに廃止された東国分寺駅が含まれているので、注意が必要であります。
西武線の国分寺駅は、国分寺線(小川、東村山方面)の5番ホーム、多摩湖線(萩山、西武遊園地→多摩湖方面)の7番線があり、どちらも近いうちにホームドアが導入される予定であるので、2月7日をもって、その準備により、ホームドアに対応出来ない新101系(3ドア車)が多摩湖線から撤退していたけど、赤電塗装の259Fが2月18日から22日までの「ありがとう101系多摩湖線ラストランウィーク」での特別運用で復活していました。
こちらのほうは、第二次緊急事態宣言のせいで行かれなかったけど、それ以前に乗車、撮影しておいて良かったと思っています。
この日に東村山から西武園まで乗った新2000系は、2543F(1990年の東急車輛製造製)でありました。
1990年は、新2000系が池袋線系統にも進出した年でもあり、3ドア車が当たり前だった池袋線が変化したことで話題になっていました。
以前新宿線系統の初期型2000系が池袋線系統に貸し出されていたこともあったけど、実際にそれを見た時は違和感がありました。
西武園線は、1930(昭和5)年4月5日に西武鉄道(旧)による村山線の支線として、東村山~村山貯水池間が開業したのが始まりであり、当初は箱根ヶ崎駅まで延長させる計画がありました。
西武園駅は、1950(昭和25)年5月23日に臨時駅として開業した駅であり、当時は野口信号所から村山貯水池駅と西武園臨時駅に分かれていました。
当時は、2つの駅が同時に営業されていたのであります。
翌年の1951(昭和26)年3月1日には、野口信号所~村山貯水池間が廃止され、西武園駅が村山貯水池駅との統合により本設化されていました。
1952(昭和27)年3月25日の村山線の西武新宿駅への延長に伴う新宿線への変更により、村山線の支線から西武園線となったのであります。
西武園駅は、橋上駅舎方式の2面3線の終着駅であり、1番線が臨時ホームで、2,3番線が通常ホームとなっています。
北口側には、西武園競輪場🚴があるので、コンコースが広くなっています。
西武園ゴルフ場⛳は、プリンスホテルによる運営であり、西武園駅からシャトルバス🚌も出ています。
所沢駅西口から西武園駅まで、西武バスの所18系統(松が丘中央経由)🚌が出ており、土休日には西武園ゆうえんちまで延長されているけど、西武園ゆうえんちのリニューアル工事により現在運休中(西武園駅折り返し)で、5月22日以降には復活することになります。
西武園駅前にある西武園競輪場🚴は、1950年5月22日に開設された当時は、村山競輪場と呼ばれていました。
1954(昭和29)年5月には、西武園エリアの整備によって、現在の西武園競輪場となっています。
西武園ゆうえんち🎠🎡🎢、西武園競輪場、西武園ゴルフ場⛳のある西武園エリアは、埼玉県側にあるので、東京都側にある西武園駅や多摩湖駅から行く場合には、歩いて県境を越えることになります。
西武園競輪場からの帰りは、西武園駅の混雑緩和により、多摩湖駅まで歩いて行くルートも推薦されています。
かつて競輪開催日を中心に西武新宿~西武園間の直通列車が運転されていたことがあったけど、2011(平成23)年12月24日に東村山駅で脱線事故(当該車両は20000系の20156Fだった)が発生したことにより廃止され、現在は国分寺線との直通に変わっています。
多摩湖線の国分寺駅ホームの脇にある国分寺駅北入口バスターミナル発着の西武バス🚌は、全て小平営業所所属の路線(寺61,62,63,64,71系統)であり、そこを出ると線路沿いのバス専用道路(複線化用地だった場所)を通ることになります。
西武バス小平営業所🚌の車両も、他の都内の営業所と同様に、日産ディーゼル→UDトラックス(UD車)や三菱ふそう(FUSO)車がメインとなっています。
西武国分寺線の国分寺駅は、北側にあり、1990(平成2)年6月に現在の場所に移設される前は、その東側にありました。
移設前の旧ホームは、6番線であり、17m車の3両編成までしか入れなかったので、西武最後の赤電だった351系が、平成初期まで残されていたのであります。
国分寺線のホームは、以前国鉄→JR中央線と改札が共通で、多摩湖線のみ連絡改札があったけど、国分寺駅の改良や多摩湖線のホーム移設により、JRと西武の改札が分離され、国分寺線と多摩湖線の間が改札を出ずに行き来出来るようになっています。
一橋学園駅は、1面2線の島式ホームの駅であり、西武山口線(レオライナー)🚃🦁を除いた西武線の駅で最後まで発車ベルが残されていました。
一橋学園駅が出来たのは、1966(昭和41)年7月1日のことであり、南側にあった一橋大学駅と、北側にあった小平学園駅が統合されて1つの駅となっていました。
小平学園駅は、1928(昭和3)年4月6日の開業からあった駅であり、1933(昭和8)年9月11日には、その南側に商大予科前駅が開業し、1949(昭和24)年5月には、一橋大学駅となっていました。
1966年7月に小平学園駅と一橋大学駅が統合されて一橋学園駅となったことは、前年の1965(昭和40)年7月11日に京王井の頭線の駒場駅と東大前駅(文京区にある東京メトロ南北線🚇の駅とは別)との統合により、駒場東大前駅となったことと同様であります。
南北の駅の統合は、1976(昭和51)年10月15日に、京浜急行電鉄(京急本線)🚃の北馬場駅と南馬場駅が統合されて新馬場駅となったことが挙げられているけど、1975(昭和50)年8月27日に下り線(浦賀、三崎口方面)が先行的に高架化された当時、下り線部分が北馬場・南馬場駅と呼ばれていました。
一橋学園駅は、新馬場駅と同様に、北側と南側に改札があるので、双方の旧駅の名残があります。
一橋学園駅のホームは、1面2線の島式ホームで北口、南口共に構内踏切を渡る必要があるけど、トイレ🚻はホームの国分寺寄り(南口側)にあります。
一橋大学のキャンパス🏫は、東京都国立市(国立駅、谷保駅付近)にある国立キャンパス、千代田区(神保町、竹橋駅付近)にある千代田キャンパス、小平市にある小平国際キャンパスであり、一橋学園駅は、そのうちの小平国際キャンパスの最寄り駅となっています。
萩山駅は、1958(昭和33)年9月16日に現在の場所移設される前、南東側(萩山保線区のある場所)にあったけど、当時は北側にデルタ線が設けられていました。
移設前は、小平駅から国分寺方面まで行くことが可能となっていたのであります。
西武多摩湖線の青梅街道駅は、その名の通り、青梅街道と交差する地点にある駅であり、駅舎とホームが西側にあるので、西へ約600m行ったところにある、JR武蔵野線の新小平駅まで、踏切を渡らずに行くことが出来ます。
こちらは、都営バス(都バス)で最長の路線として有名な梅70系統(青梅車庫~花小金井駅間、早稲田自動車営業所青梅支所所属)🚌が通っています。
青梅街道駅の構造は1面1線で、車椅子用♿のスロープが設けられているけど、トイレ🚻は全て和式で多摩湖駅や一橋学園駅と同様に車椅子対応のだれでもトイレがないのでバリアフリー化されていないです。
多摩湖駅の男子トイレ🚹️では、かつて和式だったのが洋式化🚽されているのを確認しています。
あーにゃこと水湊あおひ氏😸が出てくる舞台は、5月1日から9日まで築地本願寺ブディストホール(昨年と同じ会場)で行われる「QUEEN DOM 文化女子の戦におけるかくも腹黒き百花繚乱戦国絵巻」であり、あーにゃ😸はBチームとなります。
あーにゃ😸の予約枠がピンチであると言われているので、自分(しゃもじ)🐰が行ってピンチをチャンスに変えてやりたいです。
自分(しゃもじ)🐰があーにゃ😸を救うということになりますように。
このことは、銚子電鉄を救え❗ということと同様であります。
Aチームの某出演者がコロナ感染したということを聞いたので、どうなるのかと不安になってしまいました。
最近になってから、自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)活動が激減してきており、2021年になってからアイドルのライブ参戦は、自分(しゃもじ)の誕生日である3月28日の東京ステーション♪が出てくる公演だけとなっています。
今年度初の自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が、昨年度と同様に大幅に遅れてしまうことが懸念されます。
本当に変異株の猛威によるコロナ超快速特急の大暴走、第4波(ライオン波)🦁は半端じゃない状態であり、早くピークを過ぎて欲しいと思っています❗
大阪府、兵庫県、京都府では、第三次緊急事態宣言が要請され、東京都もこうなってしまいます。
これにより再びアイドル現場でしゃもじ出禁、SHOWROOMなどの配信で我慢となってしまい、アイドルたちにしゃもじスタイル🐰を披露出来なくなるのは嫌です❗
本当に自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が、銚子電鉄と同様に危なくなってきています。
3月28日は、東京ステーション♪の小麦ぱんこ氏🐼に誕生日を祝って貰えたことに加え、会えて良かったと言われました。
自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動がそこでストップしてしまうことが懸念されています❗
4月10日には、ぶどう党🍇@budou_idolのワンマンライブが行われていたけど、土曜出勤(休日EXE、アウェイ)🗻により行かれなかったことで、未だ立ち直れない状態であります。
ぶどう党🍇のメンバーとは、一昨年12月22日以来会っていないので、会えない長いトンネルが青函トンネルと同様に長いです。
4月10日のぶどう党🍇のライブに参戦していた友人からは、ぶどう党の華ちゃんにしゃもさんの話したら、今度連れてきて、って言われたから行かなきゃねと言われたので、早く行きたいと強く思っています。
このことを、銚子電気鉄道線(銚子電鉄)に乗ろうと言われていることに例えたくなります。
本当に今年度初の自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動が待ち遠しくて仕方がないです。
自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動のない週末が(終末)となってしまったので、西武池袋線の飯能駅で、西武秩父方面に接続しない列車に例えたくなります。
12日は高齢者のワクチン接種が開始されていたけど、そのスピードが早まり、早く一般人でも受けられるようにしてもらいたいです。
本当にワクチンを早くしてもらいたいです。
緊急事態宣言は、自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動に加え、鉄道活動の妨げにもなるので絶対に嫌です❗
増えろワクチン接種者❗増えるなコロナ感染者❗
電車を止めるな❗ならぬ、しゃもじを止めるな❗という状態であり、自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)活動の一足早い再開を願っています。
緊急事態宣言のせいであーにゃこと水湊あおひ氏😸との再会のチャンスを失ってしまったよ❗2月14日のあーにゃ😸のプレミアム撮影会に行かれなかったのでそのはずだよ❗と言いたい気分です❗
あーにゃこと水湊あおひ氏😸は、大江戸温泉物語♨️に行きたいと言っていたことにより、あーにゃ本人によるあーにゃ行きたい❗となっていたけど、自分(しゃもじ)🐰はあーにゃ😸に会いたいです❗
東京さくらトラム(都電荒川線)のマスコットキャラクターである「とあらん」が10周年を迎えたので、9000形の9002号車(青いレトロ調電車)によるラッピング電車が運転され、7700形の7701号車と8500形の8503号車に記念ヘッドマークが取り付けられています。
これらのラッピング電車やヘッドマーク付き電車は、7月14日まで運転される予定となっているけど、こちらも是非撮影してみたいと思っているけど、第三次緊急事態宣言がネックとなってしまいます。
もちろん8505号車によるBanG Dream!(バンドリ!)のラッピング電車も撮影してみたいけど、こちらは6月6日までの予定となっています。
自分(しゃもじ)は、房総地区の木更津~安房鴨川~上総一ノ宮間と、佐原~鹿島神宮間E131系に乗りたいと強く思っています。
4月4日はそれに乗りに行くはずだったけど、銚子電気鉄道(銚子電鉄)の旅を優先させていた為に乗りに行けずに佐原(鰆)駅で撮影しただけで、209系で我慢していました。
18きっぷ以外の期間なら、休日おでかけパスを使って木更津~君津間でリベンジしたいです。
E131系に乗りたい❗あー乗りたい❗あーにゃ乗りたい❗
土休日の野球開催日等には、西武新宿~多摩湖間で臨時の直通急行(途中、高田馬場、鷺ノ宮、上石神井、田無、花小金井、小平、萩山、八坂、武蔵大和の各駅に停車)が2往復運転されるけど、17日の土曜日には、ドラえもんのラッピング電車(DORAEMON-GO)の38101Fが使われていたことを聞きました。
このことで、野比のび太のママ(母親)である野比玉子(たまこ)を思い出します。
因みに、現在(わさドラ時代)の野比玉子の声は、三石琴乃氏によるものであり、先代の大山ドラの時代は千々松幸子氏によるものでありました。
復路の西武新宿行きの場合は、多摩湖始発でない場合には、田無始発となります。
この日は、黄色い9102Fとも再会し、青梅街道駅から国分寺駅まで乗ることが出来ました。
前面のステンレスの飾り帯は、2000系や9000系までの西武線の通勤型車両(赤電や黄色塗装)のシンボルであり、1963(昭和38)年から1997(平成9)年まで活躍していた701系列の車両(初期は赤電塗装だった)から受け継がれていました。
西武多摩川線や狭山線の新101系にもステンレスの飾り帯があります。
現在は不要不急による県を跨いだ移動が制限されるようになったので、秩父の芝桜見物を見合わせることになりました。
西武線の撮影も埼玉県で出来ずに東京都縛りの状態となっています。
昨年も東京都縛りの状態となっていた時もありました。
これによる行動制限は辛いし、緊急事態宣言のほうがもっと辛いです。
4月16日のレッドアロークラシックの乗車を東村山駅までにしたのはその為でありました。
自分(しゃもじ)は、北総線関連のヘッドマークの撮影を制覇していた絡みにより、西武多摩湖線の新2000系の撮影が後回しとなってしまったけど、これを期に撮影することが出来て良かったと思っています。
このように、西武多摩湖線の新2000系を撮影し、話題にすることが出来て良かったです。